第45話 ここまでのこと①

四月第三週 金曜日


 本庁に戻った詩英里しえり衛士えいじから受け継いだオイルライターを未だにボーッと見つめていた。


 阿戸あど市最大の繁華街・細見ほそみに建設中のビルの中に多量の血痕と破壊された資材の一部が散乱していたのが見つかった件を追うどころではない状況に、エザロは苦笑いした。


「とりあえず、事件を一度整理してみましょう」

「そうしましょう、藤堂とうどうさん」


 詩英里はオイルライターに話しかけている。エザロはもうそこに口を挟むのは諦めていた。


「現場に残っていた血液は人間のものであることは確認済みです。警察のデータには一致するものがないようですが、一応、民間のDNAバンクに該当者がいないか照会しているところのようですね。被害者はおそらく、アッシュブラウンに染髪された毛髪の持ち主です」

「そんなもの、事件の直前に染められたものだとしたら意味がないだろう」


 詩英里がオイルライターをカタカタとさせて応える。エザロはそれすらも受け入れようとしている。


「そうですね。そこはこだわらないでおきましょう。凶器は現場の資材でもある鉄パイプ。これで頭などを殴られたのでしょう。しかしながら、被害に遭ったと思われる人物は今のところ挙がっていません」

「防犯カメラの映像も今のところ役に立っていないんだよな?」

「そうなんですよ、藤堂さん」エザロはオイルライターに向かってうなずいた。「建設現場の周囲にカメラがない上に、細見は人の出入りが激しいですからね」


 何の前触れもなく、詩英里が資料の詰まったファイルでエザロの頭をぶっ叩いた。


「な、なにするんですか……!」

「おままごとに付き合われると急に冷めるんだよ。ちょっと気分転換してくる」


 詩英里はそ言い残して部屋を出て行った。


 ──せっかく乗ってあげたのに、なんだよ。


 エザロは頭を押さえながら、静岡に向かう衛士のために車を移動させるのに付き合わされた昨日のことを思い出していた。



***



 詩英里は嬉々としてエザロを東阿戸町の駐車場に置き去りにして衛士の【エルフィード】に乗って行ってしまった。ここまでの足に使われたエザロは溜め息をついて自分の車の運転席に収まる。


 なんだか、途端に衛士のことが恋しくなってしまったエザロは彼に電話をかけた。


 数コールで衛士の声がする。


『助かったぞ、牧野まきの……』


 重々しい衛士の声の後ろでは、微かに断続的な音がしていた。


「今、どこにいるんですか?」

『新幹線のデッキ。静岡に向かってるんだ』

「何が助かったんですか?」

『同行してる奴がずっと喋りかけてきて寝る暇がない』

「あはは、じゃあ、ボクの電話もダメじゃないですか」

『いや、気分転換にはなる。で、俺の車のことなんだが……』

「ああ、今さっき詩英里さんが喜んで乗って行きましたよ」

『そうか、手間かけさせたな』

「ボクは駐車場までの足に使われただけです」

『そりゃ災難だったな』

「ところで、どうして静岡へ?」


 衛士はこれまでの話をかいつまんで話した。


 彼方かなたが高校の風紀委員の手伝いで街の見回りをしたこと、〝千里眼のすず〟のもとで失踪案件の情報を得たこと、そして、その案件の調査で静岡に向かうこと……エザロは話を聞き終えて、嘆息した。


