良? 不良? 良!

@hai-nekowriter

良? 不良? 良!

 耳慣れたチャイム音が鳴った。教壇に立っていた教師は手短に話を纏め、号令をかけるよう学級委員に指示する。

「起立、礼。ありがとうございました」

 口から勝手に零れ落ちていく私の声を先頭に、クラス中の生徒がだらだらと立ち上がり、やる気なく挨拶をして、儀式のように上の空なお辞儀をする。まともに声を出す者は少なく、教室内に私の声だけが空回ってこだまするような錯覚さえする。

 号令が終わると同時に、まるで窮屈な檻から解き放たれたとでもいうようにさっぱりとした顔で皆自分の友達のところへ駆け寄っては二人から三人の集まりをつくる。教室のあちこちで誰かが一斉に話し始め、その声はあっという間に大きくなって教室中を満たした。授業中の、夜の墓地のような静けさは何だったのだろうかと言いたくなるほどの騒音に私は思わず溜息を吐いた。両腕に大事そうにテキストとノートを抱え、職員室へ帰ろうとする教師を呼び止め質問をする。

「ここの問題の解き方が分からなくて。教えていただけますか?」

「ああ、ここならまず……」

 私の突然の質問にも嫌な顔一つせず、教師は丁寧に私の目の前で問題を解いて見せた。そのままにっこりと笑ってこう言った。

「あなたみたいな優等生がもっといてくれれば、テストとか楽なんだけどねぇ」

「ありがとうございます、先生。職員室まで荷物持っていきますね」

 苦笑五割失笑五割の微妙な顔で笑う教師の言葉を控えめに躱し、教師が持って来ていた重たそうな荷物を抱える。中身がとても気になるところだが、知ったところでどうなるというものでもないので、黙々と運搬する。

「重たいでしょう、ごめんねぇ」

「いえ、このくらい平気です」

「ほんと助かっちゃったよ、ありがとう。あ、ついでにこの前の小テスト、クラスに配っといてほしいな。それからこっちのテキストが……」

 職員室の隅に荷物を置いた直後、教師が眉を見事な八の字型にしてプリントやらテキストやらの束を取り出す。積みあがった紙の山を見上げ、私は溜息をきゅっと飲み込み、それらを抱えて来た道を戻った。

 教室に戻ると、幸い担任の教員はまだ来ておらず、クラスメートたちは教室に満遍なく広がって相変わらず雑談に興じていた。抱えた紙の束を一度教卓の上で広げ、ざっくりと仕分けをする。各生徒へ返却しなければいけない小テストが二種類と、課題用のテキストが一種類。小テストを片手に教室中を右に左にせわしなく動いていると、一人の生徒がしずしずと私に近づき、にっこりと微笑んだ。

「私も一緒に配るね」

 彼女の一言で教室内の半数以上の女子が一斉に静まり、口々に「私も!」「私も手伝う!」と言いながら教壇に集まる。最初に手伝うと言いだした彼女が、各生徒に均等にプリントやテキストを配り、それらは女子生徒たちの手により各机に配布されていく。教壇に積みあがっていた配布物は跡形もなく消え、配り終えた生徒たちもまた元の位置へと戻っていく。まるで嵐のようだったなと思いながら、その嵐の発端となった生徒に感謝を伝える。

「手伝ってくれてありがとう。やっぱり皆でやると速いね」

「どういたしまして。でも私、結局一枚も配れてないのよね」

「それでも皆のきっかけを作ってくれたのは貴方だもの。ありがとう」

「あら、学級委員さんのお手伝いができたようで私も嬉しいわ」

 ふんわりと微笑む彼女に繰り返しありがとうと述べると、彼女は「どういたしまして」と優しく言い、彼女を待つグループへと帰っていった。私も自分の席へと戻り、机の上を丁寧に片づける。そうこうしている間に担当の教員が教室へ入ってきて、連絡事項を読み上げるだけの簡単なホームルームを行う。

「いいか、週末だからって浮かれて遊ぶなよ。期末近いぞ」

 教師の言葉にクラス中から、えー、だとか、やだー、といった声が上がる。半ば予想していたとでも言いたげな顔で教師が「嫌だろうが何だろうがテストは来るぞー。勉強しとけー」とホームルームを締めくくった。

 ホームルームが終わった瞬間、教室の後ろにあるドアに向かって生徒たちが歩いていく中で、混雑を避けようと私は一人机の周りで適当に時間を潰す。人も少なくなったころには、教員もいつの間にか職員室へと戻ったらしく、教室には私を除いて数名しかいなかった。特に部活にも所属していない私は、放課後に特段これといってすることもない。明日明後日で使いそうなテキストを詰めたせいで朝よりもその重量を増した鞄を背負い、教室を後にする。

 特に誰ともすれ違わずに下駄箱まで歩き、靴を履き替えて学校を出る。

 そのまま帰路につきながら、私はぼんやりとあたりの景色を眺めた。

 街路樹の葉は先週よりもほんの少しだけ赤く色づき、季節が変わろうとしていることを主張していた。そこまで日は落ちていないが、空は見事な茜色で、若干気温も下がったような気がする。総じて、初秋の夕方、という言葉がしっくりくる風景だ。

 若干肌寒さを感じて、私は少しだけ歩くペースを上げた。家に帰ったらまずは何しようかと頭の中で予定を練りながら脇目も振らずに家へまっすぐ歩く私の視界にちらりと映りこんだものがあった。

