紅い妖精は愛されたい
針機狼
紅い妖精は愛されたい
「……い。おーい。起きてってば」
可愛らしい声を耳にしながら男は閉じていた目を開くも、突然眩い光が差し込んで来て眩んだ目を慣れさせる為に瞬きをした。
その際に、何だか見慣れないモノが幾つか目に入った様に思う。
「あ、やっと起きたんだね。もう、こんな所で寝ていたら風邪引いちゃうよ」
ぼんやりとした視界と頭が徐々に覚醒して行く中で、愛らしい姿をした少女の姿が目に入る。全身が真っ赤な少女の姿が。いや、赤を越えてもはや紅い。真紅の様な色合いの少女の姿が。
髪も、目も、服も、爪先まで。それに触角や透き通る様な羽までも。ん? 羽? そこまで考えた所で男は、自身が目にしている少女が今までに見た事も無い人物であること。そして、身体の大きさも人では有り得ない程に小さいこと。さらに今居る此処がまるで見慣れぬ木々に囲まれた森の中である事をようやく知った。
「此処は」
此処は何処だ。そう口にしようとした瞬間にすかさず目の前の小さな紅い少女が男の言葉を遮る様に言葉を割り込ませる。
「そんなにボーっとしてどうしちゃったの。まさか私の事を忘れたなんて言わないわよね」
「もちろんさ。君を忘れる訳無いだろクラム」
小さな紅い少女の発する言葉に反応して、頭にも無かった言葉が自身の口から綴られる。その事に、得も言えぬ君の悪さを男は感じた様な気がした。
だが、自然と口に言葉が出ていたと言う事は目の前で羽を広げ浮かんでいるこの少女の事を自分は知っていたのだろう。直ぐに状況を理解出来ていないのは自分が寝起きで頭がぼやけて居るからだからと、男は自分を納得させる言葉を胸の内で自然と取り繕う。
そんな男の様子を眺めながら何故か少女は楽しそうに、男の頭上をクルクルと舞い。そしてストンとまるで慣れた様子で男の肩に座り込む。
まるで自身の定位置だと言わんばかりの堂々振りを横目で見ながら、男は立ち上がり周囲を確認した。
「すまないクラム。変な事を言っているかも知れないけど。此処は何処で僕は何をしようとしていたんだったか教えてくれないか」
既に寝起きの頭は目覚め、はっきりと思考出来るのに、男はなぜ自分が此処で眠っていたのかが理解出来なかった。過去の事を思い出そうとしても出来なかったのだ。
だから、手っ取り早く現状を理解する為には、自身の肩に座り込むクラムと呼んだ小さく紅い少女に聞くのが良い。それしか方法が無いと思い、尋ねる事にした。
「もう、昨日自分で言い出した事なのにもう忘れちゃったの? 此処は、――の森で、貴方は、――の為に私と結婚する為に此処に来たんじゃない」
一部何故か聴き取れない。聞いても脳が理解出来ない言葉が聞こえた気がしたが、少なくとも、これから何をする必要があるのかは理解出来た。
自分はどうやら、何故そうする事に成ったのかまったく思い出せないが、この肩に乗る小さな紅い少女と結婚する必要があるらしい。
男は、何も考えずクラムの指示に従い、式場があると言う広場へと向かう。
男が黙々と木々を避けながら森の奥へと歩みを進める中、肩に乗る小さな紅い少女はどこか楽し気な様子で両足をぶらぶらと揺らしている。時折、「こんなに上手く暗示に掛けられたのは初めて」だとか、「この調子なら後もう少しね」なんて男には理解出来ない言葉を呟いていた。
どれくらい歩いただろうか、男が元居た場所だったならきっともう日が暮れる位は歩いたのだろう。だが、木々から差し込む陽の光は変わらず、男が目覚めた時と同じ明るさをし続けて居る。
男は、自分が今いる場所はきっと本来居ては成らない場所なのだと、傾かない陽の光を見て思うのだが、そう思う度に肩で楽し気な様子のクラムとの結婚を急がないと言う脅迫めいた思考が邪魔をして、男の判断能力を奪って行く。
丸一日程の時間は歩いた頃だろうか、頭上にはまったく代り映えせず降り注ぐ陽の光が居続けている。何故か疲れない身体と違い、精神は段々と疲労して来た様にも思える。
痛みは無いのに頭痛の様な感覚が襲い。疲労は無いのに身体が怠い。燃えてないのに身体中が焼ける様に熱い。その癖、指先は凍る様に冷たい。
「大丈夫?」「疲れてない?」「少し休む?」度々クラムが心配を装う声を掛けて来る。
男はそれに対して、思っても居ないのに。今直ぐにでも歩みを止めて仕舞いたいと思うのに。男は必ず「大丈夫だよ。それよりも先を急ごう」と返事を返してしまう。
理解出来ない感覚に襲われ、男が段々と気が狂いそうに成って来たその時に成ってようやく、目的地に到着した。
