最終話アミザージ
文化祭が始まり、賑わいを見せる校内を独りで歩く。
初々しいカップルがお化け屋敷に入っていく。大きな声で集客をする一軍男子達。青春を謳歌する少年少女が廊下を埋め尽くしている。
メガ☆歌唱部らいぶまで約2時間ほど時間がある。2時間ずっと独りなのかと思うとうんざりするな…
『克己今どこにいる?』
冬弥からのメッセージ。もう来ているのか。
『焼きそば屋の近く』
『りょ』
まもなくして冬弥がやってきた。
「ボッチじゃん」
開口一番オブラートに包む気のない蔑みが僕を襲った。
「うるさいな…てか冬弥もじゃん」
「うっせぇ」
「はぁ?」
なんなんだこいつは……
「喉は?」
「大丈夫そう」
少し違和感はあるが、歌えないほどではない。
「ならよかった。なんか食う?」
「丁度腹減ってた」
「いらっしゃっせぇ!」
店員の陽キャ男子が言う。
「焼きそば二つ」
冬弥が言うと「焼きそば一丁!!」とバカでかい声で叫ぶ接客男子。
「声でけぇよバカ!」
爆笑しながら焼きそばをパックに詰めるもう一人の男子。手際よく袋に詰めると冬弥の手に渡した。
「600円で~す」
財布に手を伸ばすと「俺が払うよ」と止められた。
奢られるのはあまり好きじゃないので払おうとしたがやはり止められ、渋々財布をポケットに入れた。
「あざした~……あ!佐藤君!」
呼び止められ振り向くと、男子が焼きそばを準備している手を止めた。
「ライブ頑張ってください!」
「っ!ありがとうございます!」
予想外の一言に慌ててお礼を言った。
「応援されてんじゃん」
屋外の休憩所で焼きそばを食べていると不意に冬弥が言った。
「…うん」
「名前も覚えられてたし」
黙り込む僕。
「プレッシャーかもしんねぇけどさ。頑張れよ」
「……だな!」
「おう。頑張ってこい。ゴミ捨ててくるわ。友達に呼ばれてるからここで一旦別れる」
ポリ袋にゴミを詰める冬弥を横目で見て、自分を落ち着かせるように溜め息をついた。
「また後で」
小さくなっていく背を見送る。昔とは違う大きな背中。
いや、頼れる背中だ。そこは今も昔も変わらない。
控え室のドアの前に立つ。なんだかすごく緊張してなかなかドアを開けられない。
その時、勢いよくドアが開いた。
「克己君!?克己君だよね!?さ、入って入って!!」
仮入部したあの時と同じように、背の高い頼れる女性が僕を強引に控え室へ連れ込んだ。
控え室の中には歌唱部の皆と松永先生が待っていて、僕が来たと気づくや否や笑顔で僕の復活を喜んでくれた。
「克己君おかえり!」
朱音先輩が言う。
「ただいまです!」
「水筒そこに置いといてね~」
和人先輩に言われ、小さな机の横に水筒を置く。氷が水筒の内側を叩きカランと音がした。
会話は無かった。常に緊迫した空気に包まれ話そうにも話せない、そんな雰囲気だった。
「残り10分だな」
袖をまくり腕時計を確認する先生。黒い肌に銀の時計が目立っている。
薄暗い控え室を照らす蛍光灯が水筒の側面を光らせる。手に取り一口飲んだ。ほんの少し残っているチクチクとした違和感が不安にさせたが、冬弥の言葉を思い出して違和感を忘れさせた。
「そろそろ行くか」
松永先生が言う。
一瞬の沈黙の後立ち上がり、体育館へ続くドアを開けた。使い古されたドアはギギ、と音を立てゆっくりと開いた。閉じられた幕の向こうから人々の話し声が聞こえる。
マイクスタンドの前に立つ。ここが僕の17年の人生の中での
「皆様お待たせしました!」
一花さんのアナウンスが始まり、幕の向こうはピタリと静かになる。
「メガ☆歌唱部らいぶ、開幕まであと5分!皆様応援の準備はいいですか~!?」
幕の向こうから歓声が上がる。その轟音に気圧され手に力が入った。
部員たちを見守りながら時計に目をやる。残り3分。
滝崎さんの家で作業していると知った時、正直すんごい寂しかった。陰から見守って部員たちの温もりを感じるのが教師として働く自分にとっての癒しだったのだが……
まぁ、今ここに全員集まれていることを心の底から嬉しく思う。
滝崎さんにサインを送る。
さぁ、始まるぞ――
――ん?