「大変ですね……」

『まあ、これも俺という人間に対する試練のようなものなんだろうと思ってやるだけさ』

「強いっすね、藤堂さんは」


 意味深長なエザロの声に、衛士が声を潜める。


『何かあったのか? 朽木くちきにいじめられてないか?』

「いや、それはいいんですけど……」

『よくはないだろ……』


 エザロは自分たちが抱えている謎の失踪事件について話した。


『細見で建設中のビル……マルダイフーズの関連企業の建物だろ?』

「えっ、そうなんですか?」

『エミリオ土地建物って会社が手掛けてるはずだぞ。マルダイフーズグループの傘下企業だ。朽木もいながら、基本的な情報も把握できてなかったのか?』

「不甲斐ないです……」

『まだ不慣れなところもあるんだろう。少しずつ慣れていけばいいさ。だが、気合は入れていけよ』

「分かりました……!」



***



 詩英里にぶっ叩かれた衝撃で不意に思い出すことになった衛士との会話……その時には捜査のとっかかりになると考えていなかったのだが、エザロは閃いていた。


「よぉ~し、気合入れていくかぁ~!」


 いつもの調子を取り戻したらしい詩英里が腕をブンブンと振り回して戻ってきた。


「詩英里さん、思い出したことがあるんですけど……」




「──んんんにすっとぼけてたんだ、てめえはよぉ! 少しでも手掛かりが欲しかったところだろうがよ!」


 衛士との会話を共有したエザロは、詩英里にボコボコに殴られていた。

「だから何度も謝ったじゃないですか~!」

「ふぅ……、もういい」


 詩英里は満足したように清々しい表情で椅子に馬乗りになった。その背もたれに両腕を置いてエザロヘ水を向けた。


「で、あの現場がマルダイフーズの関連企業だからなんだっていうんだ?」


 詩英里の質問にエザロは「えっ?」と聞き返す。


「そこにピンとこないままボクをぶっ叩いてたんですか……?」

「うるせえな! さっさと思ってること喋りやがれ!」

「ボクが言いたいのは、ずばり、犯人があの現場を選んだ理由ですよ。そこが不可解だって話をしたと思うんですけど、今なら説明できるんじゃないかと」

「ほぅ、言ってみろ」


 先輩の悪い部分を抽出したような詩英里の振る舞いだが、それは今に始まったことではない。エザロも何事もなく先に進めようとする。


「犯人にはあのビルの建設現場を選んだ理由、犯罪の痕跡を残したままの理由があったと考えます。つまり、あの場所でなければならなかったし、痕跡を残す意味があった。犯人は、エミリオ土地建物あるいはその背後のマルダイフーズにメッセージを送っているんじゃないでしょうか」

「メッセージってなんのだよ?」

「いや、分かりませんよ、ボク犯人じゃないんで」

「なんだよ」

「ボクが犯人だったらいいなみたいに言われても……」


 性懲りもなく言い返すエザロに反応を見せず、詩英里は電子タバコを吹かし始めた。ちなみに、ここは禁煙である。それなりの上司がいても、詩英里はお構いなしなのだ。決して許されているわけではないが。


「この前課長に見つかって死ぬほど怒られたじゃないですか。やめましょうよ……」

「黙れ。あたしはあんな自分のない古狸の言うことなんて聞かねえよ」


 と言いつつ、詩英里は電子タバコから口を離してポケットの中にしまい込んだ。


「ここ最近のマルダイフーズが関連している広告絡みの事件をさらっておけ、牧野」


 詩英里はそう言い残して部屋を出て行ってしまった。



***



翌日


 本来は休日のはずだったが、仕事に追われる刑事というものに並々ならぬ憧れを持っている詩英里にはそんな〝言い訳〟など通用するはずもなかった。


 二人は阿戸西高校の正門近くの道路脇に停めた車の中で、エザロが寝る間も惜しんでまとめ上げた資料とにらめっこしていた。


「ボクに彼女がいたらどうするつもりだったんですか。こんな天気のいい土曜日に……」

「いないんだから黙ってろ。それから、この資料誤字脱字が多い」


 そう言って詩英里は口から吐き出した煙を運転席のエザロの顔にお見舞いする。


「それはすいません」

「で、これで全部なの?」

折衝役コーディネーター協会に照会したので、間違いないと思います」


 広告に関わる事件であれば、折衝役コーディネーター協会にはほとんど全てのデータが揃っているといっても過言ではない。折衝役コーディネーターたちは日々、広告周辺の人や事柄をつぶさに観察し、あらゆる情報を蓄積し、協会へ持ち帰るのだ。


