第51話 ヒーローは遅れてやって来るもの

 わずかに残るビルの外壁が切り刻まれて吹き飛んだ。

 その影響で、ビルがその階層を境に上の部分が傾いてしまう。


「派手にやってるなぁ、おじさん」


 しとねが呑気に感想を漏らす。そのスピード感のなさに、界人かいとは声を荒らげた。


「なにしてる、早くあいつらを止めないと!」

徳川とくがわくんって、市長の息子のわりには落ち着きがないよね。それとも、市長の息子だからって言った方がよかった?」


 界人はしとねの肩を掴んで声を震わせる。


「ふざけるな。これ以上被害が広まるようなことは許されない」

「じゃあ、仲裁に入ればいいじゃん。ウォッチドッグスなんでしょ?」


 なんとか自分自身を支えていたプライドが目の前のビルのように折れ曲がってしまう。界人は何も返せない自分に怒りを覚えていた。しとねは界人の手を払って、伸びをした。


「わたしだって考えてるんだよ。止めるとすればおじさんの方だけど、そうなると、広告殺しアドキラーを残すことになるでしょ。未知の相手と命のやり取りなんかしたくないんだよね」


 真剣な表情で髪を結んでいるゴムを外して、ツインテールの髪を一つまとめにする。そのポニーテールを根元にぐるぐると巻き付けてもう一つのゴムでパチンと止めた。

 細く白い首、小さく浮き出る喉仏が上下する。


「とっくんのことはさ──」

「勝手に僕のあだ名を決めるな」

「かいちゃんのことはさ──」

「ふざけてる場合じゃない」


「君のことは戦力に換算してないんだ、悪いけど。いや、別に悪いと思ってるわけじゃないけど、そう言っておくのがお決まりみたいなところあるじゃん。とにかく、わたしの邪魔はしないでほしいわけ」


 歯に衣着せぬ言葉に心を切り刻まれる痛みを感じる暇も界人にはなかった。折れ曲がったビルがその首をさらに曲げ始めたのだ。

 異常事態を察知した野次馬が集まって、ビルの周囲に人だかりができている。


「僕だって戦える」

「さすがのわたしも寡黙モードに移行してるからアレだけどさ、戦えるのと戦力になるのとでは次元が違うよ。めっちゃ強いアニメキャラでも、現実の女児一人だってぶん殴ることはできないじゃん。あー、たとえを間違えたか。それじゃ、君がまるで役に立たないって言ってることになっちゃうな」


 界人も薄々感づいていた。

 いや、感づいていたことを認めたくはなかった。


「機動力のある広告治安局アドガードのみんながやって来たね」


 藍色の空をバックに複数の人影がビルの方へ飛翔して来る。

 戦いが繰り広げられる階層へ雪崩れ込んだ数人が、カメレオンの舌のように高速で伸びる広告殺しアドキラーの腕に薙ぎ払われて、バラバラになって消え去って行った。


「本格的にマズい!」


 界人はズタズタになった屋上の縁の上で戦闘態勢を取った。その後ろで、しとねが声をかける。


「徳川くんはさ、広告治安局アドガードのみんなと協力して周辺のビルの中の人たちとか野次馬を避難させてよ。市長の威を借るドラ息子ってな感じでよろしく」

「父さんをそんな風に使わせるな!」


 界人の隣に立ったしとねが冷淡な瞳を向けた。


「使えるものは何でも使いなよ。つまらないプライド抱えたまま死んだら後悔しか残らないよ」


 しとねは戦いが続くビルへ身を投じていった。




「こいつの相手をオレに任せて逃げたのかと思ったぞ」


 土井どいが肘から先を失った右腕でしとねを指さす。激しく動き回っていたはずだが、活力充填リフレッシュを活用することで体力をカバーしていたようだ。


「ごめんごめん。わたしって傍観者ウォッチャーみたいなところあるからさ、おっちゃんが頑張ってるの応援してたよ」

「そんな声援は聞こえなかったが」


 沈みゆく濃いオレンジ色の太陽を背に、広告殺しアドキラーが佇んでいる。


「オレの勘だが、、奴に広告術アドフォースは効かない」

「んなバカな。っていうかおじさんさ、原則解除もうやめてくれない? 紅の雨が降りそうで危なっかしいよ。自分の子どもが包丁握ってるみたいなハラハラ感があって、またわたしの母性よりも先にお母さんになってる感が強まってきてやばいんだけど」