佐藤君…様子がおかしいな。
さっきまで声に異常は無かったが……肩が上がってきて――
「それではメガ☆歌唱部らいぶ開幕で――」
まずい――!!
「幕を開けるな!全員マイクの電源を切ってくれ!」
「ゲホッ!ゲホ!」
なんでっ……急に…
「こっち来い!」
松永先生に手を引かれ、舞台裏に連れていかれた。
「ゲホッ――ガハッ……」
激しい喉の痛みに気づけば涙目になっていた。
視界が歪む。片手で涙を拭い、深呼吸をする。
舞台裏には各クラスの出し物が並べられており、少し埃っぽい。でもここならどれだけ咳をしても観客に聞こえることはない。
深く息を吸うごとに、喉の奥が痛みを発した。
焦り、悔しさ、怒り。何処にぶつけたらいいかわからない感情の渦が痛みになり喉を叩く。
「行けるか?」
松永先生が僕に問う。
「無理なんて選択肢ッ…あるわけないじゃないですか……」
即答した。
「無茶でも歌い切ります。体育館にいる全ての人達のためですから」
我ながらものすごくかっこつけているなと思う。でも、
「歌唱部のためです」
僕は松永先生に笑顔を向ける。
「念のため持っといてよかった。ほらよ」
そう言って上着の内ポケットから取り出したのはのどの炎症を抑える薬だった。
「水無しで飲めるやつだからな」
「ありがとうございます…ゲホッ……」
薬の袋を開ける僕の横で、先生は言う。
「あんまり無理してほしくはないが……やめろと言ってももう聞かないだろ?」
笑い交じりに言う先生。
「もちろんです」
「ハハッ」
粉薬は早々に効果を発揮し、なんとか歌えるレベルまで回復した。
「よしっ、行くか」
「はい!」
「え~と、ただいま機材のトラブルが発生しているため、少しお待ちください!」
一花ちゃんが気を利かせてアナウンスする。体育館はざわめきだし、私たちの不安を煽る。
「日渡先輩!」
「あ、アナウンスありがとう!」
「克己君…大丈夫ですかね……?」
先生と克己君が駆けていった方向を見つめながら一花ちゃんが言う。
「大丈夫だよ」
猿渡君が言う。
「大丈夫に決まってるよ!」
美香ちゃんが言う。
そうだよ。私達の
「絶対に大丈夫。克己君は絶対に来るよ!」
その時、階段を上る足音が聞こえてきた。
「フフッ、ほらね!」
「すみません!」
息を整えながら先輩達に謝罪する。
「うん!大丈夫!」
朱音先輩が言う。
「よし!一花ちゃんアナウンスお願い!」
「はい!え〜と…復旧しましたので今度こそメガ☆歌唱部らいぶ開幕です!」
歓声と共に幕が開いていく。
「みなさ〜ん!こんにちはー!!」
朱音先輩が観客席へ叫ぶ。ワッと体育館が再度歓声に包まれた。
「今日は私たち歌唱部が!最高の文化祭にして見せま~す!!それじゃあ一曲目いきま~す!!」
マイクを握る手に力が入る。喉の奥が熱を持ったような気がした。
ギターの鋭い音色、ドラムの軽快な弾ける音色、キーボードのポップな音色に激しいメロディ。様々な音が乗り歌を作り上げる。イントロが終わるとそこに僕と先輩の声が加わる。
声を出すごとに心が躍動しテンションが上がっていく。声が音に乗り観客へ届き4人の音が体育館を彩っていく。
あっという間に1曲目を歌い切り2曲目に入る。
観客席に冬弥の顔が見えた。その次に両親。
どちらもまっすぐこちらも見つめている。刺さる視線に緊張しながらも必死に歌い続けた。
ハイトーンも乗り切り3曲目に突入。アミザージは4曲目。目玉の曲が控えた3曲目はかなり長く感じた。朱音先輩と呼吸を合わせ1秒1秒を音に乗せる。
4曲目が刻一刻と迫る中、一花さんの家での出来事を思い出す。
