早朝に鍵を拾ったら、夢路で異界への扉が開く

内田ユライ

第1話 早朝、鍵を拾う


 仕事は、いわゆるブラックだ。

 じゃなきゃ、こんな時間に帰宅しない。


 徹夜明けの早朝、駅から自宅に向かって歩いている。職場の服装が自由なぶん、まるで遊び疲れた朝帰りに見られているんだろうなと邪推してしまう。


 目の下はクマで真っ黒、会社も真っ黒、お先も真っ黒、いや真っ暗か。こんなまぶしくて素晴らしい晴れ間が広がる日曜日に、なんで眠い目をこすりながら歩いてなきゃいけないんだろう。

 基本、土曜は出勤日だし、そのうえこんな時間まで休日が奪われる。しかも残業と休日出勤の時給を計算してみたら、勤続年数も真っ青な最低賃金だったから割が合わなすぎる。


 もういっそ辞めちゃおっかなー。ブツブツひとりごとを吐きながら歩くと、精神的に危うい女に見えるんだろうな。


 大通りを行き交う車を横目に、眠くて下がりそうになる重たいまぶたを必死にこらえながら帰途をたどっていた。


 緑道を兼ねた公園に差し掛かる。ここを通ると自宅までの近道となる。

 深夜はさすがに不用心だから避けているけれど、日中は緑がたくさんあって、散歩をするにはいい雰囲気の遊歩道になっている。


 休みにこんな遊歩道を散歩して、どこか素敵なカフェで優雅にランチできる日を夢見て引っ越してきた。ところが、蓋を開けてみれば仕事に追われて家に帰っても寝るだけ。体力、精神ともに余裕なんてない。


 たまの癒やしと言えば、近所の保育園から遊びにくるチビッ子たちを見かける時くらいだろうか。いいなぁ、あんなころは可愛いってだけですべて許されてる。世のなかの大変さなんて、まるきり知らずに生きて、遊んで一日が終わる。


 同じくらいのころは、私もあぶないものから守ってもらえてた。


 お母さんの作ってくれたご飯をお腹いっぱい食べて、寝たいだけ寝られて、まだ勉強だってしなくていいし、教育テレビを見て、動画見せてもらって、アプリのゲームして……って、ゲームはまだ早いか。


 大きな溜め息をひとつ。


 たとえ盆暮れ正月になろうが、実家に帰ろうなんて思いもしない。家を出てから電話一本、言葉を交わした記憶もない。もはや他人同然だ。


 ああ、そんなことより今は癒やしがほしい。なんでもいいから、かわいいものが見たい。


 周囲を見回す。

 そうだよねぇ、さすがにこんな時間に、小さい子はまだいないよねぇ。


 朝の散歩なのか、前方から品のいい老夫婦が歩いてくる。足元には小さな犬を連れている。ちょこちょこと四肢を動かして、夫婦の歩幅についてくる。つい目で追ってしまう。


 くるくるした茶色い癖毛の、ぬいぐるみみたいな犬。ああー、いいなぁ。人目もはばからず思い存分、なでくり回したい。

 まんまるのつぶらな瞳に見つめられて、尻尾をふりふりされて、愛情いっぱいに愛して、愛し返してもらいたい。


 でも、動物は飼えない。アパート住まいだし、自分より早く死んじゃうし、悲しい瞬間は見たくないし、二度と体験したくないもの。


 ……なんだろうこの乾燥しまくった、やさぐれた気持ち。すっかり心の潤いなんてなくなって、干上がった気分。


 老夫婦は穏やかに会話をしながら、通りすがる私に頭を下げてくれた。

「おはようございます」とご丁寧にも声をかけてくれて、優しげな笑みを浮かべるのを見てしまった。


 あまたから互いを探し当て、人生の荒波を乗り越え、晩年に平穏を手に入れた理想型の夫婦。私には果てしなく縁遠く感じる。

 三分の一が離婚するという現代で、あのふたりは人生と言う戦場をくぐり抜け、奇跡的に生存する戦友同士でもあるんだろう。大袈裟かもしれないけど。

 もはやあの仲睦まじさは尊さを通り越して、私を瀕死に追いやる破壊力がある。


 あ、だめだ、泣きそう。


 疲れて、気持ちがささくれ立ってる。ぐっと奥歯を噛みしめ、視線を視線を投げる。

 きらりと光るものがあった。

 朝の明るい日差しを、鮮烈に反射している。


 なんだろう、と興味を引かれて歩み寄る。舗装された遊歩道から外れた、植え込みの近く。最初はガラスのかけらかと思った。乾いた土に、半分ほど埋もれている。金属の平面がのぞき、強い光を放つものがある。


 こんなところで、なにか拾い上げようとするのもどうかと思い、ためらった。周囲を見回す。誰もいない。さっきの老夫婦も、こちらに背を向けて遠ざかっている。


 地面にしゃがむ。靴のひもがほどけたのを直すふりをして、拾い上げる。

 手のひらの上にのせて確認する。


 これは──。


 鍵の形をしている。家の鍵より小さく、半分ほどの大きさしかない。可愛いなと思った。まえに調べたことがある。これは、アンティークのウォード錠と呼ばれる形状に似ている。


 持ち手の部分は、繊細なツル草が絡み合った模様が透かし彫りになっていた。鍵の中央にラインストーン──ダイヤモンドのように加工された、キラキラ輝く石がはめこんである。これが太陽光を反射して輝いていたのだった。


 実際に使う鍵というよりは、なにかのアクセサリーのように見える。ネックレスのペンダントトップだろうか。


 小さな長方形の板が、下部の丸棒の先についている。金属板には五本の切り込みが入っていた。持ち手となる部分に、持ち主のイニシャルらしきものが刻印されている。偶然にも、自分の名前と同じ頭文字だった。


 上部に丸い円が開けられ、そこに銀色の丸カンが取りつけられている。だが、丸カンの一部が歪んで、繋ぎ目が前後に開いていた。

 どうやら、この繋ぎ目の隙間から鎖が外れたのだろう。


 こんな素敵な鍵をこんなところに放っておいたら、だれかが拾って持っていってしまうかもしれない。

 とりあえず預かっておこう。


 刻印が見当たらないから貴金属ではないと思うけれど、持っていくとすればやっぱり警察かな。

 そう考えて、私は鍵をポケットに入れた。急に疲れを感じ、身体が重くなる。


 ぴかぴか光る青空が、疲れ目にはやけにつらい。

 恨めしく思いながら私は家路を急いだ。




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