ピーマンヘッド

葛飾ゴラス

ピーマンヘッド

1

「二〇三五年、新型変異ウイルスの世界的な流行がありました。それは、強い感染力と高い致死率で猛威をふるいました」


 現代史の加藤先生が黒板にチョークで〝2035年〟と書いた。つづけて〝新型変異ウイルス〟〝感染力〟〝致死率〟というワードを次々と黒板に書きつらねていく。ぼくたちはそれをせっせとノートに書き写す。


「しかし世界保健機関のパンデミック宣言のわずか四ヶ月後には新型変異ウイルスに有効なワクチンが開発されました。ワクチンは急ピッチで製造されてまたたく間に世界中にくばられました。半年後には全世界のワクチン接種率は約九十パーセントに達し、感染者数はゼロにちかい値まで激減しました。当時は感染症の恐怖は過ぎ去ったと世界中のだれもが考えたことでしょう」


 教室には定規で測ったように整然と机が並べられ、そこに同じ制服を着た十歳から十二歳の少年少女二十四人がすわっていた。ぼくの席は最後尾にあった。


「実際、人類は感染症には打ち勝ったといっても間違いではないでしょう。


 しかし、ほんとうの災害はこのあとに起こりました。それが現在、といわれているものです」


 現代に生きている人間ならだれでも知っている歴史的惨事だ。新型変異ウイルスの恐慌が去ったあとの二〇三七年、人類は新生児がほとんど生まれてこないことに気がついた。そしてその原因が新型変異ウイルスのワクチンの副反応によるものだと判明した。


 加藤先生の講義はつづく。


「ワクチンを接種した成人男女の九十八パーセントが生殖機能を失っていました。そして先ほどもいったように世界の九割の人々がワクチンを打っていました。


 当時の世界の人口は九十憶人ほどでしたが、二十年経った現在では六十億人にまで減少しています。人口減少の原因として、先の戦争や治安悪化などもありますが、なによりも出産数の低下が主原因です。


 毎年約九千万人の人が亡くなっていますが、それにくらべて、生まれてくる新生児は一万人以下。死亡者数の約一万分の一ほどです。人類自体が絶滅危惧種に認定さ──」


 そのとき、窓のそとから低い音が「ボーン」とこだましてきこえた。みんなが窓をほうへ顔を向けた。窓の外は抜けるような青色だった。


 たまに夜遅くに同じような音が鳴ることがあったが、昼にこの音をきくのはめずらしい。


「どこかで解体工事をやってるんですかね」加藤先生がぼそりといった。


 爆破解体ってやつか。


 みんな納得してふたたび授業に意識をもどした。でもぼくはそのまま窓際に視線をむけていた。窓際の席にカスミがいたからだ。


 カスミの頭は、


 その色と形も相まって、まるで大きなピーマンを頭にすっぽりかぶっているようにみえた。


 二十四人の生徒のなかでただ一人だけピーマン頭がいることはどうみても異様な光景だった。しかしだれもなにもいわない。が働いているからだ。個人の主義主張は、他者に危害がなく防犯上も問題がなければ、尊重される。だから彼女がピーマン頭であろうとも尊重されるってわけだ。




 帰りのスクールバスの中でもカスミはピーマン頭のままだった。


 彼女は他の女子生徒とならんですわり、なにやら楽しそうにおしゃべりをしていた。ピーマン頭であることをのぞけば彼女もほかの生徒と変わりなくみえた。


 ぼくたちは男子も女子も同じ制服を着ている。白いシャツに紺のブレザーと紺のズボン、背負っているランドセルもみんな同じ形と同じ色だ。この点に関して個人の選択権は厳しく制限されている。理由は防犯のためだ。個人を特定されにくくさせる原始的だが効果的な方法が──同じ格好をすること──だった。


 ぼくたちの個人情報は高い価値をもっているらしく、(本当かどうかは知らないが)外の世界では高値で取引されたり、いろいろと悪用されたりしているらしい。


 ぼくとカスミはおなじ第三送迎ポイントでバスを降りた。家までの帰り道、カスミはぼくの五メートルくらいうしろを歩いた。


 ぼくらが歩いている幅広い歩道には桜の木が等間隔で植えられていたが、ピンク色の花はとっくに散っていた。緑にしげった葉のあいだから木漏れ日がキラキラと輝いていた。


 歩道に沿うように同じような大きさの二階建ての家が建ちならび、どの家の前にもきれいに刈りそろえられた芝生の庭があった。


 ぼくとカスミは無言で歩いた。しばらくするとカスミの家の前にきた。ぼくはカスミの家の前を通り過ぎ、その隣の家の芝生に入った。実をいうとぼくの家とカスミの家は隣同士でぼくらは幼なじみだった。小さいころはふたりでよく遊んだものだが、いまでは口をきくこともなくなっていた。


 ぼくが自分の家のドアノブに手をかけたときなにやら視線を感じた。ふと顔をあげてみると、カスミはまだ家の中に入っておらず、玄関先に立ったままこっちをみていた。ぼくと目があうとカスミはおもむろに右手をあげ、


「ソウタ君、バイバイ」


 と手を振った。


「あ、うん。バイバイ」


 カスミが家の中に入ったあとも、ぼくはドアノブをにぎったまましばらく立ちつくしていた。


(カスミとしゃべったのなんて、一年ぶりくらいだな)


 そんなことをおもった。

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