三話 『女性客』後編
五月は半纏に更には手編みの帽子と、長靴にマフラーと最大の防寒対策を施し。
小雪のお手伝いとして、目の前の野菜を切っていきます。
大根の皮を剥いて、いちょう切りに。ニンジンの皮だって綺麗に向けます。
小雪はゴボウを「ささがき」する五月を見て、目をぱちくり。
「お客さま。包丁のあつかいが上手いのですね!」
当然だと五月は胸を張ります。
結婚の為に五月は調理を必死になって勉強してきましたから。
大抵の料理は簡単に作れるのです。
ましてや「豚汁」なんて朝飯前。
そう自信満々に野菜を切っていくのでございます。
本当はお洒落なイタリア料理やフランス料理の方が好物で特技なのでございますが。
ただ、何故かこの特技。あまり男性受けは宜しくありません。
なので、最近は総菜に頼りっぱなしでございました。
世の中には包丁すら持てない娘もいると言うのに、何故自分はモテないのか。
少しだけ悩みましたが、五月はもう関係ないのだと振り払いました。
そんな百面相を見せる五月に、小雪は微笑みます。
「お客さまは表情がコロコロ御代りになって、とても愛らしいです!」
それは褒めているのか。と疑問に思いましたが、小雪の顔を見るに本音であると嫌でも分かりました。
それも心からの賛美であるようです。僅かに悩みましたが、五月はお礼を口にしました。
「思った事が直ぐに顔に出てしまうのでしょうね。お客さまはとても素直な方ではありませんか?」
今度の小雪の言葉には五月は口を噤みます。ソレは見当外れも良いものです。
だって、五月はいつも作った笑みしか浮かべていませんでしたから。
本当の表情に戻るのは家の中だけ。
いつも、しかめ面でスマホを見てばかりでしたので、ここ最近は笑った記憶もありゃしません。
五月は、小雪にそんなに自分は表情が変わるかと問いかけました。
小雪は微笑み頷きます。
「はい、お客さまは此処に来てから悩んだり、眉を顰めたり、笑ったり、大変そうでしたよ?」
――それは、全て小雪のせいです。
五月は思わず笑みを浮かべました。
ふと、その笑みに気が付きます。
今、自分は笑ったのかと。
それは思わずにございました。
小雪の一言がクスリと笑えて。
小雪の様子に、心底呆れて。
それはもしかしたら苦笑と呼ばれるものかもしれません。
それでも、にございます。
たった今自分が心から笑えて事に驚いて、そしてどこか安堵をしたのです。
自分はまだ心から笑えるんだ、なんて。
「ほら!今もお客さまはニコニコです!」
小雪が笑顔で指摘します。
五月は少しだけ固まって、頬に手を伸ばして、またクスリ。
ああ、本当だと笑うのです。
◇
「さあ、お客さま。たんとお食べ下さいませ!」
暫くして豚汁は出来上がりました。
五月の目の前、こたつの上には出来立ての豚汁と焼き芋が一つ。
側には淹れ立ての緑茶が置いてあります。
にこにこ微笑む小雪の前で、五月は手を合わせました。
豚汁なんて久しぶりです。
田舎で食べた以来ですから彼此10年以上食べておりません。
茶碗を手に持って「ふーふー」と息を吹きかければ、豚汁から立ち上がる湯気がゆらゆら揺れました。
そのまま一口。
昆布だしの優しい味噌味が身体の端々迄染み渡り、五月は小さく息を付きました。
野菜から、お肉から出汁がしみだしていてとてもおいしいのです。
次は大根をパクリ、味が染みわたっていて此方もまた大変おいしゅうございます。
味付けは小雪が行ったのですが。
五月は、貴女もなかなかねと笑いました。
「ありがとうございます!」
五月の賛美に素直に頭を下げる小雪。
その様子を見つめながら、五月は次に焼き芋に手を伸ばしました。
こちらもまた出来立てのほやほやにございます。
一口サイズに割って、口に放り込めば「あつあつ」で「はふはふ」
お菓子の様に甘い、サツマイモの味が口いっぱいに広がるのです。
豚汁が10年前なら焼き芋は更に昔。
もうかれこれ20年も食べてはおりません。
いえ、サツマイモなんて最近はお菓子にされた芋しか食べていませんでしたから、サツマイモはこんなに甘いのかと驚いたぐらいにございます。
いつも食べているお惣菜よりも、見栄を張り本を見ながら作ったお洒落な料理よりも美味しく感じるのは気のせいなのでしょうか?
