ショートショートじゃない

エリー.ファー

ショートショートじゃない

 物語を書いて終わる一日。

 脚本家として終える一日。

 何が始まって、何が終わったかなて分からない。

 気が付いたら、脚本家になっていた。

 いつか。

 そう、気が付いたら脚本家をやめているのだろう。

 私にとっての一日は、物語に登場するキャラクターたちにとっては、何日分に相当するのだろう。いや、何時間分、何秒分になると言うのだろう。

 私は、脚本の中に、魂を込める。概念を込める。哲学を込める。

 けれど、それだけで世界が動き出すことはない。

 もっと奥行きのある何かにすべてを捧げることで、世界が広がっていくのだ。

 きっと、物語と呼ばれるものに短編やショートショートなど存在しないのだろう。

 物語は余りにも広く、その世界を書ききることなど不可能なのだ。

 だから、小窓から見える部分だけが言葉になり、文字になり、物語として存在する。

 すべては長編であり、未完なのだ。

 終わりなどなく、ありとあらゆるところに始まりが存在する。

 私は世界を作っていて、世界を覗いていて、世界を終わらせる権利を持っていない。

 私には、何もない。

 ただ、自由である。

 それ以外には何もないのだ。

 私は、嘘を書く時がある。

 物語の中に忍ばせて、よりフィクションとしたり、現実感を生み出したり、ノンフィクションに見せたり、工夫とする。

 けれど。

 物語から見れば、すべては現実なのである。

 非現実など存在しないのだ。

 物語があるのは、事実である。

 それなら。

 物語が、現実から離れていくことも起こりえないのである。

 私は時に夢を見る。

 多くの動物と人間が話をして、宇宙を飛び回り、空が落ちて来て、マグカップの中に解像度の低い文章が浮かび上がるのだ。

 私はある時。

 その文字にピントを合わせた。

 そして。

 いつしか、記憶の片隅においやってしまった。

 物語は、小説は、脚本は。

 私の中で生み出されて、出力される瞬間に泡となって消えてしまった。

 美しい思考に、ほんの少しばかりの魂を。

 哲学の中に、オアシスの欠片を。

 嘘にも。

 どうか、優しさを。

 私は今日も世界を創る。

 世界の一部分だけを世の中に落としていく。

 世界はまだ続いている。

 私の知らない世界である。

 私の手を離れた世界である。

 私が干渉することのできない世界である。

 私は、十分に役目を果たしたのだろうか。

 脚本家として、世界をかき回す文化に、少しでも巻き込まれることができたのだろうか。

 いつか、死ぬときに。

 満足できるのだろうか。

 私には、才能がある。

 私は、特別な存在である。

 比較しても、客観的に見ても、批評を受けても。

 感じられる事実である。

 いつしか、私は私をやめてしまうだろう。

 私を失って脚本家になっていくだろう。

 誰かが私のことを失わせくれるだろう。

 その時に、ちゃんと。

 ありがとう。

 そう言える大人になろう。

 私の中にある考えが、一つの柱となって水面に立つことを心から祈って。

 私が今日も私であり続けることを心の底で確信しながら。

 白い紙に。

 文字が放たれる。

 どこに飛んでいくかは知らない。

 興味もない。

 責任をとる気もない。

 というか、もう飽きている。

 けれど。

 私は脚本家を続けている。

 楽しいことは、楽しいのだ。けれど、そう単純ではない。

 そんな言葉を吐き出そうとする瞬間に思う。




「私って、天才じゃなかったんだ」

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