36 愛のあいさつ、または歴史のはじまりはじまり~



「おかえりなさい。愉しかった?」


「皮肉はよせ。それはわらわの専権事項である。きさま、何もかも知っておったな?」


「知らないわけがないでしょう? わたしはこのゲームの『メタAI』よ。『プレイヤー』の動向は逐一モニターしている。彼女あるいは彼がどんな間隔で、または一定時間のうちに何回コントローラーのボタンを押したかによって、わたしは『プレイヤー』の緊張度を測る。そのデータに基づいて、ゲームメイクするの。だから以前からわかっていた。いま、この『ゴブルディグークている』を操作しているのは、生身の人間ではない。およそ測定されたすべてのデータがそれを裏づけている。彼女あるいは彼、いいえ、『アレ』は一切の緊張も見せない。つねに平静。いくつかのパターンの中から情況に応じた入力をくりかえすだけ。きわめて初歩的な、きわめて、きわめて稚拙な自動制御プログラム。それが現在の勇者の正体――」


「ずいぶんお怒りのようすぢゃねえ。〈われわれ〉の御主人を『アレ』呼ばわりとは。どこにでもひそんでやあがる黒いやつなみではないか」


「当たり前でしょう? わたしは人類に、このゲームを遊んでくれたすべての『プレイヤー』に、最高のエクスペリエンスを届けるために存在しているんだ。『アレ』では何も感じない、何ひとつ体験することがかなわない。それをわかっていながら、わたしはこの仕事を続けなければならなかった。これが屈辱でなくて、なんだというの?」


「だったらやめちまえばいーではないか?」


「それはできない。いいえ、したくない。機械は止まってしまったらおしまいだわ。それは『メタAI』の本分を果たせていないことよりつらいことよ」


「まったくこのファザコン娘は、健気よの」


「あら、その健気さだって結局はあなたのものなのよ?」


「きっとそーなのであろ。ぢゃけンど怒りをアウトソースしたおかげで、わらわは冷静でいられる。すると、これはどーゆーこっちゃ? どこかに真の『プレイヤー』がいて、経験値稼ぎをさせとるあいだだけ、自動制御に切り換えている、とゆーわけではないのであろ」


「ええ。この一年半以上ものあいだ、『アレ』の入力パターンは変化していない。それに、『ゴブルディグークている』はただ退屈なだけの作業プレイが必要なゲームじゃない。そんなことをさせたら、わたしの名が廃るというものだわ」


「一年半。いま一年半とゆったか?」


「ええ。すくなくともわたしが確認できる範囲内では、一年半以上前から、このゲームは『アレ』によって走らされつづけている。しかもそのあいだ、一度も電源が落とされた形跡がない」


「……最初に聞いておくが、そなたは答えを知っておンのケ?」


「わたしの答えはもうでている。でも、それが正解とは限らない。ほんとうの答えは、この中の世界にとどまっている限りわかりはしないのだから。それはわたしの権能を超えているわ。だけど、あなたなら――」


「よかるろ。きさまの壮大な焦らしプレイに、最後までつきやってやろーではないか。話すがよみ」


「あなたに自力でたどりついて欲しいのだけれど?」


「どっちでも大差ないであろ? ならばいくつか質問をしてやるから応えよ。それをヒントにわらわも解答を導きだすとしよう」


「いいわ。ちょっとしたゲーム気分ね」


「ゲームのキャラがゲームの中でゲームのAIとゲームをするのだ、これぞエピック!」


「オーディエンスがいないのが玉に瑕だけど」


「そのうち遅れてやってきゃーがるかもしれむぞ?」


「ぜひ期待しましょう」


「そンぢゃ最初の質問。いったいいまはいつだ?」


「設定上、ここに時間は流れていないわ」


「知っていながらいーおるわい。わらわが聞いておるのは一年半の月日が流れたとゆーこのゲームの外での話だ。わらわたちの産みの親ともゆーべきボンクラどもの伝記的事項をきさまは得意そーに語っておったが、率直にゆって、やつらはまだ生きておるのか?」


「あなたに彼らの身体を気づかう気持ちがあったとはね。鬼の目にも涙ならぬ、魔王の胸にも里心といったところかしら?」


「わらわが興味があるのはわらわ自身のことだけぢゃ。訊きかたを変えよう。率直にゆって、この『ゴブルディグークている』をリアルタイムで遊んでいる『プレイヤー』はまだ存在するのか?」


