第9話 立てよ、少年❶
「アン!サトウのおじさんに会うの明日!?」
「えぇそうよ、予定表見た?」
仕事を終えて玄関でブーツを脱ぐアンさんに、興奮を隠しきれないレオンが車椅子でいち早く駆け寄った。アンさんはレオンの頭を撫でながら、まるで玄関を開けたら犬が走り寄ってきた飼い主のような顔をしている。弟分に懐かれているのが嬉しいんだろう。
「アン、サトウ絶対説得して!義足絶対ほしいんだから!ていうか俺もカウンセリング行く!連れてって!」
「レオンくん、目上の方にはさんをつけなさいね。大体、カウンセリングなんだから呼べないよ。義足の話はあくまでついでなの。頑張るけど、期待しすぎないでね」
アンさんはレオンがぬか喜びをしないように予防線をはってはいたけれど、いつも通りひまわりみたいな笑顔だった。明日はきっと幸先の良い日になると信じているみたいだ。
明日は元義肢装具士のサトウさんの
レオンを引き取ると決めた日から義足のことで相談することは決めていた。レオンがこの先文字通り自立するために義足は必須だし、この先の足代わりが車椅子だけというのは、やはりもしもの時に不安が残る。
けれどレオンに先に計画を話をしてしまったのは早計だったかもしれない。特に今日、明日の予定に気づいた時からレオンはそわそわしっぱなしで、アンさんが帰るまで時間があるのに家中を動き回っては「いつ帰ってくるの?」と何度も聞いてくる始末だった。
「レオン、アンさん疲れてるんだから」
俺は車椅子を押して無理やりダイニングへと連れ戻す。レオンはその間も「だってー」とか不満を口にしていたけどお茶を入れてやると黙った。
「俺も昔みたいに走りたい……アンの仕事も手伝えるし……」
だからといって、夕食中にこぼした愚痴を僕もアンさんも聞き逃さなかった。彼女と目を合わせ『明日は勝負だ』と目線で疎通した翌朝、アンさんはいつもより気合を入れたのかちょっと格式が高そうなシスター服を着ていた。
サトウさん家の玄関を叩く直前「まぁ大丈夫でしょ!」と明るくサムズアップしてから突入していく。
1時間後、暗い顔で帰ってきた。
「だめだった…………」
「そんなぁ……」
アンさんがサトウさんに言われたことを整理するなら
『自分はもう死を待つのみであり、エウタナーシャを予定している10月まで残されているのは約3ヶ月。死ぬのを延長したとしてもそれまで身体が持つかわからない。そもそも義肢装具士として働いていたのも20年前の話だから技術に自信がない。中途半端に世話して中途半端に希望を持たせるのは、可哀想だよ』
と、このような理由で断られたそうだ。アンさんはハンドルにもたれかかってずーんと沈んでいる。
「サトウさんがいうことは尤もなんだけど」
「……また交渉するしかないですね」
「受けてくれるかしら……私、サトウさんはてっきり受けてくれると軽く考えてたわ。義足についての勉強だけでほぼカウンセリングの時間終わっちゃった……」
ハンドルにさらに深くもたれた時、胸がクラクションを押してしまい無駄にぷっと鳴った。
「サトウさんってそんなに悪いんですか?身体」
「……末期がん。初期なら私の力で治せただろうけど、あそこまで行くと今はもうお薬出して進行遅らせて、痛みを取ってあげることしかできないレベルなのよ」
「困りましたね」
アンさんの力を持ってもレオンの足は生やせないし、頼みの綱にも断られた。僕らは重々しい足取りで、期待でいっぱいであろうレオンの待つ家へと帰る。事実を伝えると案の定ショックを受けていて見るからに落ち込んでいた。
「俺一生車椅子なのかな……」
嘆く背中に哀愁が漂ってる。
アンさんは責任を感じているのか、いつもレオンの前では笑顔を心掛けているのに神妙な顔のままだ。晩御飯も上の空みたいな顔で食べたら、珍しく僕に見られないように1人で庭に出て静かに喫煙していた。
そしてレオンが風呂に入ったタイミングで戻ってくると「明日も交渉してくる」とわざわざ言いにきたものだから、互いにぐっと突き出して拳を交わした。
―――――
――――
――
「私はねぇ、もう年寄りで隠居の身なんだよ」
日系人のサトウさんは湯呑みで緑茶を啜る。白髪を一つ結びにしてメガネをかけた優しい雰囲気のお爺さんで、この辺りでは珍しくのっぺりした見慣れた容姿に、実を言うと僕は超美形のレオンよりも親近感を覚えていた。しかしその体はガリガリに痩せていて、言葉を選ばないで良いのならまるで骸骨だ。不健康そうな土色の皮膚に、小刻みに震える手は、見るからに病に侵された肉体だった。