最高の文化祭にする。そう言った時から努力してきた。
歌って歌って歌いまくったあの時間が蘇る。
準備は万端。
さあ、始まるぞ――
歓声をレッドカーペットに控え室に戻る。ドアを開けると先生が笑顔で待っていた。
「お疲れ様」
部員全員で顔を合わせる。
「みんな!」
朱音先輩が言う。次に言うセリフは決まっていた。
「「「「「お疲れ様~!!」」」」
メガ☆歌唱部らいぶは無事大成功に終わり、有終の美を飾ることができた。
「頑張ったなぁ……やべ…」
先生は目に涙を浮かべていた。慌てて皆で先生に駆け寄る。
「ちょっとちょっと~!」
慌ててティッシュを取り出す数音先輩。
「先生!?」
一番驚いていたのは和人先輩だった。いくら気に入られていたとはいえ泣き顔はさすがに見たことがなかったのだろう。
「いやだって……感動するでしょ…!」
「確かにそうですけど……あれ…?」
掌に一滴の水滴が落ちる。それを涙と認識するのに数秒かかった。
「克己君も!?」
加藤君が笑い交じりに言う。僕もまさか泣くとは思ってなかった。
「もらい泣きかぁ~?」
先生が言う。いや、違う。もらい泣きではない。確かに僕の本心で涙が溢れていた。どの感情から来た涙なのか、それはよくわからなかった。
僕と先生の涙が落ち着いた後、先生の指示で椅子に座った。
「よし…改めて、みんなお疲れ様。頑張ったな」
優しい声色で話す先生を見上げる。
「三年生は最後にこんな大舞台に立てたことを俺も嬉しく思う」
先輩達と過ごせる時間はあっという間に終わる。それを今更気づいた。
そして、新たな部員がやってくることにも同時に気づいた。
それを嬉しく思うが、哀しくも思う。
「本当にお疲れ様。今日はゆっくり休めよ!解散!」
それぞれの想いを語り合いながら控え室を後にした。
「お疲れ様!」
お母さんが労いの言葉をかける。
「頑張ったなぁ~!かっこよかったぞ!」
お父さんが言う!
「ありがと!」
「晩御飯はグラタンだからね~」
「よっしゃ!」
そんな他愛ない会話をし、次に向かう先は――
「よっ。お疲れ」
「ありがと」
騒がしい校門前で挨拶を交わす。
「疲れた?」
「めちゃくちゃに」
「ハハッ」
本当に何気ない会話。そんな中いきなり予想外の発言が飛び出した。
「機材トラブル……あれ嘘だろ」
「は」
疑問形ではない。喉から反射的に飛び出した単語。
「当たりか。喉?」
鋭すぎる。
「怖すぎるわ……喉だよ」
「よく歌えたな……」
驚きと苦笑が混ざった声色で言う冬弥。
「先生が薬くれたんだよ」
「なるほど」
言おうと思っていた言葉。喉の奥でウズウズとしている。
「俺、変えられたかな?」
焦って言葉足らずになったが冬弥には伝わったよう。腕を組んで唸っている。
「うん。変えられたと思うぞ」
不確定な言い方。当たり前なのだが少し引っかかる。
「そっか」
「まぁ、またゆっくり話そうぜ」
「だな」
「今日はお疲れ様。ゆっくり休めよ」
――さて、独りになった。
日は沈みかけ生徒の影が伸びきっている。
僕は今日、人生の第一章を終えた。
第二章は今から始まる。
歌唱部は無色だった自分に鮮やかな色をくれた。
劣っていた僕は、自信が持てるようになった。
歌には人を変える何かがある。
そして、今度は変えられた僕が変える番だ。
共に歩み、笑ってきた仲間たちと。
夕暮れが校舎を照らす。橙色の空はどこまでも広がっていた。
これは僕の人生の第一章。さあ、どんな二章になるのか。
心が躍る。
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