孤独の隣人

返歌

第1話

例えば餓死寸前の人間の目の前に、絵に描いた餅があったのなら、その人間はその絵に幾らの価値を付けるだろうか。

答えはゼロ。何故なら金は命に換えられないからである。

例えば限りない絶望の淵に立たされた人間の目の前に、希望に満ちた絵があったのなら、その人間は幾らの価値を付けるだろうか。

答えは全財産。何故なら希望を手にした人間は共に未来を手にすると信じているから。

絵になんかは興味は無いって?

そりゃあ、良い。君は大変、恵まれている。

それじゃあ何故、地位も権力も財産も手にした人間が、希望に満ちた絵を欲するのか。

それは、独り占めしたいからに決まっている。

それか猿真似の一種だろう。

それじゃあ何故、地位も権力も財産も手にした人間が、絶望に満ちた絵を欲するのか。

それは、足りないパーツを探しているのだ。


けれどもそんな時代は、とっくの昔に終わっている。


これをもしくは人類の衰退と捉えるのも良しとするが、ましてや、生産性を重視した経済活動であると主張するのもあながち間違ってはいない現実である。

そう、胸糞悪い話でもない。

例えば金が、欲にまみれた事物であるなら、芸術は、欺瞞に満ちた虚構である。

そこに良し悪しなんて存在はせず、強いて純粋さに重きを置くなら、社会性に欠く芸術が一歩上回るだろう。

人は生まれながらに孤であるが、群れでもある。

けれどもし、現代において人類が、次なる進化として感情の共有と理解を目的とするのなら、芸術を扱わない理由などないだろう。

普遍で、汎用で、無価値であろうと、自身の証明に心血を注ぐ現代では、それこそが最も共感を得る事の出来る特別性であり、普遍の中の唯一性、欺瞞の頂点。さながら芸術的な人生と言えるのではないだろうか。

感受性の欠けた、実用的で機能的な芸術である。

人類はその様に進化した。


近い将来、そうせざるを得なかったとでも言いたげな人類に、笑顔を以て接しよう。

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