鉄の罠

 あざ区の、とある屋敷町に、百メートル四方もあるような大邸宅があります。

 四メートル位もありそうな、高い高いコンクリート塀が、ズーッと目もはるかに続いています。いかめしい鉄の扉の門を入ると、大きなてつが、ドッカリと植わっていて、その茂った葉の向こうに、立派な玄関が見えています。

 幾間とも知れぬ、広い日本建てと、黄色い化粧れんをはりつめた、二階建ての大きな洋館とが、かぎの手に並んでいて、その裏には、公園のように、広くて美しいお庭があるのです。

 これは、実業界の大立者、羽柴壮太郎氏の邸宅です。

 羽柴家には、今、非常な喜びと非常な恐怖とが、織りまざるようにして、襲いかかっていました。

 喜びというのは、今から十年以前家出をした、長男の壮一君が、南洋ボルネオ島から、お父さんにおびをする為に、日本へ帰って来ることでした。

 壮一君は生来の冒険児で、中学校を卒業すると、学友と二人で、南洋の新天地に渡航し、何か壮快な事業を起したいと願ったのですが、父の壮太郎氏は、頑としてそれを許さなかったので、とうとう無断で家を飛び出し、小さな帆船に便乗して、南洋に渡ったのでした。

 それから十年間、壮一君からは全く何の便りもなく、行方さえ分からなかったのですが、つい三か月程前、突然ボルネオ島のサンダカンから手紙をよこして、やっと一人前の男になったから、お父さまにお詫びに帰りたいといって来たのです。

 壮一君は現在では、サンダカン付近に大きなゴム植林を営んでいて、手紙には、そのゴム林の写真と、壮一君の最近の写真とが、同封してありました。もう三十歳です。鼻下に気取ったひげを生やして、立派な大人になっていました。

 お父さまも、お母さまも、妹のなえさんも、まだ小学生の弟の壮二君も、大喜びでした。しものせきで船を降りて、旅客飛行機で帰って来るというので、その日が待遠しくて仕方がありません。

 さて、一方羽柴家を襲った、非常な恐怖といいますのは、外ならぬ「二十面相」の恐ろしい予告状です。予告状の文面は、

『余が如何いかなる人物であるかは、貴下も新聞紙上にて御承知であろう。

 貴下は、かつてロマノフ王家の宝冠を飾りし大こんごうせきを、貴家の家宝として、珍蔵せられると確聞する。

 余はこの度、右六顆の金剛石を、貴下より無償にて譲り受ける決心をした。近日中に頂戴に参上するつもりである。

 正確な日時は追って御通知する。

 随分御用心なさるがよろしかろう』

 というので、終りに「二十面相」と署名してありました。

 そのダイヤモンドというのは、ロシヤの帝政没落ののち、ある白系露人が、旧ロマノフ家の宝冠を手に入れて、飾の宝石だけをとりはずし、それを支那商人に売り渡したのが、まわり廻って、日本の羽柴氏に買い取られたもので、価にして二十万円という、貴重な宝物でした。

 その六顆の宝石は、現に、壮太郎氏の書斎の金庫の中に納っているのですが、怪盗はそのありかまで、チャンと知り抜いているような文面です。

 その予告状を受取ると、主人の壮太郎氏はさすがに顔色も変えませんでしたが、夫人を始めお嬢さんも、召使いなどまでが、震え上ってしまいました。

 殊に羽柴家の支配人近藤老人は、主家の一大事とばかりに、騒ぎ立てて、警察へ出頭して、保護を願うやら、新しく猛犬を買い入れるやら、あらゆる手段をめぐらして、賊の襲来に備えました。

 羽柴家の門長屋には、おまわりさんの一家が住んでおりましたが、近藤支配人は、そのお巡りさんに頼んで、非番の友達を交代に呼んでもらい、いつも邸内には、二、三人のお巡りさんががん張っていてくれるように計らいました。

 その上同家には、三人の屈強な書生がおります。お巡りさんと、書生と、猛犬と、この厳重な防備の中へ、いくら「二十面相」の怪賊にもせよ、忍び込むなんて、思いもよらぬことでしょう。

 それにしても、待たれるのは、長男壮一君の帰宅でした。徒手くうけん、南洋の野蛮島へおし渡って、今日の成功を収めた程の快男児ですから、この人さえ帰ってくれたら、家内のものは、どんなに心丈夫だか知れません。