僕が初めて会った頃はここまでではなかった。触れれば折れそうな身体とは無縁の気が強い人で、アンさんにエウタナーシャの依頼に来た人には怒鳴るようなタイプだったのに、人の顔つきが数ヶ月でここまで人は変わってしまうなら病気は本当に恐ろしい。
「もう何もする気力が湧かない。死ぬのが希望で、死を待つのみなんだよね。何にもやりたくないなあ。気持ちを汲んで欲しいかな」
「分かりますサトウさん。でも、レオンくんが一生歩けないなんて不憫です」
「アンちゃん。私はね、義肢装具士なら自分が作った義肢は一生面倒を見る覚悟で取り組まないといけないと考えてるんだよ」
「もちろんただとは言いません。エウタナーシャまでこれまで以上にサトウさんの生活のサポートをさせてくださ……」
「義足の人間がどれくらいで歩けるようになるか、アンちゃん昨日教えたでしょう?」
「…………満足に歩けるようになるのは2年、ですよね」
「そう。それが私の断る理由」
サトウさんはそう言いながらそばに置いてあるメモ帳に手を伸ばし、さらさらと絵を描き始めた。ふくらはぎまである人間で頭に『L』と記されている。ふくらはぎに義足を足すと、膝より下の接続部分のソケットをぐるぐると丸でなぞってペン先でトントンと叩いた。
「仮に作ってあげたとして何度も何度も調整が必要なの。ソケットの調整などを私が死んだ後誰がやるんだい?」
「それなら私に技術を教えてくれませんか?私が責任をもって覚えますから、最初の1本だけでも」
「アンちゃん。君の頭と記憶力が優れていることは私も存じてますよ。でもねぇ、人の手足というのはもっと深いところにあるんだ。知識だけでどうにかなる話じゃないんだよ」
「でも」
「いくら君が優れていようが、教会の仕事と両立しながらなんて、まともな技術が身に付かず、本業も疎かになるだけだよ。大体、1人の義肢装具士を育てるのには10年かかると言われてる。……そろそろ帰ってくれないかい?年寄りは疲れるのも早いんだ。眠い」
また追い返された僕らは今度は2人で項垂れていた。
この先どうしたもんかと意見を出し合いつつも、結局答えも打開点も見つからず家に帰る。自宅の裏の車庫に向かうと、僕らを待っていたかのように庭でレオンが1人で車椅子のままバスケをしていた。けれどもアンさんの暗い表情を見て全てを察したらしく、ドリブルさせながらしかめ面になり「もういい!俺もいく!」と立腹している。
確かに、本人を連れて行くのが一番説得力があるのかもしれない。
やや卑怯な算段をつけたら早速翌朝3人でサトウさん家に押しかけた。玄関の開けた瞬間しつこいなぁという目線を向けられたけど、車椅子のレオンを見たサトウさんの目はすぐ鋭くなる。
「――また若い子だね。びっくり。日本人かな?君がレオンくん?」
「……こんちは。横浜生まれ、です」
「横浜ってチャイニーズレストランのあるところだっけ?」
「……まぁだいたいあってる」
レオンは高齢男性のサトウさんにおずおずしているけど、サトウさんはレオンの表情を見てから視線を落とし、千切れた足の断端、いわゆる切断された膝から下の部分を見つめていた。
「それ、治療は済んでるのかな」
「リハビリまではちゃんと入院してました。こんなんなったの4年前っす」
「……そう。足、見せてごらん。入りなさい」
サトウさんは老眼鏡のレンズを服のすそで拭いてからレオンの足を持ち上げて状態を見ていた。医者が患者に様子を聞く様に、こうなった経緯や治療内容を聞き出している。レオンはぼそぼそ声だったけど、分かる範囲で全て答えていた。
「義足で歩く練習は?」
「……一応やってたけど、ママ、……母が死んで落ち込んでてやる気でなくて、あんまり……。それに、退院してからは病院とか通えなかったからそこからは何も出来てない、です」
「やっぱり。だから膝だけが使い込まれてる。そもそも筋肉が発達していない。君、断端を使って歩く練習どころか、足を使っての移動自体そんなにしてないんだろう」
サトウさんがいうにはレオンの様に足を失った人が義足を使うには、まず、断端を地につけて体を支えられるようになる必要があるそうだ。
レオンは元々、自由に出歩けない生活を送っていた。だから足はシャー芯みたいに細い。こっちに来てきてからは車椅子だし、家では確かにいつも膝立ちで歩いていて、足だけじゃ足りない場合はハイハイで移動する。
最近は筋トレもしてるし基礎体力がついてきた。床や椅子から補助なしで車椅子に乗り込めるようになってきたからレオンも少しずつ成長はしているけれど、これは完全に僕らの知識と準備不足だ。断端で歩く練習をさせるなんて発想、1mmも思い浮かばなかった。