「で、なんで阿戸西高校ここに目をつけたんだよ?」


 エザロは資料に目を落とした。



<阿戸西高校における広告妨害事案>


○概要

 四月九日午後三時三十三分、阿戸市立阿戸西高等学校敷地内にて、当校生徒がキタガワ食品【わんぱっく】の広告展開中、別の生徒によってマルダイフーズ【カップスタイル】の広告が割り込み発動された。


○当該関係者

・被害者

キタガワ食品およびその広告契約者・北園きたぞのあきら(十七歳)

・加害者

マルダイフーズおよびその広告契約者・南野みなみの真人まさと(十七歳)


○処理

 マルダイフーズからの要請により、広告主スポンサー間での示談が成立。加害者側広告契約者に対する口頭注意。



「示談成立ということで、マルダイフーズが一人で損を被っているじゃないですか。こういうケースで思い出しちゃうんですよ。監査官インスペクターの黒いウワサを」

「は~あ、〝監査官インスペクターによる私刑問題〟か」


 詩英里が舌なめずりする。エザロの考えに興味を示したらしい。


「で、ちょっと調べてみたんです。そうしたら、この加害者側の広告契約者がこの件以降不登校になっているようなんですよ。これは浄玻璃じょうはりに照会をかけました」

「お前、他の機関のシステムフル活用してんじゃん……」

「え、だって、これが一番効率良いんですもん」

「ちょっとはてめえの足で情報掻き集めろっつってんだ!! 刑事としての矜持プライドはねえのかっ!!」


 詩英里がエザロの頭を引っ叩く。


 詩英里の折衝役コーディネーター協会や広告治安局アドガードに対する苦手意識は今に始まったことではないし、彼女だけが抱える嫌悪感情でもない。


「もうやっちまったものはしょうがねえけどよぉ……。つーか、だからなんで細見の事件から阿戸西高校ここに目をつけたんだよ? 説明になってねえだろ」

「手がかりが見当たらなかったので、遠回りするしかないと思いまして……。もし、この南野真人という生徒の不登校の原因が、この処分によるものだとすれば、マルダイフーズの監査官インスペクターが疑わしいということになりますよね」

「で? てめえの話は無駄に長えんだよ」

「もしそうだとすれば、監査官インスペクターは恨みを買っている人物です。それが細見の事件の犯人だというのがボクの考えなんです」

「南野真人?」

「かもしれないですし、過去に監査官インスペクターに私刑を受けた人物かもしれません。とにかく、マルダイフーズに対する恨みを、その息がかかったビルの建設現場で表現をした、という」

「じゃあ、南野真人を担当してる監査官インスペクターを探さないとじゃねえか」


 所属している監査官インスペクターの情報をマルダイフーズに直接訊く行為が相当にマズいということくらいは詩英里にも分かる。それは「お宅の監査官インスペクターを疑っています」と公言するようなものだ。


 監査官インスペクターとは自社の広告を守護する存在で、自社の広告を守ることは広告管理法で義務づけられている。ほんの些細な疑いだけでよその団体の監査官インスペクターに探りを入れれば、タダでは済まないのだ。いわば、監査官インスペクターというのは一種の聖域と化している。


 だからこそ、監査官インスペクターによる黒いウワサが芽吹く温床になっているとも言えるわけだが。


「なので、まずは足掛かりとして、南野真人についての情報を得たいので、ここにやって来ました」


 エザロはやっとフロントガラスの向こうの学び舎へ指を向けた。


「おい、分かってると思うが、今日は土曜日だぞ、タコ。誰に話聞くってんだよ?」

「そこは確認済みです。教頭の久我原くがはらさんというのが剣道部の顧問のようで、今日も来ているらしいんです」

「なるほど。教頭なら──」詩英里は手元の資料を手の甲で叩く。「この件についても詳しいってわけか。てめえにしては良い段取りじゃねえか」


 勢いよく車を降りて行く詩英里の後を追って、エザロも慌てて運転席を飛び出す。


 詩英里の微かなアメ、そして、雨のようなムチ……それがエザロを麻痺させていた。だから、詩英里の後を追うエザロは朗らかな笑顔なのだ。

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