幸せそうに豚汁と焼き芋を頬張る五月を前に、小雪は微笑みました。
「そうだお客さま。夕食の方は如何なさいますか?食べたいものがあれば仰って下さい」
夕食?そう思い、五月は思わず開かれた障子の向こう、外を見上げます。
かなり時間が立っていたと思いましたが、気が付けば外はまだ微かに明るいです。
小雪が言います。
「今は3時を過ぎたぐらいになります。お客さまはお着きが早かったので、本当は昼食もしっかり用意しておくべきだと思ったのですが……」
考えてみれば。五月は朝、この異世界に飛ばされたことに気が付きました。
此処でも同じ時間だとすれば、それは確かに、まだ空が明るいのにも納得が出来ます。
いいえ、むしろそんなに時間が立っていたと驚いたぐらいです。
少しして五月は首を振りました。
昼食であるなら、この豚汁で十分です。
そして、夕食ですが。
五月は豚汁を見て考えました。
そして願うのです。
夜はこの豚汁に合うおかずを数品用意して欲しい。
そして、ついでにサツマイモのお菓子も。
砂糖を使わないで、なんて少しだけ無理を言って。
五月の頼みに小雪は笑います。
「はい、お任せくださいませ!」
そう笑って、今夜の夕食の事を考えるのです。
五月は夕食が楽しみになりました。
そして、此処まで来れば欲も出てきます。
何分先ほどまで焚火の前で調理していましたので、寒いと言っても汗をかいてしまった訳で。
そうなると思ってしまうのでございます。お風呂に入りたい――と。
「ええ!?それは温泉の事でしょうか?でもお客さまはアレルギーでして……!い、今からドラム缶風呂をご用意いたしますね!!」
五月の言葉に小雪は大慌てです。
この様子だと本当にドラム缶風呂を用意しかねない勢い。
五月は自分が付いた嘘でありますから、苦笑を浮かべて首を振りました。
本当はアレルギーなんて無い事を素直に話したのです。
五月の話を聞きまして小雪は僅かな間、満面の笑みを浮かべます。
「そうだったのですね!ではご案内しましょう。今日はミルク風呂!どうぞ、ごゆるりと思う存分身体を温めて行ってくださいませ!」
◇
真っ白な温泉から上がった五月は、自分の部屋でホッと一息。
用意されていた鮮やかな浴衣を着て、これまた部屋に用意されていた牛乳を飲んでリラックス。
心の中でこれは確かに極楽である、等と思ってしまいました。
「しつれいします、お客さま!」
くつろいでいますと、外から小雪の声が。
五月は僅かに慌てます。
ほら、メイクはとうに落ちてしまっていますから。
しかし、此処は女同士。
それにもう腹は既に決めてあります。
五月は小雪が入る事を許しました。
障子の扉が開きます。
小雪は驚くだろうな、と案じていた五月でしたがそれは全く。
眉毛が無くなり、糸のように細くなった目の五月を前にしても小雪は、ちっとも表情を変えません。
「お湯加減は如何でしたか?」
変わらず笑顔で接してくれる小雪に、五月も笑みを浮かべました。
「そうですか、それは良かった。――あの、お客さま。宜しければ此方をお使いくださいませ」
五月の答えに満足そうに頷いてから、小雪は小瓶を一つ差し出します。
中には白い液体が入っております。
「これはお米のとぎ汁なのですが、化粧水として女性のお客さまにお出ししているのです。化粧水は流石に私は作れませんし、お肌が弱い方も沢山いますので。これぐらいしか用意出来ず申し訳ありません……」
五月が何かと問いかける前に小雪が聞かせてくれます。
これには五月も驚きです。
確かに米汁は美容に良いと昔から伝えられていましたから。
いいえ、まさか化粧水が用意されているとは思いもしていなかったのでございます。
それで十分と五月は小雪から化粧水を受け取りました。
化粧水を貰って、少し、おずおずと言った様子で五月は小雪に聞きます。
化粧品とかありませんか――と。
少しの間、小雪は小さく頭を下げました。
「少々お待ちください」
◇
「こちら、他のお客さまが置いて行ったものです。どうぞ好きな物をお使いください!」
暫くして五月の前に沢山の化粧品が並びました。
ファンデーションにマスカラ、アイライナーからリップグロスやアイシャドーまで。
いつも使っているモノとは勿論違いますが、必要な物はそろっております。
五月は礼を言います。
そして、つい小雪に使わないのかと聞いてしまいました。
小雪は首を横に振ります。
当たり前だと五月は思ってしまいました。
使わなくても十分に小雪は愛らしいのですから。
「――い、一度つかってみたのですが……。ば、化け物と言われてしまいまして」
しかしです、小雪の返答は斜め上の物にございました。
でも一度しか使ったことが無いのなら納得です。
なにせ五月も初めは同じでしたから。
だからこそ、想像が出来て笑ってしまうのです。
「ううう……。でもあれです、紅ぐらいなら、させますから」