「あ、見えて来たよ。此処が式場。私と貴方が結婚する儀式の広間よ。それにしても思ったより時間が掛かったわね。暗示に掛かり易い癖に精神的にはタフだったの? まぁ今更どうでも良いわよね」
クラムの声は男に届かない。もうどうしようも無い程にまで男は精神をすり減らして居る。それを分かっているからか、肩に乗っていた小さな紅い少女も本音を隠さなく成っていた。
「ほら、早く中央へ向かって頂戴」クラムが男の背中を叩き、そう口にすると、男は操られた人形の様に自身の意思に反して身体を動かし始める。
クラムは結婚と言っていたが、それは怪しげな儀式そのもの。大きな湖を前に広げられた血の様に紅い絨毯。その中央へ男は向かい、その周囲には逃げ場を無くす様に配置された奇妙な形の燭台と小物の数々が並べられて居る。どれも小さな物である筈なのに、それらを見た男は、ただでさえ命令に従えぬのに逃げる気を無くしていた。
クラムは、そんな男の目の前に浮かび、クスクスと口を閉じたまま喜びの声を上げる。
「さぁ、大事な大事な結婚式を上げましょう」
ヒラヒラと舞い浮かぶクラムは、恍惚とした目に怪しく吊り上がる口角、今にも舞い上がりそうと言わんばかりに頬を持ち上げて、始まりの時を待つ。
やがて、湖から何かが現れた。無数の針を生やしたそいつは、ぎょろりと三つもある目を男と小さな紅い少女へと向ける。
明らかに異様な形状をした生物が湖から這い上がって来たと言うのに、男は身動き一つ取らなかった。正確には取れなかった。
「――――――」三つ目の何かがクラムに何かを語り掛ける。男には何を言われたのか理解出来なかった。およそ人語とは思えぬ金属を引っ搔いた音。だが、クラムには意味が分かっているのか「愛することを誓うわ」なんて返事を三つ目に返した。
「――――――」続いて三つ目は男の方へ目を向けて理解出来ない音を語り聞かせて来る。音が止むと同時に男は「生涯愛する事を誓う」と口に出す。もちろん、男の意思等関係無く。
男の言葉を聞き入れた後、三つ目は自身から生えている無数の針の内一本を抜き取りクラムへと渡す。
その針を受け取ったクラムは、まるで結婚指輪でも付けるかの様に動けない男の手を持ち上げてその針を手の甲へ突き刺した。
激痛が走る。未だかつて体験した事の無い痛みが、何か別のモノへと強制的に変質して行く痛みが男を襲う。
そうして男は意識を失った。クラムは誓いの口付けをする事無く、怪しい笑みを浮かべながら男が苦しむ様を見届ける。
意識を完全に失う直前に男が見た羽を広げ笑うクラムの姿は、かつて見たことのある絵本に書かれていた妖精の姿と似ていた。
男が幼い時に一度だけ読み聞かせられた事のある紅い妖精。紅い妖精は誰からも愛された事が無かった。だから誰かに愛して欲しくて間違った方法を取り、多くの偽りの愛を得たのだと。そんな話だったと男は思い出す。
その話の結末は何だったけ。それを思い出す前に男は完全に別の何かへと変質してしまった。
うーうー。と唸るだけの何かに成った男は、クラムへ花束を渡す。クラムはそれを嬉しそうに受け取った。後ろに多くの花束と物言わぬ躯と化した先達たちが転がっている。
「愛されるのって気持ちが良いわ。そして愛してくれる人間の血は、こんなにも美味しい。こんなのやめろと言われて止められる訳ないじゃない」クラムは喜びながらそう嗤う。見えない透明な管で後ろに転がる躯達から、血を吸い上げながら。
「でも、足りない。もっと欲しい。もっと私を愛して欲しい。もっと美味しい血が欲しい。次は、どんな旦那様が来てくれるかしら。それとも偶には自分から連れて来ようかしら。ねぇ、グーちゃんはどう思う」
クラムは吸い上げた血で、その身を更に紅く染め上げながら羽をパタパタと羽ばたかせ、無数の針が生えた三つ目に話掛ける。
それに対して三つ目は応えない。それにも関わらずクラムは、言葉を続ける。
「やっぱり、グーちゃんは私の味方ね。私の言葉を肯定して愛してくれるグーちゃんは大好きよ。それじゃあ、血も補充出来たし次の旦那様を探して来るわね」
そう言って、椅子代わりにして座っていた躯の山から立ち退く。
「あ、そうだ。私が留守の間。百番目の旦那様の事をよろしくね」
クラムは三つ目にそう告げて、うーうー。と唸る百番目の旦那様に見送られて森を後にする。次の標的を求めて。
紅い妖精は愛されたい 針機狼 @Raido309lupus
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます