第49話 急戦と雄弁
しとねの拳を受けた
つまり、そこには
──全員を殺さねば。
土井は殺意に駆られていた。
なぜなら、自分自身にはもう後がないということを分かりすぎるほどに分かりすぎていたから。
──【リダックス】
「あいあいあいあい、視野狭窄起こして目の前が美少女に替わっちゃってるの気づいてないじゃん。ダメだよ、まったく」
いつの間にか、界人としとねの位置がすっかりと入れ替わっている。土井は狼狽えた。
だが、爆発的に発生する大質量の水流は止められない。
「なら、まずはお前からでいい!」
「わたしの華麗な
不満げなしとねの身体を
しとねはダブルピースをかまして、得意げにキラリと白く光る歯を見せた。
「こいつがわたしの
通信事業者であるUSCが次世代コミュニケーションとして掲げる感覚共有技術をテーマにした広告では、遠隔地の人間と視覚だけでなく触覚や味覚など五感を共有する未来を目指していると謳う。
その未来では、まるで遠くの人と自分が入れ替わっているように感じられる……その広告効果が
空中に発生させた水の壁をクッションにして吹き飛ぶ自分の身体を受け止めさせると、土井は廃工場の屋根の上に
「【ブリミンゴールドDX】
金色の光が土井を包み込んで、栄養ドリンクの広告効果が彼の負ったダメージを一時的にマスキングする。
「その
土井は廃工場の建物のそばでこちらを見上げる界人を一瞥した。
「まずは市長の息子を
「ヤるって、卑猥な意味かな、おじさん。やっぱり、おじさんだから、そういう邪なこと考えるんだね。年取ると前頭葉の働きが低下して、自分をコントロールできなくなるらしいよ。だからおじさんは校長先生並みに話長いんじゃない? そして、卑猥なんじゃない? わたしが可愛いせいなのかもしれないけど、ボーダーの服でも着たらどう? 幸い、囚人服もボーダーじゃん」
「バカが。アニメの観すぎだ」
「おじさんは栄養ドリンク飲みすぎ~。
しとねは義憤に駆られたような表情で、土井をビシッと指さす。
「だいいちさ、こんな住宅街のど真ん中で原則解除して、ふしだらだと思わないの?」
「非人道的と言われるならまだ分かるが、なぜふしだらと言われなければならない」
「〝ひ〟でも〝ふ〟でも同じハ行なんだからどうでもいいでしょうが! とにかく、あなたはとんでもない罪人であることを自ら証明したことになる。であればこそ、この☆天才美少女☆
土井は怒りとは別に込み上げてくる笑いを抑えきれないようだった。
「降参するなら受け入れるのに
「いちいち言葉をこねくり回さなければ気が済まないのか? まあ、いい。若者というのはそうでなければならないだろう。それに、君はどうやらオレを飽きさせるようなつまらない人間ではないらしい」
「一つアドバイスして進ぜよう。〝お前〟と言う時には余裕がなくて、〝君〟と言う時には隙だらけだから気をつけた方がいいよ。寝首を掻かれないようにってお母さんに教わらなかったの?」
「あいにく、君のようなスラム街の出身者ではない」
「出身地を俎上に挙げるのは広告では厳禁なんだよ、知らなかった?
土井が険しい表情をしとねへ向ける。
「黙れと言われたのか聞こえなかったのか? それとも理解できなかったのか?」
「会話が好きなんだね、おじさん。そんなあなたにお似合いの場所があるよ。井戸っていうんだけどね。そこで一生議長を務めることをおすすめするよ」
──【マリク5000X】
しとねの身体が消失する。
土井の広告契約する電気シェーバーの
洗面所に転移する広告効果を持つ広告は多い。それらの演出に共通して使われるのが
しとねはオシャレっぽくて白いタイルの綺麗な洗面所、その鏡の前に転移したのだ。
──【メリーノ・ユニバーサル・カード】
しとねを追ってオシャレな洗面所へ移動した土井は、そこにいたしとねへ
だが、土井がそう認識した瞬間にはすでに二人の位置は入れ替わっていた。
「ちぃっ!」
──【カップスタイル】
高速で射出される
カップ焼きそば【カップスタイル】の広告では、ソースの絡まった麺が躍動する様を時間経過を遅らせることで魅せている。
「水を使うから
土井がニヤリと笑った。
「原則解除した状態で、この隔絶された空間に飛ばされたことの意味が分かるか? 君は指を咥えて君が守った
「この摂津しとねちゃんの顔を鏡で堪能できるのに、どうして飽きることがあるのか教えてほしいわ。今でさえ一秒ごとなんて生ぬるい間隔じゃない、一フレームごとに二千個は新発見があるわたしの顔に、未来永劫飽きることなんてないよ。美人は三日で飽きる。摂津しとねは一万年経ってようやく最初の魅力を全て味わえるの」
「ならば永久にここに引きこもっていろ」
「ダメだね~、ダメだよ、まったく。全宇宙九千不可説不可説転の摂津しとねちゃんファンのために、わたしは奉仕しなければならないのよ。それが☆天才美少女☆として生まれた宿命! 粛々とそれに身を捧げるだけなのだ!」
しとねは仁王立ちする。金髪のツインテール―がキラリと光って揺れる。
「これをおじさん相手に使うのは倫理的に厳しいかもしれないけど、広告治安のためには仕方のないことだと思って諦めるわ。……ううん、わたし、諦めるって言葉が弱者の遠吠えに聞こえて、わたしに似合わなすぎて苦手なの……そうだな、じゃあ、この浴室だけで始まる一瞬の恋ってことにしておこうか」
「そっちの方が色々とマズそうじゃないか」
土井は思わずツッコミを入れてしまった。天性の教えたがりがそうさせたのかもしれない。
「〝何があっても二人は出会う運命だった〟──って、場合によっちゃ中性子星よりも重い偏愛になりかねないけど、だからトンネル効果だって無限に起こせるって理屈らしいわ!」
「何を言って──」
「【SN】
マッチングアプリ【SN】の広告では、遠く離れた男女がアプリを通じて、待ち合わせをしてお互いの絆を深め合う様が描かれる。
二人は空間を飛び越えて、廃工場の屋根の上に再び戻ってきた。
唐突なことでバランスを崩した土井は屋根の上に身体を打ちつけてしまう。
「腹の立つ小細工を弄しやがって……!」
だが、その間、界人は歯痒い思いを胸に廃工場の屋根を見上げるしかなかった。
──僕に、何かできることは……?
監視デバイスを仕掛けたことが、セキュリティソフトの広告契約を持つ土井に露見する可能性を看過できなかった界人は、そのことを心に刻みつけられたように何度も思い返していた。
それは自分の失態だ、と自分を責め続けていた。
「おかしいじゃないか」
土井が立ち上がる。
「お菓子? わたしが好きなのはラングドシャだよ。あと生チョコも好き。意外に思われるかもしれないけど、カスタードクリームを作るのも好きだぞ。それだけ作ってそれだけペロペロしてる時もあるからね。食べ過ぎると太るなんて言うけど、わたしは太らない体質だから、神さまに愛されてるね! つまり、摂津しとねちゃんは完璧で☆天才美少女☆ってわけなの!」
「ぺちゃくちゃとやかましい。──摂津しとね、聞いたことがあると思ったわけだ。二年前に、中学生で
「あ、それわたし! 今はJKだぜ! でも、JKって元は売春隠語だったらしいから、おばあちゃんには使うのやめなさいって言われるんだよね。それにしても、なんだ、おじさんもわたしのファンだったのか。じゃあ、そんな相手から拳を叩き込まれるなんて、至高の幸せだね! 試行錯誤しても手に入れられるか分からないよ~」
「誰がお前のようなガキのファンだ」
「あ、お前って言った! リラックスしなよ~」
土井は心底疲れたように溜め息を吐き出した。
「広告管理法によれば、未成年者はコンドームの広告もマッチングアプリの広告も、契約が禁止されているはずだ。オレを罪人と言う前に、お前がお前の罪と向き合うべきじゃないか」
しとねは目を丸くした。
「へっ? おじさん知らないの? アレは
「
「おじさんでも知らないことあるんだ。何のためにその歳まで惰眠を貪ってたの? ダミンだよそれは、まったく」
「知らないのか? おじさんは睡眠時間が短い。そして、オレはまだおじさんと言われるような年齢じゃない」
「おじさんってのは、第三者委員会が決めることなんだよ。多数決でおじさんはおじさんってことに決まったの。明日からはおじさんとして大手を振って街を歩けるじゃん、おめでとう。なんなら、今日これからでもいいよ」
しとねは首を傾げた。
「何の話だっけ、ああ、そうそう。
「オレに訊くな」
戦いを交えたことで、二人の間には歪な関係性が出来上がりつつあるようだった。
「今の話は忘れてくれるとありがたいんだけど、どうかな? それか、死ぬことで約束を果たしてくれる? ……あ、でもな、おじさんのことは生け捕りにしたいんだよな、できる限りは。ねえ、生かしたままにするから奴隷としてわたしの軍門に下りなよ。下らないプライドは捨ててさ」
「お前の言ことなど誰が聞くか。他人の話も聞けないようなお子さまごときが、一時期もてはやされてくらいで調子に乗るなよ」
しとねが難しい表情を浮かべる。
「お前って言い方に親しみがこもってきた気がするのは気のせいかな。もしかして、おじさんわたしと仲良くなった気がしてない? そんな一方的な好意、はた迷惑すぎてわたしは白旗を上げたくなるよ」
「お前に白旗はない。お前の血で赤く染まっているからだ」
「なんだよ、その決めゼリフみたいな言葉は? わたしもそういうこと言いたい。もしかして、おじさんはわたしの可愛さに対抗しようとしてるの? だとしたら、わたしは許さないよ」
「お前は口から生まれてきたのか?
しとねは街の北の方角へ予告ホームランのように腕を伸ばした。
「バッターボックスからおじさんをブチ飛ばしてあげるよ。戦いに相応しい場所に。ここは善良な市民の
──【SN】
「ってことで、そこの二人はもう帰っていいよ。これ以上は危ないからさ」
しとねは人差し指と中指を立てて界人たちにお別れのサインとウィンクを送ると、土井と共に
「なんだったんだ、あいつは……」
その目はギラギラに燃えて、震えていた。
──冗談じゃない……。失態を晒して、ここで邪魔だからと切り捨てられるのか……?
「【ルートマスター】
「あっ、おい!」
松井を残して、界人は北の方角に向かって光の尾を引いて行ってしまった。
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