昨日ではダメで明日でもダメで、今日でなければならないモノ

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昨日ではダメで、明日でもダメで、今日でなければならないモノ

「昨日はダメで、明日でもダメで、今日でじゃなきゃいけないモノって、なーんだ?」

「誕生日だろ」

「……」


 くたびれた向日葵の様な表情になった彼女へ、私はため息を吐く。

 昼休みの終わりに近付きつつある教室は、少し憂鬱な雰囲気だ。


「おい、そんな顔するな。まだ話は始まったばかりだ、広げろ」


 彼女は不満げに唇を尖らせた。

 一つ前の席に座る彼女は、口を開く。


「じゃあ、今日は何の日なのか、分かってるのかよぅ」

「あ?」


 彼女は、ちらちらと自分のスマホの日付を私に見せる。

 表示は九月二十日。

 私は考え、すぐに答えは出た。


「お前の誕生日だな。おめでとう」

「アタシが言うより早く気が付いたら、どうなんだ。薄情な女幼馴染だな。何かくれ」

「愛情だけで、どうぞ。……覚えてただけ、マシだろ。私はアニキの誕生日すら知らないってのに」

「まあ、なら、悪くない」


 そう言いながら、彼女は再びスマホの画面を確認した。

 九月二十日。

 彼女の誕生日。

 ちなみに明日は私の誕生日。

 嫌な幼馴染の並びもあったものだ。

 この所為で女友達から、一括でお祝いされたりする。

 マジで悪夢。


「ん? つーことは、次の物理の時間、宿題を当てられるのはお前じゃないか?」


 彼女は得意げな、しかし口端が引きつった複雑な表情。

 確か、あの物理教師は月と日を足した数字で、その日に指名する生徒を変える。

 今日は足して二十九なので、右端の一番前から同じカウントをした席にいる、彼女へ死に水が必要となる番が回って来たという事だ。


「宿題、やって来なかったな?」

「うっかり……な」

「いなせに言っても事実は変わらんからな。お前、うっかりしか、しないじゃねーか」

「だって、ノートを見せてくれって皆に頼んでも、誰も見せてくれないし」

「そりゃそうだ。お前、鈴木にノートを見せてもらった時、最後に、『って、鈴木のノートに書いてありました!』とか答えただろ」


 あの時の冷たい沈黙は忘れない。

 責任は宿題を忘れて来たコイツにあるのに、なぜか鈴木が悪いみたいな空気になった。

 なんだろな、アレ。


「そういう事もあった気がする。ちなみに、お前はやってきたのか? 宿題」

「いいや。私の番じゃないし、そもそも物理はさっぱりなんだ。無駄な事はやらん」

「はっ、これだから今の学生は」

「テメーが言うな」


 じろりと睨むと、彼女は口笛を鳴らす。

 鳴らないだけに、余計に腹が立った。


「ってなワケで今更どうにもならないし。喋って気を紛らわせたいんだ。付き合ってくれ」

「まあ、いいだろ。骨を拾うついでだ」


 私の答えに彼女は意味ありげに、ニヤリと笑う。

 なんだ、それ。

 何か嫌な予感がするぞ。


「じゃあ、逆だ。昨日でもよくて、明日でもよくて、今日であってもいいものって、なーんだ?」

「お? 何だ、それ」


 何か、さっきの問いより難しいのを投げかけられてしまったな、と思う。


「齢、八十八の我が、おじいが言ってた」

「ほう、米寿のじじ様が言うなら、考えよう」

「手向けの華も冗談じゃない年頃だからなあ。喜ぶぞ」

「縁起でもないこと言うんじゃねえ」


 じいちゃ、元気かな?