 さて、その壮一君が、羽田の飛行場へ着くという日の早朝のことです。

 赤々と秋の朝日がさしている、羽柴家の土蔵の中から、一人の少年が姿を現しました。小学生の壮二君です。

 まだ朝食の用意も出来ない早朝ですから、邸内はヒッソリと静まり返っていました。早起の雀だけが、威勢よく、庭木の枝や、土蔵の屋根でさえずっています。

 その早朝、壮二君がタオルの寝間着姿で、しかも両手には、何か恐ろしげな、鉄製の器械のようなものを抱いて、土蔵の石段を庭へ降りて来たのです。一体どうしたというのでしょう。驚いたのは雀ばかりではありません。

 壮二君は昨夜恐ろしい夢を見ました。「二十面相」の賊が、どこからか洋館の二階の書斎へ忍び入り、宝物を奪い去った夢です。

 賊はお父さまの居間にかけてあるお能の面のように、不気味に青ざめた、無表情な顔をしていました。そいつが、宝物を盗むと、いきなり二階の窓を開いて、真暗な庭へ飛び降りたのです。

『ワッ。』といって目が覚めると、それは幸にも夢でした。併し何だか夢と同じことが起りそうな気がして仕方がありません。

『二十面相の奴は、キットあの窓から、飛び降りるに違いない。そして、庭を横切って逃げるに違いない。』

 壮二君は、そんな風に信じ込んでしまいました。

『あの窓の下には花壇がある。花壇が踏みあらされるだろうなあ。』

 そこまで空想した時、壮二君の頭に、ヒョイと奇妙な考えが浮かびました。

『ウン、そうだ。こいつは名案だ。あの花壇の中へわなを仕掛けて置いてやろう。もし僕の思っている通りのことが起るとしたら、賊はあの花壇を横切るに違いない。そこに罠を仕掛けて置けば、賊の奴うまくかかるかも知れないぞ。』

 壮二君が思いついた罠というのは、去年でしたか、お父さまのお友達で、山林を経営している人が、鉄の罠を作らせたいといって、アメリカ製の見本を持って来たことがあって、それがそのまま土蔵にしまってあるのを、よく覚えていたからです。

 壮二君は、その思いつきに夢中になってしまいました。広い庭の中に、一つ位罠を仕掛けて置いたところで、果して賊がそれにかかるかどうか、疑わしい話ですが、そんなことを考える余裕はありません。ただもう無性に罠が仕掛けて見たくなったのです。そこで、いつにない早起をして、ソッと土蔵に忍び込んで、大きな鉄の道具を、エッチラオッチラ持出したというわけなのです。

 壮二君は、いつか一度経験した、鼠捕りを仕掛ける時の、何だかワクワクするような愉快な気持を思い出しました。併し、今度は相手が鼠ではなくて人間なのです。しかも「二十面相」というたいの怪賊なのです。ワクワクする気持は、鼠の場合の十倍も二十倍も大きいものでした。

 鉄罠を花壇の真中まで運ぶと、大きなのこぎりのついた二つの枠を、力一杯グッと開いて、うまく据えつけた上、罠と見えないように、その辺の枯草を集めて、おおい隠しました。

 もし賊がこの中へ足を踏み入れたら、鼠捕りと同じ工合に、たちまちパチンと両方の鋸目が合わさって、まるで真黒な、でっかい猛獣の歯のように、賊の足くびに食い入ってしまうのです。家の人が罠にかかっては大変ですが、花壇の真中ですから、賊ででもなければ、めったにそんな所へ踏み込む者はありません。

『これでよしと。でもうまく行くかしら。万一、賊がこいつに足くびをはさまれて、動けなくなったら、さぞ愉快だろうなあ。どうかうまく行ってくれますように。』

 壮二君は神様にお祈りするようなかつこうをして、それから、ニヤニヤ笑いながら、家の中へ入って行きました。

 実に子供らしい思いつきでした。併し少年の直覚というものは、決して馬鹿に出来ません。壮二君の仕掛けた罠が、のちに至って、どんな重大な役目を果すことになるか、読者諸君は、この罠のことをよく記憶しておいて頂きたいのです。

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