どうする家康はどうすれば良かったのか?四話で脱落した私が考える「大河ドラマどうする家康」の問題点
祈Sui
脚本あっての演出と役者である。
私はドラマの制作がどういうものなのかは知らないが
脚本あっての役者だと思っている。どれだけいい役者を揃えても脚本が稚拙であれば、それは大根と化し、脚本が優れていれば、役者はその実力も相まって名優となる
演出もまたしかりである。そして優れた演技や演出は脚本をさらに輝かせる。
だが、その逆は無い。どれだけ優れた演技も、優れた演出や音楽も稚拙な脚本を名作にはしてくれないのである。
本作はそれが顕著だ。
演じている役者さんたちが気の毒になるほど、キャラクターが生きていない。
これは本作の脚本家さんが、時代劇や群像劇を書くのが得意ではないからではないかと私には思える。どんな人なのかは詳しくないので断定は避けるが……
どうする家康の脚本は、戦国時代大河ドラマの戦記物というよりも現代コメディ寄りのホームドラマじみている。
だから国同士の戦争やそれを治める者達の考えに焦点は当たらず、主人公のすぐ近くの人々とその間に起こる出来事に焦点があてられる。
(例えば、主人公の願いがどこまでも妻と再会したいだったり、残された瀬名を氏真が抱こうとしたり、助けてって手紙書いてみたり)
織田家、徳川家、今川家というよりも、いわば織田ファミリー、徳川ファミリー、今川ファミリーなのである。凄く身近なご近所付き合いの物語のようにすら見える。
織田さん家と今川さん家は御近所仲が悪くて間に挟まれた徳川さんが自治会で喧嘩を始めそうな両者を宥めようとしているみたいな。そんな凄くこじんまりした物語に本作は見えてしまう。
想像ですが、脚本家さんは家康の人生を自分の得意な物語の枠にはめたのだと思う。
けれど、それが有効には働いていない為、戦国時代のいくつかの設定や衣装を利用した現代劇のようになってしまった。
大河ドラマにのぞむにあたっては、そうではなく、自分の手法は一度置いておいて、戦記物というものに真っ向から挑戦し、そこに自分の得意を追加すべきでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます