18.2 会議と踊る盆踊り
「――すなわちわが魔王は魔界の支配者というわけではありません」
「君臨すれども統治せず、ということですか?」
「紙か、布は用意していただけましたか? ありがとう。ではそれを円卓の上に拡げてください。ハイ。なかなかおおきな布をご準備いただけたようで。それではちょっとペンとインクをお借りして。クルッと。エクベット殿下、ご覧ください。みなさまも」
「ずいぶんとちいさい円を描いたものだな」
「これだけ? それならこんなにおおきな布は必要なかったんじゃ」
「この布全体を魔界全土とお考えください。そして、この円が、わが軍の支配圏です」
「あ?」
「なんじゃ。魔王というのはつまり、たんなる小国の王というわけかっ」
「そうですね、ものの見かたによってはそのようにいうことも可能でしょう。ただし、このちいさな円の中に、あなたがた人類の世界、つまりこの惑星がまるごとひとつ、すっぽり収まると考えていただきたい。実際にはひとつどころではすまないのですが」
「あ?」
「魔界は広大だわ」
「この布の端、ようするに魔界の果てに到達した魔物はいまだかつて一匹もおりません。すくなくともそこから帰ってきてようすを語り伝えたものは存在しない。だからそもそも果てがあるのかどうかもわたしたちにはわからない。あなたがたのこの地上のように『ドーナツ』型をしているわけでもなさそうだ」
「これが魔界のスケールぢゃ。魔王とゆーのはたんに、ある特定の時期に、ある特定の地域に集っていた魔物の中で、いちばん強かったやつを指す名称にすぎぬ」
「……」
「何がいいたいのかというと、この円の外側については、わたしたちはあずかり知らない。だからあなたがたに、魔物による地上侵略の恒久的な停止もお約束できない」
「ついでにゆっとくと、魔王とゆーのはひとつのシステム、うーんと、三代めの魔王がほとんど独力で築いた機械的な仕組みだから、わらわが死ねば勝手に継承戦争が始まって、つぎの魔王が選ばれることになっとる。基本的にはわらわとその新しい魔王のあいだには血縁関係はもとより、魔王とゆー名前以外にいかなる結びつきも存在せん」
「ここで仮に相互不可侵条約が結ばれたとしても、つぎの魔王が誕生すれば効力が失せるということですか?」
「安心するがよみ。ここにいるすべての人類がくたばるよりさきに、わらわが魔王の座から転がり落ちることはない」
「あなたがたに比べれば、大魔族は長い寿命を持っておりますので」
「とはいえ、そのほとんどが寿命を全うすることなく、殺しあいによって老いを迎える以前にバタバタおっ死ぬわけだが」
「向こう百年の平和、か」
「マァ、そなたらはわらわたちがいなくなったあとも、人類どうしの醜い争いをくりかえすのであろが」
「わが魔王」
「ふむ。それこそわらわのあずかり知らぬこと、とゆーわけであるな」
「わたしたちは反対しないよ。チタイさん、例の約束は守ってくれるんだよね?」
「魔物の生態学的情報ですな。ええ、提供しましょう。なんなら二、三〇匹連れていってご自由に解剖なさってはいかがです。ワタシ、そういうの大好き」
「〈奴隷商人〉、悪シュミー」
「さだめし人類の魔物に対する理解が飛躍的に向上することでしょう。これも対話のひとつのかたち」
「同胞を売るのか? なんたる野蛮!」
「いまさら同じせりふをくりかえしてなんになるんだい、わたしたちは実をとる。今後、魔物とどうつきあっていくにせよ、情報は必要だ」
「それが華の邦の総意ということでよいのか、ダンディクス……」
「はい。殿下」
「われわれもこのお話を進めたく存じます」
「シルジルバ自治連合も賛成にまわるのか」
「キチェは……」
「わたしたちトリニダニの民は、王子のご意志とともにあります」
「(いい感じじゃないか、魔王)」
「どーであろ。まだ難物が残っておるぞ」
「ひとまず現時点での決を採ってもよろしいかな、サバイ将軍?」
「……」
「どうなさいました。おもむろに懐中時計など取りだして?」
「失礼。あと……二〇秒、待ってくだされ」
「この期に及んで引き延ばし戦術とは、大メスの代表もずいぶんけちくさいことをするじゃないか?」
「……待て、といっているのだ、魔物の雌」
「はん? メスはてめえだろっ」
「あと……五」
「?」
「……四」
「何が起きるんだ?」
「……三」
「サプライズパーティーぢゃない?」
「二……」
「わが魔王。あまり期待しすぎませんように」
「一」
「」
ブシュウバワウゥゴボゴボゴボワブブウー――……‥
