没落令嬢のお気に召すまま 〜婚約破棄されたので鑑定士として独立ライフを満喫します〜

四葉夕卜

第1章 没落令嬢のお気に召すまま

第1話



 小さい頃、飽きずに水晶クォーツを眺めていた。


 どこにでもある鉱石だ。

 それでも、私にとっては宝物だった。


「オードリー。また水晶クォーツを見ているのか?」

「うん」


 その日、無口な父さんがめずらしく話しかけてきた。


「見せてみなさい」

「うん」


 八歳だった私は、作業台の前にいる父さんに近づき、素直に石を差し出した。


 父さんが水晶クォーツを手に取り、日にかざす。

 六角錐の水晶クォーツは半分に割れていた。


「形がいいものと交換するか?」

「……」

「この水晶クォーツが気に入ってるのか?」

「……うん。綺麗だから」

「そうか」


 父さんは無愛想な返事をしたけど、その目は少し楽しげだった。


 なんだか私も楽しくなってきて、父さんの無精髭をじゃりじゃりと触って、くすりと笑う。


 父さんは私にされるがまま、欠けた水晶クォーツを日にかざした。


「オードリーは鑑定士になりたいのか?」

「お父さんみたいな鑑定士になりたい」


 父さんは大きな手で、私の頭を撫でてくれた。


「少し待っていなさい」


 そう言って、父さんは作業台にある革紐を取り、欠けた水晶を丁寧に縛ってネックレスにし、私の首にそっとかけてくれた。


「こうしておけばずっと水晶クォーツと一緒だ」

「わあ! ありがとう!」


 嬉しくて抱きついた。

 座っている父さんの膝に乗り、胸にかかった水晶クォーツを手に取る。

 表面はつるりとしていて、革紐はオイルのような匂いがした。


「よく覚えておきなさい」


 父さんはいつも無口で無愛想だけど、そのときだけは楽しそうに笑った。


「どの石にも物語がある。庭に転がっている石にも、高価な魔宝石にも、この水晶クォーツにも。一つ一つの出逢いに感謝し、大切にしなさい」

「本みたいなお話が石にあるの?」

「いつかわかるときが来る」


 そのときの父さんは遠くを見つめていた。私を生んだときに死んでしまった母のことを想っていたのではないかと、今では思う。


 その日から、私は鑑定士になるべく、父さんに教えを請うた。


 毎日欠かさず勉強をし、魔力操作が向上すると言われている瞑想などのトレーニングもやり続けた。立派な鑑定士になることを夢見て。


 でも、私には魔力がなかった。


 一万人に一人とも言われる、魔力ナシだった。


 魔力がなければ鑑定士になれない。

 子どもでも知っていることだ。


「なんで訓練と勉強をするの?」

「鑑定士になるためだ」


 父さんがぶっきらぼうに言う。


「……私は、鑑定士になれないんだよね?」


 そんな質問に、父さんは何も答えてくれない。


 ずっとずっと、答えてくれない。


 それでも、父さんは私に鑑定士の極意を教え続けてくれた。


 私は父さんが何を考えているのかわからなかった。


 鑑定士を夢見る私を突き放すのでもなく、かといって鑑定士になれる方法を教えてくれるわけでもなく、ただ淡々と、知識と知恵を私に教え続けた。



 死んでしまう、その日まで。



      ◯



 デスクには書類が山積みになっていた。


 未処理の月次報告、魔宝石仕入れ額の確認、領収書の束、従業員のシフト表……これから処理すると思うと、ちょっと頭が痛くなってくる。


「“仮”婚約者様、これもお願いね」


 箱が置かれて、無遠慮な音が響く。


 中を見ると石が数百個入っていた。

 六面体、豊富なカラーバリエーション――蛍石ほたるいしだ。


「指紋一つ残さず磨くのよ。おわかり?」


 顔を上げると、完璧な化粧をしたドール嬢が意地悪そうに口の端を上げていた。


