食卓

 どうやらいつの間に寝てしまっていたようだ。先ほどまでは暖かな日差しが降り注いでいた窓を見やると外は薄暗くなっていた。もう少しすると父に夕食に呼ばれるはずだ。

 父は私と会話するのを避けてはいたが、食事の時は無言ではあったものの私と父の2人だけで時間を共有していた。回帰前の私には、それが苦痛で苦痛で仕方なかったが、これはまたとない機会だった。誰にも怪しまれることなく、1時間ほどは父と2人だけで話す事ができる。

 私はそこで父に話す。回帰して来たことを話し、協力を仰ぐ。誰が敵なのかや、いつから私を陥れようとしていたのかなどの全容は明らかになっていないため、今の状況で誰かを信用するのは明らかに危険なのだが、私の父だけは信用しても良いだろう。私をあんなに愛してくれていた父ならば。

 私はメイドのマーニーを呼び、着替えの準備をさせた。昔は面倒くさいとしか思わなかった着替えや化粧も今となっては楽しみでならない。これからはもっとオシャレに勤しんでも良いのかもしれない。

 メイド達にドレスを持って来させて、吟味する。回帰前、私は暗い色が好きだったのだが、暗い部屋に閉じこもっていたり牢屋に長いこといたせいだろうか。暗い色は見るのも嫌になっていた。

「あら、シャンタル様。いつも着用されているのお気に入りの服じゃなくてよろしいのですか?」

 マーニーが不思議そうに尋ねてくる。この癖っ毛で、のほほんとした雰囲気を醸してはいるがあらゆることで有能かつ優秀であったメイドは、回帰前私に付き従っていたがゆえに殺されてしまった。

 私の噂が流れ、公爵家ももう終わりだと人々にまことしやかに囁かれていた時期にメイドや執事は屋敷を去っていく中、屋敷に留まり私の面倒を見てくれたこの少女を今回は救いたい。

 しかし、彼女に全てを話すのは辞めておくつもりだ。一端のメイドである彼女にそんな重責を課し危険に晒すことはできないことはもちろんのこと、私が回帰前にしなかった行動をすることで以前と状況が変わることだってありえるのだ。彼女と私はただの使用人と主人という関係に過ぎず、過信することは私の身を危険に晒すのと同じことだ。

「ええ。……今着ているような明るい色の服も良いと思ったの。今までは、なんというかお父様に認められたい一心で背伸びをしてシックなものを着ていたけれど、子供の頃にしか着れないようなこういう華やかな服を着るのも良いと思って」

 適当な御宅を並べながら脇目でドレスを見やり、眉を顰めた。

 正直言って、以前の私のセンスを疑わざるを得ない。以前は湖のような美しい澄んだ色だと思っていた私のお気に入りだったドレスだが、アオコが大発生した沼水の色をしているように見える。パンに生えたカビの色とも言えるかもしれない。

 他のドレスも総じて珍妙なものばかりだ。少し変わっているね、なんてレベルではない。喪服のように黒いもの、泥のような色のもの、色はまともでもデザインが狂ってるとしか言いようのないもの、当時から見ても流行遅れなものが全体の95%を占める勢いだ。

 今までこんな服装で、煌びやかなパーティに出席していたことに恥づかしさまで覚える始末である。

 ーーお父様、よく私がこんな服装でパーティーに行くことを許可していたわね。私の意見を尊重してくれるのも良いけれど、これは流石に指摘してほしかったわ。

 これらのドレスは近いうちに処分して、新しい服を買いにいこうと決心した。

「あらっ、そのドレスはっ!」

 私の選んだドレスを見て、マーニーは恋をする少女のように顔を赤らめ歓喜した。

 私が選択したドレスは、私が所有するドレスの中では珍しい淡い桃色のデザインも流行に則ったものだ。このドレスは確かエリオットからのプレゼントだったと記憶している。エリオットにもらった服を着るのは大変不本意なのだが、父に会いに行くのに珍妙なドレスを着ていくわけにはいかず、それを嫌々選択した。

 エリオットは色々なことが壊滅的で残念な男だが、服を選ぶセンスはあるらしい。使用人に選ばせている可能性もあるが、そこは憶測で語っても仕方がない。何はともあれ、あいつを許すことは天変地異が起ころうが世界が滅亡しようが一生ないのだが、これだけは褒めてやることにした。

