『高嶺の花』だってくだけたい。
四乃森ゆいな
第一章
プロローグ「咲良優花に惚れるのだけはやめておけ」
よくこんな『噂』を耳にする。
――『高嶺の花』には誰よりも優先する好きな人がいる、と。
◇
校舎内という限られた空間の中で生徒同士が対話する内容の8割は、誰かの耳にも自然と根付いてしまうもの。
意外な人同士の恋愛事情であったり、今日やって来た転校生であったり。
「――なぁ、これ先週の合コンで合った隣町の学校の子なんだけどさ……」
「うおっ! めっちゃ美人じゃん!」
「だろ!?」
――なんていう、如何にも男子高校生らしい会話だってその1つ。
特別そういった話に興味が無くても耳に届いてしまう。ゼロから全てを記憶している人間なんて余程の強靭でない限り居ないだろうが、断片的な会話は特に記憶の中に残りやすい。
それこそ、インパクトが強い単語や噂話なんてそうだ。
人は無意識の内に他の人の話を聞き取ってしまっているという。たとえ廊下ですれ違った際に聞こえてしまった会話さえも。
「――でもなぁ、どうしてもあの人の幻影がチラついちまって上手く声かけらんなかったんだよ。勿体ないことしたなぁって俺自身も思ってんだけどさ、どうにも吹っ切れなくて……」
「お前も懲りねぇよな。いい加減諦めた方がいいだろ、高望みしてるといつかこけるぞ」
「いや、頭の中ではわかってんだけどどうしても気になるじゃんかよ! あの
「それはマジで気になる! でもこの学校にいる生徒じゃ無さそうだよな」
「……もしかして、年上の社会人とか!?」
「あり得る!」
ねぇよ。と心の中でひっそりと呟く。
こうやって噂は規模が増していくんだな、しみじみ。
夕日が射し込む放課後の校舎内で、そんな会話を繰り広げる男子2人が廊下を歩いていく。
意識なんて向けていないのに、自然と耳の中で先程までの会話が反復する。耳障りだと思いつつも、どうしたって他人事に出来ない内容にそっとため息を吐く。
『
整った顔立ちに細部まで手入れされている長い茶髪、見る人を無自覚に引き付ける綺麗な茶色の瞳が特徴の美少女。この学校で知らない人などいない『高嶺の花』だ。
誰が最初にそう呼んだかは知らないが、勉学に隙など無く大学の模試問題もほぼ満点解答、スポーツをやらせれば一度見ただけで覚えてしまうほどの才覚を持ち、芸術に関しても幼い頃から続けているピアノの腕前は最早教師も腰を抜かすほど。これは高嶺の花と呼ばざるを得ない。
更に彼女は人当たりも良く、男女分け隔てなく均等に接するため敵も少ない。唯一あるとすれば入学初期の頃にあった一部の女子からヘイトぐらいだろうか。
ただその事件も1週間も経たずに沈静化された。そのときの被疑者は全員、その件の一切を黙秘しているらしい。当時はかなり話題にも挙がっていたが、今ではそのときの話を一文字も聞かなくなった。中高大一貫のこの学校で平穏な生活を送りたいなら賢明な判断だろう。
「………」
もうすぐ時刻は午後6時を指す。
校舎の中に生徒はほとんど残っていない時間帯。そんな時間であるにも関わらず、俺はもうすぐ戻って来るであろう『幼馴染』を待っていた。
「……帰ろうかな」
中々教室に戻って来ない幼馴染を待つのにも退屈してきた頃、俺――『
そして机の上に置きっぱなしのスマホを手に取った瞬間、教室の前扉が勢いよく開いた。
「今、帰ろうとしませんでした?」
「正解。よくわかったな」
「机の現状を見ればおおよその見当は付きますし、なによりもうこんな時間ですからね。生徒の皆さんはとっくに下校している時間ですし」
「あ、それもそうか」
廊下から顔を覗かせたのは、この学校の高嶺の花――『咲良優花』だった。
夕暮れの光が射し込んだ教室内での彼女は、より一層輝きを増している。むしろ夕日が彼女自身を照らそうとしているようにも思えるほど夕焼けが良く似合う。
「まぁ本当のことを言えば、扉を開ける1分前から教室の様子を覗いてたんですけどね!」
夕焼けがバックにきた影響での逆光で、彼女がほんのり笑みを浮かべているように見えた。もちろん、歓喜による笑みなどではなく、好奇心から生まれた小悪魔のような悪戯っ子な笑みだ。
「……お前はあれか。人間界に降り立った天使と見せかけて人間を地獄に連れ去って行く悪魔かなんかか?」
「……なんのことでしょう? そういったお話は専門外で――」
なるほど、まだそのスタイルを崩すわけにはいかないってことか。
曲げるつもりはないらしい彼女の笑みを一旦スルーし、俺はため息交じりに鞄を持って教室を出る。
そう、彼女こそが俺の幼馴染。この事実は一部にしか知られていない。
そして彼女の内面についても――。
「そういえば、お礼を言っていませんでしたね。ありがとうございます! こんな時間まで教室で待っててくれて」
「別に」
「素直じゃありませんね。そこは『夜道に女の子1人で帰すのは危ないだろ』みたいなことを言ってくれても良かったと思うんですが」
「そんなベタな台詞を言うのは恋愛小説に出てくるヒロインの王子ぐらいだろ。俺にそんなキザで恥ずかしい台詞が言えると思ってるのか?」
「おや、言ってくださらないのですか? それは残念です」
俺の隣を歩く彼女は落胆する。
優花の様子からしてみてもどうやら本当に言わせたかったようで、俺は横目で見た彼女の反応に若干後悔しながらも昇降口へと向かう。
靴箱から取り出した靴を履き替えていると、ふと彼女からため息がこぼれる。
「……ん、どうした?」
「あ、いえ。また知らない間に恋文のようなものが入れられていただけです」
「あの『噂』があっても尚、その噂に怯まず告白しようとする猛者がいるんだな」
――『咲良優花には好きな人がいる』。
付き合っている人がいると決まったわけではないが、その噂が学校内に流れ出した際には確かに効力があった。
ある者は涙を枯れるまで流し、ある者は学校を休むほど気持ちが滅入り、ある者はその人物を心底妬んでいた。これだけでもどれほど彼女が人気なのかが伺えて困る。
「ですね。ですが最近は、告白というより私の想い人を知ろうとする呼び出しの方が多いですけどね……」
「え、まさかのカチコミタイプ……?」
「こういうのが1番困るんですよね、どう答えるべきかなと」
優花は苦笑いをしつつ手紙を鞄の中へと仕舞う。
ここで開封する意志は少なくともないのだろう。帰宅してから中身を確認するのかは俺の知るところではないだろうが、けれどなんとなく開けない気がしている。そしてその予感は早くも的中した。
「あ、肝心の用事を忘れるところでした! 今日、夜ご飯は水無月君のお家でいただいてもいいでしょうか? 両親が夜遅くまで残業らしくて、夕飯も外で食べてくるみたいなので」
「それで今日待っててほしいってメールしてきたのか」
「えぇ! こういうのは直接申し出ないと断られる可能性大ですからね!」
「よくわかってるな、俺の性格」
「もちろんですよ、幼馴染ですから!」
昇降口を真っ先に出た彼女は、後ろにいた俺へと振り向きながら笑みを浮かべる。
その笑みは“優等生”としての咲良優花とはまるで別人のようで、品行方正な彼女とはどこか印象が違う“幼い笑顔”のようだった。
◆
――高嶺の花の彼女は完璧美少女だ。
誰もが憧れる彼女の姿は、同性異性問わず引きつける魅力がある。
幼馴染として、彼女のその姿に憧れたことは少なからず存在する。
自慢の幼馴染だと、胸を張って自慢したいと思ったことだってもちろんある。
だがそれは『仮想』の話。
彼女が青春たっぷりの学校生活を平穏に過ごすために作り出した『偽物』だ。
ハッキリと言おう。――咲良優花に惚れるのだけはやめておけ。
高嶺の花の彼女を好きになるのは勝手だが、高嶺の花としての“理想”をそのままに、彼女を好きになるのだけはやめておいた方がいい。
誰からも注目される彼女だって人間だ。
天国から遣わされた天使でも、地獄から召還された悪魔でもない。
どんな人間にだってストレスは溜まる。
そしてストレスが溜まれば発散したくなるものだ。
無論それは、彼女だって例外ではない。
「――なぁ、ここのシーンどう思うよ。ボクはね、もう少し過激なのでもいいと思うんだけどさ。恋愛小説なんだし、ラブコメじゃできないことしようぜ~」
「……どうでもいいが、俺のベッドを独占してんじゃねぇぞ。あと恋愛小説はBLじゃねぇ」
「ふぁ? こんなぐったりできるスペースがあるなら取り合いになることは必然! そんな勝負の場から飲み物を取りに行こうと下へ降りてしまったオマエは敗北者へと成り下がっちまうわけだ。だからここは既にボクの占領下にあるわけだよ。あ、飲み物サンキュ~」
「はぁ……とりあえずその本返せ、俺まだ読んでない」
「先月発売なんだから読んどけよラノベマニアめッ! あとな、ボクは腐女子観点でこの小説を読んでるんじゃない。夜を共に過ごす場面があるのに濡れ場が無いとはいかがなものかと説いてるんだ!」
「全年齢対象作品だぞそれ!!」
――咲良優花。4月産まれ、御年16歳。
高嶺の花と呼ばれた咲良優花と同一人物であり。
俺――水無月蒼真の幼馴染兼カノジョでもある。
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【次回、10月4日(金)夕方公開予定】
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