「奴にも弱点があるかもしれないだろ。運良く当たればそのまま殺したままにできる」

「その前におじさんさ、〝勘〟ってなによ? 大人のくせにターゲットの分析もまともにできないんじゃ、再就職難しくない?」

「オレを勝手に解雇するんじゃない」

「活躍の日々を回顧する時は来るでしょ。おじさんは玄白もびっくりするくらいやりすぎたよね。その罪を解体して後世の役に立たせるべきとすらわたしは思うよ。何が言いたいかって言うと、わたしはわたしの目で見たものしか信じないってこと」

「そんなこと言ってなかっただろう」


 しとねの眼光が鋭くなる。


「言っておくけど、これは中立主義者ニュートラリスト広告術アドフォースだけ契約してるやつだからね──【強炭酸スパークハイ】抽出エクストラクテッド……、総身強化エンハンスト・ボディ


 しとねの全身に力が漲り、身体のまわりにスパークが走る。


「誰に向かって説明したんだ」


 土井の指摘を無視して、しとねは超至近距離愛コンシダレーションを発動させた。瞬間的に間合いを詰めて、広告殺しアドキラーの顔面に拳を叩き込む。


 強炭酸を表現するために、【強炭酸スパークハイ】の広告では登場人物が壁をぶち破る演出を行う。


 しとねが抽出するのは、壁を破壊する広告効果ではない。それは低い解像度で広告効果を抽出した時に得られる広告術アドフォースだ。


 高解像度では、それを可能にする身体強化術である総身強化エンハンスト・ボディを抽出する。


 それが広告術アドフォースの使い手としての技量を示すのだ。


 拳が空気の層をぶち破って衝撃波を発生させる。土井は少し離れた場所にいたにもかかわらず、ものすごい圧力を全身に受けることになった。


 上半身が惨くひしゃげた広告殺しアドキラーが、中空に吹き飛んでいく。しとねがニヤリとする。


「なんだ、効くじゃん」

「言ってなかったが、広告術アドフォースを間接的に利用すれば効くってだけだ」


 土井は悔しまぎれに言葉を返したが、しとねは人差し指を振り振りしつつ、得意満面の顔を向けた。


「おじさんがあいつをベコンと蹴り伏せたのを見て、物理攻撃は効くって分かってたからね。まさに物理を鍛えて──」

「バカ! 後ろ!」


 二筋の水の糸が交差してしとねに直撃──しとねは超至近距離愛コンシダレーションで土井のそばに高速回避していた。



 広告殺しアドキラーが中空に浮いていた。

 無残にひしゃげて裂けた身体から頭がいくつも生えだす。


「今の……見た、おじさん? っていうか、浮いてるよ、あいつ」

「奴が広告術アドフォースを……」


 黒い身体から生えたいくつかの頭に切れ目が入って、パックリと口のように開く。異形の者である。


「〝私たちは〟──」

 女性の声だった。

「──〝貴様をおぉ!〟」

 次は気合に満ちた男の咆哮。

「〝安らかな眠りのために……〟」

 穏やかな女性の声。次は真摯な男性の声。

「〝努力を続けていきます〟」


 いくつもの口が異口同音に異なる調子と声で、しとねと土井へ語りかけていた。


「わたし鳥じゃないのに鳥肌立ってるわ」

「言われなくてもお前が人間なのは知っている」

「この声……CMで聞いたことあるやつばかりだよね?」


 しとねがそう尋ねると、土井も認めざるを得ない。


「こいつ……複数の広告を取り込んでいる。それに、オレの広告術アドフォースも……。何者だ?」

広告殺しアドキラーって折衝役わたしたちは呼んでんだけどさ、ぶっちゃけまだ何も分かってないのよ」

「お前、さっきはオレに戦わせてデータを取っていやがったな?」


 しとねがベロを出して応える。


 広告殺しアドキラーがスーッと空中を移動して、コンクリートの床に足をついた。いくつもの頭と口が蠢く。


「〝ご希望される方には……〟〝死亡の場合には〟〝セットでお得に!〟」

「キモい奴……」


 しとねが吐き気を催していると、広告殺しアドキラーの上半身がメキメキと音を立てながら修復していく。黒い顔、そこに穿たれた顔よりも漆黒の目、黄ばんだ牙の目立つ口がパックリと開く。


「〝え、まだ迷ってるの?〟〝だったら、今すぐ〟〝ごくらくぅ~!〟〝準備はいい?〟」



***



 阿戸あど市の各所を繋ぐハイウェイを、そのバンは高速で走り抜けている。運転席では、千代せんだいがハンドルを握る。


「何がどうなってるの?」


 助手席では、大久保おおくぼがタブレットに忙しなく指を滑らせている。


細見ほそみのビルで大規模な戦闘が発生しているようだ。周辺の建物に加えて、人的被害の報告も不正確ながら入ってきている」


 運転席と助手席のヘッドレストを掴んで身を乗り出すのは、松井まついだ。


「おぼっちゃまが向かったのもそこだろうぜ。あのイッちまった目はちょっとやそっとじゃ止まらんと思う」

「なんてことを……!」


 隣でアリサが嘆くのを松井は訝しげに一瞥したが、心の中の言葉を分別なく吐き出すほど状況が読めていないわけではない。

 千代が前方に向けた目を呆れたように細める。


「あの車、危なっかしくて見ていられないわね……」


 前方で周囲を切り裂くように行くのは、刑事たちの乗った車だ。



 土井に監視デバイスの仕込みが露見し、戦いが勃発した。その後に現れた折衝役コーディネーターが土井と共に細見の方へ戦いの場を移し、それを界人が追って行ったのを見送った松井は、大久保たちを現場に召集。すぐさまバンに乗って界人を追うことになった。


 その時点で、すでに細見で事件発生の報を受け取った詩英里しえりたちも同じように現場に急行すべくハイウェイをひた走っているのだ。



「マスコミが報道を始めたぞ」


 大久保がタブレットをみんなが見えるように掲げた。

 現場近くの路上からカメラが捉えた映像だ。建設途中のビルが中層階で折れ曲がっており、上層部では激しい水飛沫が上がっている。


「土井の仕業だな。戦っている相手はおそらく例の折衝役コーディネーターだ」

「なんでこんな場所で……」


 千代が不安に声を歪める。松井は頭を掻き毟った。


「住宅街で戦うのを避けて……だと思うが、細かい理由は知らん。まあ、何を考えているのか分からんしとねガキだったが」

土岐ときさん、界人さんに遠隔会話テレローグは繋がらないですか?」


 アリサが後部座席から問いかける。


「それが、界人くん側が接続を拒否しているようなのよ。遠隔会話テレローグは向こう側の承諾がなければ繋ぐことはできないわ……」

「とにかく」大久保が気を引き締めるように語気を強めた。「現場に到着次第、状況の確認と被害拡大防止、必要ならば、停戦対応を行う」


 松井が小さく笑みを浮かべながら言う。


「別に便利屋として見ているわけじゃないが……、市長ボスは呼ばないのか?」


 大久保は振り返らない。


市長ボスは必要な時に動く。それだけだ」



***



 戦いは激化する。

 広告殺しアドキラーが召喚した無数のモンスターの群れを吹き飛ばしながら、しとねと土井は得体のしれない存在と戦わなければならなかった。


モンスターこいつらには広告術アドフォースが効く!」


 ビルの縁から飛び出して、空中で水の糸を縦横無尽に走らせると、竜の大群が切り裂かれていく。


 別のモンスターを相手にしていたしとねが即時逢瀬ランデブーを発動させ、自身の回避と空中の土井の回収を同時に行って、ボロボロに朽ち果てた奥の物陰へと退避する。


「状況を立て直すにも厳しいぞ」


 土井が小さな声で弱音を吐く。

 広告殺しアドキラーが、獲物を探すようにしとしとと足音を立ててコンクリートの床を踏みしめてやって来た。


「〝いつでもどこでも〟〝私たちは切り拓きます〟〝ダルダルのおなか……〟」


「だぁれがダルダルのお腹じゃいっ! わたしは太らん体質だって言ってるでしょうが。フトランティウスと呼んだっていいよ! ああ、それじゃ、男の名前になっちゃうか。まあ、いっか、性別の垣根を超えてこそ、この☆天才美少女☆──いや、☆天才美人間☆摂津せっつしとねちゃんの魅力が浮き彫りになるってもんだもんね」

「お前はバカか!」


 広告殺しアドキラーの顔なき顔が、隠れていたしとねたちを捉える。


 敵意をもって高速で伸びるその腕に、上空から光の帯が降りかかった。


 一つの人影が黒く禍々しい腕を踏みつけて着地したのだった。

 高校の制服が汚れている。

 その背中は、さきほどしとねと別れたはずの界人だった。


 異形の者の肩越し、遠い山の稜線に赤い太陽が没しつつある。

 界人は広告殺しアドキラーの胴体にそっと手を触れた。

 太陽を映して燃える界人の目は、その一瞬に全てを注ぎ込むように輝いた。


宇宙そらの彼方で燃え尽きろ──【ルートマスター】抽出エクストラクテッド……、終着跳躍ディスティネーション・ジャンプ!!」


「あ、バカ……!」


 しとねが叫ぶより早く、界人は広告術アドフォースが不発に終わったことを知った。


 黒い光が走るようにして──、

 界人の右腕が切り飛ばされた。

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