 勝ち気そうな濃い眉、通った鼻筋、吊目がちだけど形のいい瞳。

 今日も豊満なバストを見せつけるような、オフショルダーのドレスワンピースを着ている。


「感謝しながら磨きなさい。Cランク鑑定士様、いつも石磨きのお仕事をくださってありがとうございます、とね」


 ドール嬢がつんと顎を上げる。


 なんでいつも言わせるんだろう……。

 趣味が悪いとしか思えないよ。


「復唱は? ほら」


 ドール嬢が片眉を上げる。

 私は分厚い眼鏡を指で押し上げた。


「……Cランク鑑定士様……いつも石磨きのお仕事をくださって、ありがとうございます」

「一つでも指紋がついていたらやり直しよ? おわかり?」


 黙って彼女が去るのを待った。


 ドール嬢はCランク鑑定士だ。

 鑑定士は、魔宝石の鑑定を王国から認可された職業で、厳しい試験を受けて初めてなれる、聖騎士、真偽官、弁護士と並ぶ、人気職業だ。


 また、彼女は大商会のご令嬢ということもあり、どの従業員も意見できない。


 私の一つ下で、二十歳。


 年下ではあるけれど、下っ端の私ごときが文句を言えるはずもない。というか、そんな度胸、私にはない。


「それにしても、ゾルタン様は辛抱強い方ね」


 事務所内に聞こえるように、ドール嬢が両手を広げた。


「ぼさぼさの髪、洒落っ気のない眼鏡、陰気な顔つき……。あなたみたいな陰気な女が婚約者ではさぞおつらいでしょう。ねえ? 皆さんもそう思うでしょう?」


 その呼びかけに、近場にいた事務員たちが媚びるように笑ってうなずく。


「しかも、魔力ナシの鑑定士志望。一生役立たずな女ね」

「……役立たず……」


 容姿よりも才能のことを言われると、胸が痛くなる。


 鑑定士になるには魔力を読む力が必須だ。

 ついこの前も測定器で測ったけど、魔力はゼロ。全然ダメだった。


 測定器はうんともすんとも言わない。

 機嫌の悪い父さんに話しかけている気分になるよね……。


 十代までは奇跡が起きて魔力を手に入れると信じていたけど、今となっては夢のまた夢。魔力ナシとアリは、越えられない壁があった。


「あなた、婚約して五年も経つんだっけ? 結婚できないのは役立たずだからだわ。そうに違いないわ。ねえ皆さん?」


 ドール嬢の高笑いに、従業員が追従する。


 この人は毎回こうだ。

 父の勧めで婚約したことを、いつも最後に言ってくる。


「サボらないでちょうだいねぇ、仮婚約者様」


 ドール嬢は言うだけ言って気分がよくなったのか、デスクへ戻っていった。

 私は置かれた箱を見下ろした。


「……あそこまで言わなくても……」


 心を無にして箱を引き寄せ、蛍石ほたるいしを手に取る。

 親指の爪ほどの大きさだ。


「はぁ……無心でやろう」


 磨き布で指紋を拭き取り、空箱に入れる。それを繰り返していく。


 石は大きく分けて二つ、鉱石と魔宝石に分類される。


 魔力を含む石はすべて魔宝石と呼ばれ、生活必需品である魔道具の原料から、装宝品の利用まで幅広く取引される。値段もピンきりだ。


 今磨いている蛍石ほたるいしは鉱石だけど、特殊な鉱石で、魔力を込めると蛍石フローライトと呼ばれる魔宝石へと変化し、照明魔道具に使われる。


 鉱石の中でも利益率の高い石だ。


 ドール嬢は毎日毎日、蛍石ほたるいしを私に押し付けてくる。

 魔力で加工するから、磨く必要はまったくない。


 単なる嫌がらせだよね、これ。


 この職場、本当に辞めたい。


 でも、父さんが決めた婚約者の職場だから辞めるわけにもいかないし、辞めたところで私が就職できる商会はないというね……。


 ああ、ダメだ。

 余計なことを考えてしまう。

 無心だ、無心。


 おしゃべりに興じているドール嬢をちらりと見て、蛍石ほたるいしを磨いていく。