そう言って、小雪は懐から綺麗な模様の入った貝殻で出来た口紅を取り出しました。
ずっと思っていたのですが、小雪は中々に昔のお人。
これにも五月は笑ってしまいました。
でも、五月は小雪には化粧は似合わないと言います。
綺麗だから必要が無いと正直に褒めました。
褒められた小雪は僅かに頬を染めて、嬉しそうに耳と尻尾を動かしながら五月を見ました。
「それでしたら、お客さまも十分お綺麗ですよ!」
この言葉に五月は眉を顰めました。
ソレは無い。
そんな事は絶対にありえない。
それは腹立たしい嫌味にしか聞こえない。
綺麗になりたいから化粧をしている。
美人には分からない。
素直に怒りを露にしました。小雪は慌てます。
「いえ、あの、お化粧を馬鹿にしている訳では無いのです。一度お化粧をしたことがあるので、どれだけ大変化も分かっています。皆様がどれだけ苦労して綺麗になろうとしているかも十分に理解できます。自分の顔が嫌いだと言うお客さまは沢山おいでです。そんなお客様さまの言葉もお気持ちも否定するつもりもありません!」
小雪の言葉は心から籠ったモノがありました。
口を噤んだ五月に、小雪は続けます。
「努力を積み重ねる姿はとても美しいです。輝いています。でも――。コレを言うと怒る方もいますが、でも私は其れでも思うのです。そんな努力をなさってきた沢山のお客さまを見てきて――」
前置きして、小雪は真っすぐに言いました。
「醜いと言う方は、この世のどこにも存在しないのだと」
五月は何も言いません。
小雪の目があまりにも真っすぐで、柔らかな物であったからでしょうか。
思わずと、手が自分の頬にのびました。
いつもメイクをしなければ自信も産まれず、外にも出られない自分の顔。
――私も同じか。
思わずと問いただしますと、小雪は大きく頷きました。
「もちろんです。お客さまはとても愛らしい顔立ちだと私は思います。それにお客さまはお肌がお綺麗です!お手入れを頑張っているのが目に見えて良く分かります!」
五月は僅かな笑みを湛えました。
どれだけ褒められたって、顔立ちに関しては、胸は張れません。
でも後者に関しては当たり前です。
五月は努力してお肌の手入れは頑張ってきましたから。
必死に調べて、何度も試して、自分に何があっているか。
苦労して苦労して今までを過ごしてきたわけですから。
産まれ持った顔に負けないように。
綺麗だと言われるように。誰よりも努力してきていると。
自負して言い聞かせて来ましたから。
だから、当然なのです。
でも、こんなに真正面から。
裏表のない満面の笑みで褒められるなんて、余りに初めての出来事であったから。
心から、嬉しいと感じる事が出来たのです。
目元に感じる熱い物を指でふき取りながら、五月は笑みを浮かべます。
自信たっぷりに。今まで一番飛び切りの綺麗な笑顔で、お礼を。
そして、「そんなの当然だと」胸を張って言ってのけるのです――。
◇
夜も明けて次の朝。
五月は部屋に置かれた鏡の前で、自分の顔を見ていました。
昨日と同じ、メイクで綺麗に決めた顔。
違うメイク用品でしたが、代用には十二分にございました。
ただ、昨日と違うと言えば。
五月は鏡の前で、笑顔を浮かべます。
まずは何時ものように無理やり口元を吊り上げて、醜く。
次に自然に昨日の事を思い出しつつ、自然に心からの笑顔を。
その差に五月は自身で笑ってしまいました。
コレは確かに酷い。最低な嫌われ者だと。
こんな顔で仕事を押し付けられたらそりゃ断れないし、
男も近寄って来ないと。心から笑います。
まだ顔に自身なんて微塵も無いけど、メイク用品だって手放せないけど。
昨日より晴れ晴れと、とても明るく優しい気持ちにはなれたのです。
五月はこれから、また別の世界に行きます。
主人公で、悪役令嬢。
――なんて。死んだ記憶も無いのに。
多分、自分は転移なので『悪役令嬢』なんて有り得ないと分かっていましたが。
今に思えば随分ありがちで。
なんて都合の良い思い込みの激しい願望をもっていたのだろう。
――なんて、自身で呆れかえってしまいました。
いいえ、もし例え、そんなゲームの世界に飛んでも。今までの
物語の主人公のように幸せをつかみ取る事は無かったな、と今度は苦笑を一つ。
でも、今は違います。
先ほどの嫌な五月は『昨日までの自分』
でも『今日からの五月』は別物なのです。
別物で在ろうと、在りたいと決めたのですから。
彼女は鏡の前で笑顔を浮かべ。
コレからの人生を新しく一歩踏み出す彼女は。
誰の目からでも分かるほどに、それはとても綺麗でございました。
「五月さま、出立の準備が出来ました!」
後ろから五月を呼ぶ小雪の声がします。
五月は鏡の前で一度小さく頷いて。
昨日と同じぐらい、いいえ。
――昨日より綺麗な笑顔を浮かべて振り返るのです。
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