 最近会ってないけど。

 もうそんな歳かあ、と思いながら私は腕を組み、黙考する。

 しかし、それは何でもアリではなかろうか。

 食事でもいいし、散歩でもいいし、デートでもいいし、ケンカでもいい。

 いや、ケンカと来るなら、仲直りというのはどうか。

 ううん、違うな。

 それこそ、仲直りは早い方がいい。

 日の指定が出来そうだ。

 当てはめられる解答が多い分、絞り難い。


「うーん、物凄く大事な事の様な、でもどうでもいい事の様な気もする」

「いいとこ突いてる。そういう風に生きなければ、得られないものかも」

「ううん?」


 さっぱり分からなくなった。

 私は降参、と肩を竦める。

 彼女は少し神妙な表情で言った。


「答えは死に場所、でした。アタシも真剣に考えた分、おじいのドヤ顔に腹が立ったなあ。男子たるもの、いつ死んでも本望と知れ、みたいな」

「じじ様は何時まで中二を患ってるんだ……? まあ、分からない理屈ではないが……」


 過剰に生を尊び、死を卑しむ時代だ。

 長く生きた人間として、一石投じたい所があるのかも知れない。


「うむ、米寿を迎えて到達する、透徹した問いと答えだな……って、なに指折り数えてる?」


 彼女は、頷いて言った。


「すまねえ、よくよく考えてみたら、おじいは、まだ七十八だ」

「じじ様……」


 何という頭の軽い孫を持ったのか……。

 枕元には立たないが、草葉の陰で泣くパターンだ。

 というか、十年でそれ程価値観は変わらんだろと思うが、何か残念な気分になるのはなぜだろう……?

 そうこうしていると教室のドアがスライドして、物理教師が入って来る。


「お、来たぜ、ショータイムだ。シャレの効いた言い逃れ、楽しみにしてるからな」


 私が意地悪くそんな事を言うと、彼女は私以上に邪悪な笑みを見せた。


「つまらん遺言だな。せめてもの情けだ。自分のスマホで今日の日付を確認するといい」

「……は?」


 嫌な予感を覚えながら、私は自分のスマホを取り出す。

 表示。

 九月二十一日。

 私の、誕生日。

 足すと、三十。


「おい……」


 彼女は、思いっ切り人を見下す視線を向ける。


「スマホに依存し過ぎだ。日付なんて、簡単に変えられるんだぜ?」


 私は、「ぐっ」と唸るしかない。

 そもそもスマホで確認する以前に、日付を間違えていた私の過失がある事は確かだ。

 しかし、そういうワナをしかけるかね、この娘は……。


「だってさー、昨日は、ずーっとプレゼントくれるのを待ってたのに、完全に忘れてるし。普通にいじけるし」


 う……、確かにその不義理は我ながら情けない。

 私は、やるせないため息を吐く。


「しょうがないな、こればっかりは……。ん? ちょっと待て。って事は、お前は日付を勘違いしている私なら、物理の宿題をやって来ないと踏んでいたな?」

「いえーす」

「その上で、私に今日の日付をミスリードさせる為に、表示をいじったスマホを見せた、と」

「おう」

「で、私が、その事実に気が付いて、他の誰かへノートを見せろと言わせない様に、わざと『喋って気を紛らわせたい』とか誘ったな?」


 確かあの時、すげー人の悪い笑みを浮かべていた様な……?


「ワナに嵌められてるのにも気付かず、ドヤって話すお前は最高のピエロだったぜ。おじいにも吉報を届けられようぞ」

「てめぇ……」


 そんな事を話していると、物理教師が腕時計で今日の日付を確認する。

 彼女は、得意げに笑った。


「さて、初心に戻ろうか。昨日はダメで、明日でもダメで、今日でじゃなきゃいけないモノって、なーんだ?」

「誕生日だ……。私のな」

「きゃー素敵! 今日でなければ贈れない、物理教師からご指名のプレゼント! 私、天才。ホレるなよ?」


 彼女は軽快に笑って、前を向く。

 そして生まれた、物理教師が私を指名するまでの一瞬。

 私は物理の教科書を丸め、彼女の後頭部を思いっ切りぶん殴った。

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