 十個ほど磨くと、違和感に気づいた。


「またか」


 選別ミスだ……。

 仕方なくデスクの引き出しからジュエルルーペを取り出して、片目をつぶって覗き込んだ。


 色の変化に富む蛍石ほたるいしは、様々な色が結晶内部で縞模様を描く。


「……また水晶クォーツが混じってる」


 水晶クォーツはポピュラーな鉱石で、他の鉱石や魔宝石と鑑定ミスを誘発する石だ。水晶クォーツをすべて見分けられるのが、鑑定士への第一歩、と言われている。


 なんでこう、毎回選別ミスをするんだろうか。


 魔力ナシの私でも選別できるのだから、魔力アリのCランク鑑定士であれば、間違えようのない仕事だ。魔力を見れば一瞬で選別ができる。話によると、見える色が違うらしい。


 気を取り直して、売り物にならない石を破棄ボックスへと入れた。

 かちゃりと音が鳴った。


「私にも魔力があればな……」


 魔力があれば、魔宝石を鑑定できる。

 魔宝石が鑑定できれば、鑑定士になれる。


 鑑定士になったら、色々な場所へ旅をして魔宝石を探したり、人の役に立つような鑑定の仕事ができる。


 魔力がほしい。


 でも、手に入らない。


 憧れの職業に就けず、心がぼろぼろになっていくのが何となくわかる。


 二十歳を過ぎたあたりから、何をするにも気力が出なくて、身体が重くなった気がする。

 現実が、つらくて苦しい。


「……一生役立たず……」


 つぶやきは宙に溶けた。


 カーパシー魔宝石商の事務所では十数名が忙しそうに動き回っていた。

 事務所の隅に追いやられている私を、誰も見向きもしない。


 気持ちを切り替えて、蛍石ほたるいしを磨いていると、事務所の入り口が大きく開いた。


「若様、おかえりなさいませ!」


 カーパシー魔宝石商の商会長である、ゾルタン・カーパシーが事務所に戻ってきた。


 従業員たちが笑顔で出迎える。


 ドール嬢は、歌劇俳優と偶然会ったファンのように黄色い声を上げて駆け寄った。

 今年で二十三歳になるゾルタンは美青年と周囲から褒めそやされているが、白目がちで酷薄そうな瞳が私は苦手だった。こちらを見る目が、私自身でなく、私に付随している価値だけを見ているような気がしてならない。目が恐いんだよね……。


 ゾルタンはちらりとこちらを見ると、路傍の石でも見たような目つきになり、ドール嬢へすぐに向き直った。


 背中に小さな虫を入れられたような、何かぞっとする感覚が全身を走る。

 あれは、婚約者に向ける目じゃない。


 ゾルタンは婚約当初こそ私に対して最低限の優しさを見せてくれていたけど、父さんが死んでから態度が一変した。


 思えば、高名なAランク鑑定士であった父さんの力が目的だったのかもしれない。


 父さんが生きていればもっと違った人生になっていたのかな……。

 いや、考えるのはやめよう。


 頑固者の父さんが私の行く末を案じて決めた婚約だ。父さんが生きていたらとっくに結婚させられているような気がする。


 それに、この状況も、私が――


「オードリー」


 急に名前を呼ばれ、持っていた蛍石ほたるいしを落としそうになった。


「……ッ……は、はい……」


 顔を上げると、ゾルタンがデスクを見下ろしていた。


「明日は必ず出勤しろ。いいな」


 婚約者ではなく、部下に命令する口調でゾルタンが言った。

 私は黙ってうなずいた。


 思っていたよりも大きく首を動かしてしまい、眼鏡が下にずれる。

 あわてて指で押し上げ、彼から目をそらした。


「……女としてまともだったら使いようがあったものを……」


 ゾルタンが私の全身を見て、事務所の会長室へと消えていった。


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