「シャンタル様は本当にエリオット様のことを愛していますね〜!」

 ーー彼女に罪はない。私とエリオットに何があったのか知らないのだからとなんとか自分の心を制御する。

 今の時期、すでに私とエリオットは何度か顔合わせを済ませ、一緒に遊んでいる。2人がお互いに淡い恋心まで抱いていたような気がする。将来を誓い合っていた。それが将来あんなことになろうとは自分でも驚きだ。

 私は肯定も否定もせずに、宝石箱からお気に入りの母の形見のネックレスを首に掛けた。母は私が幼い頃に亡くなってしまったのでどんな人だったのかはよく覚えていないのだが、私の頭を撫でる母の手は優しかったことはだけは覚えている。これをつけていると母からエールを貰えるような気がして、重要な事がある時はいつもつけていた。まあ、回帰前はこれすらも失ってしまったのだが。

「ねえマーニー、私にこのドレス似合うかしら」

「ええ、もちろんです! シャンタル様はなんでもお似合いになりますね、羨ましい限りです! では、私は髪型をセットさせていただきますね!」

 マーニーはニコニコと人懐っこい笑みを浮かべながら言った。人に褒められるのは気分が良い。牢屋では罵声ばかり浴びせられてきたので余計にそう感じるのかも知れないなとメイド達に見えないように自嘲した。



 私の支度が済んですぐに、父に夕食に呼ばれ、ダイニングに続く廊下を歩く。

 私を目の前に頭を下げる使用人たち、一点の曇りもないガラスが張られた窓とそこから見える手入れがされた庭園、廊下の端や壁にある芸術品、鏡のように磨かれた床とそこに敷かれた朱色の絨毯。使用人に怪しまれない程度に、感慨深い気持ちでそれらを見ながらしばらく歩きダイニングの扉の前に立った。

 ーーこの先にお父様がいる。

 バクバクと音を立てているネックレスを握りなんとか落ち着こうと試みる。

 現在、私の中ではさまざまな感情が嵐のように吹き荒れていた。父が生きていることに対する喜びと安堵、早く父に会いたいという焦燥感、私の話をはたして信じてくれるのかという不安。

「シャンタル様大丈夫ですか?」

 いつまで経っても部屋に入ろうとしない私を怪訝に思ったのだろう、マーニーが声をかけてきた。

「先ほどまで寝ていたせいかぼーっとしてしまっていたみたい。……開けて」

ーー大丈夫。今まであまり話したことのない父に自分から話しかけて、私は未来から回帰してきたことを信じてもらって、私が食人鬼であるというデマを流されてエリオットに婚約破棄されて父が死に、私もなんやかんやあってギロチンで処刑されたことを話すだけじゃない。大したことじゃない、ないのよ。

 気持ちを固めて前を向く。大丈夫、父は信じてくれる、はずだ。

「お父様お待たせしました」

  ドレスの両裾を少し上げて足をクロスしお辞儀をする。

 ああ、と私と目を合わさないままそっけない返事をする父に対して安堵した。何も変わってはいない。これはただ距離の空いた娘とどのように接すれば良いのか分からないからそう見えてしまうだけで、そっけないわけでは、私のことが嫌いというわけではないのだ。

 使用人たちが部屋から出ていき、扉が完全にしまったことを確認し、内側から父に気づかれないように鍵をかけた。

 そして、意を決して父に話しかけた。

「お父様、お話があります」

 父が目を見開いた。

 ーー食事の時間に私から父と話す、なんて事したことがないし当たり前よね。

 終始無言の食事を思い出す。母が生きていた頃は、彼女が場の雰囲気を取り持ってくれていたが、彼女が亡くなると私も父も一体何を話せば良いのかが分からなくなり無言を貫い抜いていた。今となっては懐かしい思い出となっているが、昔の私にとって食事の時間というものは地獄とも言える時間だった。

「……どうしたんだ、一体」

 父は探るような目で私を見た。

「どうしても父に知らせねばならないことが沢山あります。1時間でどれほど話せるかは分かりませんが、私が今からお話しすることは全て嘘偽りのない本当のことです」

 私は話しながら父が座っている場所に歩いて行き、父の席から斜め左の位置に座った。

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