 帰路の途中にある、至って普通のコンビニ。と、その駐車場にたむろする不良たち。その大きな体を原色のきつい服に包み、目つきの悪い顔であちこちを睨んでいる。目が痛くなるような赤や金に染め上げられた髪や、バキバキと鳴らされる大きな手が一層彼らを典型的な不良に仕立て上げており、同年代のみで構成された彼らは、紛れもなく不良そのもののような見た目をしていた。

 あのコンビニはよく不良が集まる、という噂は聞いていたものの、実際に見たことの無かった私は、思わず少し目を逸らして速足でコンビニの前を駆け抜けた。

 コンビニの前を通り過ぎ、いくつかの横断歩道も渡り、暫く歩いたところでようやく私は歩を緩め、安堵の息を吐いた。

 初めて不良というものを見た。怖かった。超怖かった。

 思い返せば思い返すほど恐怖が湧き上がってくる。

 不良、という漢字にふさわしいような外見をしていたし、見るからに物騒で危険そうだ。

 あー怖かった、と心の中で反芻しながら家へ帰る私の脳裏にちらりと疑問が浮かんだ。

 なぜ、彼らを不良というのだろうか、と。

 不良。良いという漢字と打ち消しの意味を表す不の字が合わさってできた言葉。大雑把に言ってしまえば、良くないという意味の語。類義語には不良品や失敗作といった言葉が当てはまるだろうか。不良品と言えば大抵は欠陥のあった商品の意味を表す。

 彼らのような、素行の悪そうな生徒のことを、世間一般では不良と呼ぶ。だが、それはなぜだろう、と私の脳内で疑問が膨れていく。

 何が『不良』なのだろう。素行だろうか。成績だろうか。それともどちらもか。何が良くないのか。学校の授業より、わからなかった問題の解き方よりさらに難しい疑問で頭の中がいっぱいになる。

 それとも、と私は小さく浮かんだ考えを拾い上げた。

 彼らのように素行の悪い生徒を『不良』と呼ぶのなら、私はどうなるのだろう。幼いころから学校と塾を往復し、点の良い答案を持ち帰っては親に見せ、学級委員の仕事を淡々とこなす私は何というのだろう。もし、彼らのように素行が悪いことを良くないことだとするなら、私は良い方に分類されるのだろうか。

 今日の最後の授業を担当した教員の言葉がふと脳裏をよぎる。

「あなたみたいな優等生がもっといてくれれば、テストとか楽なんだけどねぇ」

 優等生。そう教員は言った。普通なら喜ぶべき言葉なのに、今の私の思考はその言葉を怖がった。

 不良品と対をなす言葉は優良品だ。

 良。良いことを表す見た目そのままの意味を持つ。

 もし。もし、不良という意味が、扱いにくい、指導の道を外れた、という意味で良くないことを表すのならば、という思考がふっと浮かぶ。その他の疑問は全て溶けるように消え、それだけが鮮明に残る。その先は考えたくもない、と目をきゅっと瞑るが、言葉にならないまま考えだけが先に進んでいく。

 道を外れたら不良なら、道を外れなければ良品という事なのだろうか。何の道を外れなければ『良』なのか。教育課程か、それとも進学就職まで含まれるのか。はたまた、その先の出世や老後なども全て包含するのか。もし、そうなのだとしたら、誰からか決められた正しい道から一歩踏み外せば、それは『不良』なのだろうか。もしそれが、自分の意思によって決めたことであっても、良くあり続けるために道の上を歩き続けなければいけないのだろうか。道を外したら失敗作なのだろうか。

 急に背中に怖気が走る。今まで何の疑問も抱かなかった過去が、途端に誰かによって描かれた道の上を歩いてきたように思えてくる。

 こんなことを考えるなんて普通じゃない、と私は思考を打ち消した。こんなにも怖くて実の無いことを考えるくらいなら、期末試験の範囲の復習の計画を立てた方がよほど良いだろう。

 怖いことは早急に忘れてしまえばいい。こんなことを考える前に、私には考えなければいけないことが山積みなのだ。差し当たってまずは、と家に帰ってからの予定を組み上げる。要らないことを考えている余裕は私にはない。優等生でいた方が良いに決まっているし、今まで何も疑問に思わずとも歩けていたのだから、今までと変わらずに歩くだけだ。たとえそれが怖かろうが、それは問題ではない。

 そうやって打ち消したはずの思考がぷちりぷちりと泡の残滓ように浮かんでは消える。

 こんなことを考えるのは普通ではない。それは断言できる。ただの私の考えすぎだ。それなら、『普通』じゃないことを考えるのに明け暮れている私は、普通から外れてしまったのだろうか。もし、『良い』道が『普通』を軸に描かれていたとしたら、『普通』から外れた私は、不良品なのだろうか。

 怖い。怖い怖い怖い。

 自分の中心にあった、何か大事な軸がぐらりと揺らぐ感覚がする。頭の中で恐怖が増殖し、それだけが私を支配していく。もう考えたくない。もう忘れたい。

 私の中心で渦巻く恐怖を消そうと口の内側を思い切り噛む。脳を貫くような痛みで恐怖がほんの少し薄らぐ。

 少し落ち着きを取り戻した頭で、これからの予定を組み直す。温かいお茶でも飲んで、恐怖を綺麗さっぱり落としたら、勉強をしよう、と決める。たとえ普通じゃない考えをしていたとしても、この後で勉強すれば多少は『良』に戻れるだろう。

 いつの間にか目の前にあった家の玄関の鍵を開ける。お帰りなさい、と微笑む母の顔を見つめ、私はにっこりと笑って言う。


「ただいま、お母さん。あのね、私小テストまた満点だったんだよ」

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