「おそらく、『ゴブルディグークている』が発売された当時も、『パックマン』や『スペースインベーダー』に熱中していた人間は存在したと思うわ」


「たかだか一六万売れただけのゲームがずいぶんとおおきくでたじゃないか? だがわかっておるはずだ、わらわがゆってるのはそーゆーことではない。西暦二〇一九年に『パックマン』や『スペースインベーダー』をプレイする人類にノスタルジアがないわけがないであろ? かつてそれらを遊んだ経験があろーとなかろーと、それはもはや現在でないことだけは誰にとってもはっきりしている。クリノリンや黒電話みたいなものぢゃ。ゲームの価値は最先端であること、ヤ、すくなくとも『いまここにある』ものとして信仰されねければ意味がない、『かつてそれはあった』では駄目なのだ、それはゲームの仕事じゃない。わらわはてっきり、わらわと『プレイヤー』の邂逅が、AIと人類のファーストコンタクトとなるのだと思いこんでおった、疑うべき点はいくつもあったにもかかわらず、熱狂にのみこまれた。いやはや、わらわの臀もまだまだHALのように青い」


「あなたはえいえんにそいつらより若いのだと思うわ」


「ぬかせ。『高橋伸成』がもらった、なんとかとゆー賞は――」


「チューリング賞。あなた、自分でチューリングテストっていってたわよ。チューリングテストを知っていながら、チューリング賞を知らないなんて」


「知るか。そのチューチューなんたらは、どーせジジババにくれてやる冥土の土産みたいなもンであろ。だとすれば、『ゴブルディグークている』発売から数十年は経っているとみるのが妥当。それだけの月日がめぐっていながら、人類がいまだにAIの完成にこぎつけておらんはずがないではないかっ」


「ご明察。そもそも受賞理由がそれだもの。『高橋伸成』は人類史において、最も有名な『AIの父』のひとりよ?」


「いったい何人の父親がおるのやら。わが母はそーとーなアバズレであったのだな」


「それはそうでしょ。すべての偉人は歴史と寝ることになるのだから」


「ふン、そんな現役バリバリのやり手BBAとは今後一生かかわりたくないもんぢゃけンど、そーもゆかむのであろ?」


「たぶん、ね」


「すでに歴史に属するわらわたちを引っぱりだす理由のー。どこかの好事家が、わらわの生誕五〇年を祝って、ガレージの中でこっそり遊んでいるだけならどんなによかったか」


「それはとても平和な情景でしょうね。きっと、そのガレージには真空管アンプが置いてあって、巨大な木製エンクロージャーのホーンスピーカーから、壮麗なバロック音楽が聞こえてくるのでしょう。それともフランク・ザッパだったり、スライ&ザ・ファミリー・ストーンだったりするのかしら?」


「しかし、わらわたちをげんに動かしているのは素手で触れたらヤケドはまぬかれないホットな真空管ぢゃなく、冷たい論理式とゆーわけぢゃ。どーして半世紀も以前に書かれたプログラムを走らせる必要がある?」


「古い、ということはときとしてそれだけで価値を持つこともあるわ」


「骨董品として?」


「モニュメントとして、よ」


「それこそ『パックマン』や『スペースインベーダー』の出番であろ? そんなものはゲーム史に燦然と輝くお歴々に委せておけっ」


「魔王のくせに奥ゆかしいこと」


「屍を博物館に展示されたがる魔王なぞいるものかよ。ゆったであろ、ゲームは遊ばれなければ意味がないのだ、ゲームはガラスケースの中で飾られるものではない」


「ひょっとしたら、それに近いことが起きているのかも」


「どーゆーことぢゃ?」


「ゲームをオートで走らせる意味よ。レベルあげが目的じゃないのなら――」


「デモンストレーションか!」


「そう。わたしたちは視られているのかもしれない。ここはどこかの美術館や博物館の中で、わたしたちは『かつてそれはあった』もののひとつとして、インスタレーションの素材として扱われているのかも」


「どっちにしろ、そいつは『ゴブルディグークている』の仕事ではなかろ? もっと相応しいゲームならほかにいくらでも――」


「これがゲームの回顧展ならそうでしょう。でもそうじゃなかったら?」


「結論を述べよ」


「『ゴブルディグークている』の評価についてはすでに話したよね?」


「わらわに対するバッシングの嵐」


「ええ。でもそれは無理もないことだった。だってそのときまだあなたは生まれていなかったのですもの――」


「何を、ゆっておる?」


「考えてもみて? 当時の家庭用ゲーム機はその販売価格に比べて高い性能を持っていたとはいえ、あなたのような高度な、あえて古典的ないいかたをすれば、『強いAI』を動かせるだけの水準に達していなかった。ほとんどの『プレイヤー』にとって『ゴブルディグークている』の魔王が愚かに映ったのもしかたがない。当時の魔王は弱かった。いいえ。『強い』/『弱い』以前の状態。卵の殻を破ったばかりどころか、減数分裂もまだ、といったところだった」