歩く練習、というワードを聞いたレオンは悪い事をした子供みたいに畏縮している。レオンの悲しそうな顔を見たアンさんがしゃがんで「やましい気持ちになる必要はないわ」と優しく囁いた。
「サトウさん、レオンくんは特殊な事情で長年自由に外出できるような環境ではなかったんです。できればその辺は手心を……」
「あぁ悪いね。少し言葉がきつかったかも。久々だから。患者と接するのは」
アンさんからの声掛けではっとしたサトウさんは反省するようにこめかみを押さえた。そして老眼鏡をおでこにずらすと、さらに顎をこすって数秒考えこんでいた。
「……傷跡は綺麗だ。いい医者に診てもらったね。敗血病の心配もなさそうだし、何より健康そうだ。うん、作るとすれば新ライナー式下腿義足だね。ロボット義足を除けばやっぱりあれが一番自由度が高い。無論、君たちが生きていた時代の物よりいくつもレベルは上がっているよ。今の状況でも安定して使うことができるだろう。それに君は下腿切断。膝から下を失っただけ。両足とはいえ、太ももや股関節より下を失った人よりよほど歩ける可能性が高くなる。それだけ君の元の体が使えるという事だからね」
「作ってくれるの!?」
「話を最後まで聞きなさいレオンくん。アンちゃんから聞いてるだろうけど、私はもう長くないんだよ。正直、君がすでに義足で歩けるなら1足だけ作ってやってもいいと思っていた。だけど歩く練習からとなると、とてもじゃないが無理だ。私が死ぬまでに間に合わない。君みたいに両足がない患者は歩けるまでに最低でも1年半はかかる。それに君は若い。成長期真っ只中だろう。サイズもすぐ変わってしまうんだよ」
「お、俺頑張ります!歩く練習もするし、リハビリだって頑張ります。背は、ちょっとどーなるかなんて分かんないけど、それでも1足だけでいい……、1足だけでいいから作ってください!」
「作って終わりの仕事じゃないの。人生のパートナーのように患者に寄り添って、長い付き合いになることを前提にサポートをすることが仕事なんだ」
「俺歩きたいんです!自分のこと自分でできる様になりたいんです!お願いします!」
レオンが人に頭を下げているところを初めて見た。
「諦めなさい。奇跡でも起きない限り君は一生歩けやしないんだよ」
けれどサトウさんはつっけんどんなままだ。非力な人間が大岩を押したとしても動かせないのと一緒で、レオンが頭を下げたところでサトウさんはなびきそうにない。
「俺、歩きたい。ずっと車椅子は嫌だ!高い所には手が届かないし、1人じゃ階段も登れない」
「車椅子で健常者と変わらずに活躍してる人はいるでしょう」
「そうかもしれないけど、俺、靴だって履きたい!普通の人みたいな生活を送りたいんです!」
「歩けない見せかけだけの義足でいいなら、作業室にあるサイズの合うやつを持っていけばいいよ。奥の作業室に子供用のサイズならいくつか作品がある」
「そんなんじゃ嫌です。歩きたいんです。2人に迷惑かけたまま生きたくない」
「諦めなさい。中途半端なものを手に入れたって君にとっても不幸なだけさ。置かれた場所で咲きなさいというだろう。君は車椅子でも充分生活できるよ」
依然としてレオンとサトウさんの押し問答が続いた。アンさんも説得を続け、僕も手伝いでも何でもすると言っても最後までサトウさんの首が縦に振られることはなかった。
そして話し合い途中、ついに痺れを切らしたようにレオンが低音でぼやいた。
「んだよくそじじい……」
「――――レオン?」
「もういい。こんな死にそうなおっさんなんかに頼ったのが間違いだった」
「レオンくん!おっさんなんて言葉」
「本当のことじゃん!くそ頑固石頭爺に何言ったって無駄!意味ねえよ。時間ももったいないし」
そばに置いていた車椅子を引き寄せて誰の手も借りずに椅子から乗り移ったレオンは、リビングの奥を指さしてサトウさんを睨みつけた。
「サトーさん、どーせ死ぬんならあれちょうだい。俺が使う」
指の先にあるのは平行棒だ。歩行のリハビリの際、体の支えにする物干し竿が2本並んだような器具をレオンは欲しがった。サトウさんは平行棒を一度ちらっと見ると無関心な表情のまま目を逸らした。
「勝手にしなさい」
「あーがとーござーまーす。ねぇスバル。運んでこれ」
言われるまま平行棒を車に運んでやった。小声でこんなん持って帰ってどうするんだ?と聞いたら、レオンが企むような笑みを浮かべている。
「俺、自分で義足作る!」
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