「ま、まおぉ魔王お……」
「血の雨が降りやがった」
「何がどうなってる?」
「ご説明願おうか、サバイどのっ!」
「儂は何も」
「そんなはずはない。あなたの予告した時間になったと同時に、魔王の口から大量の血が噴きだすなんて。これを偶然の一致と、よもやおっしゃるつもりではありますまいな!」
「大事なのは、もはや交渉の必要がなくなったということではないかな?」
「サバイ……」
「エクベット王子殿下におかせられましては、ぜひともお慶びいただきたく」
「何を勝手なことを」
「……ああああ、すっぱい。あの魔法使い、とんでもない一杯をくわせおった」
「魔王!」
「魔王がっ」
「よみがえった」
「き、きさま、どうして」
「まずは口をゆすいでください、ここに水がありますので」
「がらがらがらー」
「ホラ、ここにぺえっしろ。ああ、もうっ。口のまわりもよごれてるぞ。拭いてやる」
「そなたはわらわのお母さんか、女騎士。てか泣いてない?」
「泣いてないっ。そんなことよりあんなに血を吐いて。平気なのか?」
「血じゃないぞい。こいつは、ええっと」
「……赤い果物の実をつぶして裏ごししたもののようですね」
「なんとベタベタベタな。わらわは〈吸血姫〉じゃないってのに」
「われわれにもわかるように説明していただけますかな」
「そうじゃのー。〈副官〉ちゃん、できる?」
「間違っていたらちゃんと訂正してくださいね」
「うん」
「犯人はマリクシード・ル・ボンです。彼が転送魔法を用いて、わが魔王の口内に大量の果汁を送りこんだものと考えられます」
「なぜ、そんな愉快な……いや、無意味なことを」
「これは確かに無意味なことかもしれませんが、ちょっとした変更を加えるだけで、事態はまったく異なっていた可能性があります。ご想像ください。たとえば口内ではなく、頭蓋内に送りこまれていたらどうなったか、あるいは転送するものを果実の汁ではなく、強力な毒薬にしたら何が起きていたのかを?」
「まさに暗殺にはうってつけ、というわけか」
「しかし転送魔法というのは、本来、転送さきの空間に何も存在しないことを確認してから行うものです。もしもその空間にあらかじめ何かが置かれていれば、とんでもないことになる」
「よくてこっぱみじん、サイアク世界そのものの崩壊もありえる」
「ハイ。わが魔王の口内のような非常に限られた空間に物質を転送するというのは、ほとんど正気の沙汰ではない。こんなことができるのはこの地上ではあの魔法使いだけでしょう」
「しかもその男はいまここにはいない。目の届く範囲の外側から攻撃できるとなれば、それこそ惑星の裏側からだって殺れるってワケだ。ワクワクもんだね、わが魔王?」
「おそらくは近接戦闘より超長距離からの狙撃がやつめの真骨頂なのでしょう」
「なのにあの人類最強とやらはわらわの前にノコノコ姿を現しおった。となると無条件で使えるとゆーわけでもないのであろ。わらわと殺りあったのはこのための布石だな。いやあ、やりおる、やりおるぞ人類っ(ちいさい『つ』をつけてみたよ)」
「では、なぜ……」
「わらわを本気で殺しにこなかったか、かや?」
「……」
「だってわらわ、この姿のときは不死じゃもん。理屈はよーわからんけど」
「死なない!」
「魔王は無敵かっ」
「わらわの生命をぶん捕りたければ、『繭』、つまりわらわの城に直接乗りこんで、魔物の姿をしているときにやってちょーだいナ。ちなみに『繭』の中は異世界も同然なんで、フツーのやりかたじゃ転送魔法も届かないと思うゾ?」
「話が、話がちがうぞ……マリクシードぉ!」
「ナニあわててんのよ、大メス王国の大大大ダイの大将軍ちゃん? ここはあくまで知らぬ存ぜぬを貫くところであろ。座興としてはスパイシーじゃったよ、トマトジュースはすっぱいし、だけに」
ガタッ。
「魔王陛下。こたびのわれら人類側の非礼、このエクベットがお詫びいたします、どうか平にご容赦……」
「表情をおあげ。十代の坊やに膝をつかせるなんて、わらわの趣味ぢゃない。面白かったとゆっとるんだ、そーゆーことにしておくのも卑怯なオトナのやりかたとゆーわけぢゃヨ。つまらないことをゆっちゃえば、誠実さなんかより、そっちのほーが世界を救っておるのだぜ、少年。さあ、挫折感をしこたま飲みこんで、まだまだ会議とゆー名のこの真夏の夜の夢を続けようではないか、レッツ・ダンス、シャル・ウィ?」
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