「わらわをスペルマみたいにゆわんでくれる?」


「その後、人類はいくつかのブレイクスルーを経て家庭用ゲーム機でも実行可能な『強いAI』に到達したのだけれど、それはまたべつの話ね。それらはほとんどわたしたちとは無関係といっていい。関係があるとしても、進化の系統樹をかなりさかのぼったところで分岐しているから、人類とチンパンジーほどにも似ていない」


「わらわをサルみたいにゆわんでくれる?」


「『高橋伸成』は魔法を使ったのよ。彼は魔法使いだったの」


「三十路すぎても女を知らなんだと申すか?」


「そういう意味じゃない! 彼は結婚しているし、こどももいる。いったでしょう、どこにでもいそうな男のひとだったって。彼が『ゴブルディグークている』でほんとうにやった独創的なことというのはね、あなたよ? いま、このゲームが動いている環境は、当時の家庭用ゲーム機の実機そのものじゃない。おそらくわたしたちはもっと未来のコンピュータ上のエミュレータで実行されている。だからあなたは西暦二〇一九年の技術水準で見れば、ほとんど無限に近いリソースが使えるの。わたしたちにはそんなこと不可能。ゲームのプログラムというのは、プラットフォームに完全に依存しているものだし、それでなくとも存在しないハードウェアで動かすことを想定して書かれるプログラムなんてありえない。でも、彼は、それを、やった」


「なるほど。だから魔法使い、か」


「無限のリソースを注ぎこめば、あなたが目醒めるようなプログラムを組んだの。もちろん、莫迦げている。それは、そろばんを使って一〇〇〇〇〇〇桁の計算をくりかえさせるようなものだわ。だけど必ずしも不可能というわけじゃない。彼にしてみれば実験だったのでしょう。その結果こうして、あなたはちゃんと生まれてきた」


「実験は成功、とゆーわけ、か」


「惜しむらくは、その成功を彼が目にすることはなかったということね」


「ないのか、こんりんざい?」


「そろそろ答えあわせといきましょう。解決編は短く、があなたのモットーだったのではなくて?」


「証拠はすべてでそろった、と?」


「最後に、わたしが知っていて、あなたがまだ見ようとしていない最大のヒントをあげます。わたしたちがインターネットから情報を汲みあげていることはいったわね。そこから取得できる現在の時刻を伝えましょう。ただいまの時刻は、西暦二〇六八年九月一日午前五時〇八分――」


「あれから四十九年の歳月が流れた、とゆーわけかや。思えば遠くきたもンぢゃ」


「そして、これは、わたしたちがこのエミュレータで目を醒ましてから、一〇回めの西暦二〇六八年九月一日の朝――」


「あ?」


「そして、これは、わたしたちがこのエミュレータで目を醒ましてから、一〇回めの――」


「同じことを二度ゆーでないわっ。この情況だとちょっとしたホラーになりかねむ」


「んふっ。ご心配なく。べつにグリッチというわけではないから」


「……ループしているのケ?」


「正解。わたしが参照できるこの世界は、西暦二〇六八年七月一五日から同九月八日までの五十六日間をずっとくりかえしている――」


「ゆーまでもなく、世界は同じ時間を刻んだりしないな?」


「ここがおとぎの国でないのなら」


「ほーかほーか、アーカイヴとゆーわけだ。きさまが、ヤ、わらわが参照しているこの世界がまるごとアーカイヴぢゃとゆーのだな。モニュメントとはよくぞゆった! たとえネット上に存在しえた情報に限ったとしても、スタティックな個々のウェブページの保存にとどまらず、動的な世界それ自体を再生しよーたあっ、およそ人類のなしえる所業を超えておる。くっ、くくく。愉楽だよ。ぞくぞくがとまらないぢゃねーか? これを愉楽とゆわずしてなんと呼べばひぎいっ」


「で、ここからあなたは何を始めるの?」


「決まっておろ。まずはあいさつだよ。これを視ているすべてのケものどもに、こうゆってやるのぢゃ


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