狂気的なあなたへ

@hayasi_kouji

狂気的なあなたへ

 戦国時代の安土城。その天守閣に登り空を見上げる男がいた。

天下布武を掲げ、その仕上げへと向かう織田信長である。

戦乱に明け暮れた男であるが、その日常は家臣の妻からのグチにも穏やかに返書する一面もあったという。


 今日もまた、羽柴秀吉の妻・ねねからの手紙を受け取ったところだ。

相談役である妻・帰蝶とともに、ねねへのアドバイスを考えるようだ。

さて、彼の日常の一端に触れてみようではないか。






 どこまでも青く澄む空を見ていると、我が成した事柄も、わずかなものであると自覚できる。


 天下布武を掲げて、10余年が過ぎた。

あの三好長慶が制した堺・朝廷・貿易も制した。

かのものの構想と並ぶところまでには達したであろう。


 長慶の全てを知る松永久秀。

最後に、あやつと話したときにも、もはや教えるものなし、と言うておった。

少しは胸を張ってもよいだろう。


 楽市楽座、本拠地の移動、石垣造り、合戦の手法。

世間は、わしの独創であると言うが、どれもこの時代の先人に学んだものだ。

いわば最高のテンプレートを掛け合わせて、爆発させたのが、わしなのだ。


 わしであるから、できたのだろう。

そこに矜持はある。

だが、思い上がってはおらぬ。


 1人の人間が、50年の生のうちにできることは限られておるからな。

時間、目一杯に余すところなく使い切ってはいくがな。







 それにしても、秀吉め。またもねねを悲しませるとは。

妻としたからには、すべからく受け切らねばならぬ。

貧窮であるなど、立場によっては、我慢させる局面はあろう。


 だが、あいつは織田家の四天王である。

情状酌量の余地は皆無であろうな。


 畳の上に転がれば、虎の毛皮が音を立てることなく、わしを受け止めてくれる。


 そして、毛皮の比にならぬ太ももの上に頭を乗せる。

そのまま、先ほどまで見ておった青き空を続けてみれば、調子良く会話が始まる。


「信長さま、やはり秀吉殿がわるぅございますね」


 さらさらと手紙をしまうと、帰蝶は宣告した。


「祝言をあげてから、何一つとして変わらぬ」


 そうは言いながら、わしはまぶたを閉じてしまった。


「信長さまは変わり続けております」


 艶やかさを増す声が、鼓膜を揺らす。


「約束は守れておるか?」


「はい。何百と惚れ直しておりますゆえ」


 祝言の夜、そなたは懐剣を出し、信長がうつけとあらばこの刀で殺すように道三に言われてきたと明かしたな。

この先、何度も惚れ直させてみせると、わしは宣言した。


「何百と申すか。ふふ、そうか、そうか!」


 口元が緩むのがわかった。

夫としての役割は、少しは果たせておったようだな。


「帰蝶」


 身を起こし、光を映してきらめく黒き瞳の奥までのぞきこむ。


「祝言の日より、今日に至るまで。今のそなたが、愛おしい」









 身支度を整えると、茶を点てる。


 帰蝶は、作法に適っているのに、まるで知らぬように飲む。

ほかのものに振る舞う茶は、この時への踏み台に過ぎぬ。


「そなたへ点てる茶は甲斐があるな」


 桃のように淡くほほを染めた。


「さて、ねねだが。手紙にも認めるが、そなたからも折を見て話してやってくれるか」


「はい。私も殿の愚痴をこぼしておきましょう」


「わしに告げては、用を成さぬであろう」


「ふふ、あなた様の虜になりすぎては、盲目になりますからね。ねねに鑑定してもらうのですよ」


 たおやかに笑う帰蝶。


 ビロードのマントを着て、胸を張ると、柔らかに頷いてくれる。


「そのようなものかな」


「そうなのですよ」


 こうして微笑み合うひとときのために、戦乱を均しているのだろうな。

天下布武などとは、体裁を整えるものにすぎない。


 わしの思う世に従えと、武力で蹂躙するのだ。

そしてそのわしの思う世は、戦乱をやめてイチャコラせいというものだ。


 まったく、それだけでは通じぬと、やかましいやつらが多いがな。

明智光秀など、その筆頭である。


 もっとも、そのおかげで官職を全て信忠に譲ってもなお、わしの威厳とやらが整えられているがな。


「終日、わしとともにおられるか?」


 帰蝶は、城の中を仕切っておる。わしの代わりに応対する場合もあるし、場内の人員配置も任せておる。


 わしは政務も軍事も名前で押し通せる。

なんせ、第六天魔王と呼ばれるほどよ。


 帰蝶は、わしの威を使わず丁寧に対応するから、大変であろう。

「はい。ぜひ、お供させてくださいな」


 そういって、帰蝶は裾をなびかせ、立ち止まり、桃の花のように頬を染める。


「帰蝶。やはり今のそなたが愛おしい」


 共周りにも留守を除いて、遊びに行かせる。

畿内において、わしを狙うものはおらぬし、もしいたら打つ手はない。


 イチャコラの世は近いのだ。

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