二話 『ゲーム』前編
どうぞ皆様。お元気でしょうか?
こんこん、こんろろと狐のお宿。
お宿の女主人、小雪は今日もあせくせ働いております。
長い長い廊下を掃除して、大きなお風呂を掃除して、門前の雪かきも忘れはしません。
だって、今日は新しいお客様が来る日でございますから、名一杯綺麗にするのです。
「ふう!」
掃除が終わった様子で、小雪は漸く顔を上げました。
最後の掃除はお客様がお使いになるお部屋。何処よりもピカピカに仕上げて綺麗にします。
目標より綺麗に仕上がりましたから、小雪も満足げに笑って額の汗を拭うのです。
そんな時でございます。
――こんこんと、戸を叩く音が聞こえたのは。
小雪は狐の耳をピクリ。
慌てた表情を浮かべます。
なんてことございません、お客様が来られたのです。
ですが小雪からすれば大慌てです。
思っていたより、早いお付きでございましたから。
頭には頭巾、白い割烹着。
今まで掃除をしていて、汚れている小雪には大慌ての文字しか浮かびません。
それでもお客様をお待たせする事だけはいけない事ですから。
慌てながらも、割烹着を脱いで、髪を手櫛で整えながら玄関へと走るのです。
玄関へ着きますと、外から戸を叩く音がします。
小雪は顔を白くさせました。
本当は門前迄お迎えに出なければいけないのに、お掃除に気を盗られていてお客様が、屋敷前まで来ていたことに気が付かないなんて。
女将として失格です。
此処から挽回しなければ!
――なんて思いで、草履をはいて笑顔を浮かべて戸を開けるのです。
「お、お待たせいたしました、お客さま!」
戸を開ければ、大きな影がおひとつ。
ダボダボな洋服に、ふくよかなお体。
険しいお顔の、ずんぐりと太った殿方が御一人立っていました。
その見慣れない服装は間違いありません。彼が今宵の客様。
小雪は、もう一度笑顔を一つ。
「ようこそ、『子ぎつね亭』へ!お待ちしておりました!」
何時ものように深々とあたまを下げるのです。
◇
「さあ、さあお客さま!此方がお客さまのお部屋となります!」
小雪は何時もの通り、お客様を案内いたします。
障子の扉を開けて、綺麗にしたばかりのお部屋に案内しました。
お客様は終始無言。
何も言わないままに、部屋へと入っていきます。
そのまま、無言なままに座布団にお座りになったお客様に、小雪は笑顔を向けます。
「お夕食には、まだまだ時間があります。露天などもございます。如何ですか?」
お客様はなんにも言いやしません。
「なんと今日のお風呂は、椿風呂!お庭の椿を浮かべてみたのです!」
お客様はなんにも言いやしません。
「お風呂上りには、搾りたてのミルクはどうですか?我が家の桃子のミルクは天下一品でございます!」
お客様はなんにも言いやしません。
桃子とは、宿屋で飼っている牝牛の事です。
「では、軽い軽食は如何ですか?おにぎりでもお作りしましょうか?」
お客様はなんにも言いやしません。
「ご、ご夕食は如何しますか?ご希望があれば仰ってください!」
あまりにお客様が俯くだけでなんにも言いやしないので
小雪は口を閉ざし、頭を下げました。
このお客様は、あまりお話がしたくない方だと判断したのでございます。
頭を下げたまま、小雪は鈴を差し出しながら口を開きました。
「では、何かございましたら此方でお呼びください!」
――お客様はやはり最後まで何も言いませんでした。
扉を閉めて、部屋から少し離れて。
小雪は耳をピクピク動かしながら溜息を零しました。
此度のお客様、おしゃべりが苦手なお客様。
こちらの世界について簡単に説明した際も彼は何もしゃべりは致しませんでした。
見た感じは御納得していた様には感じられますが、しかし。
話すのが苦手と判断致したのは良いものの。
はてさて、このお客様にはどのようにおもてなしすればいいのか。
小雪は困ってしまったのでございます。
御用があれば呼んでくださいと言ったものの、せっかくのお客様を放っておくわけには行きません。
彼に何かできないものかと、悩んでしまうのです。
小雪は考えました。
ですが、思いついた事と言えば、自分のおやつにと用意していた牡丹餅が頭に浮かぶぐらいでございます。
――辛い選択でございますが、致し方がありません。
小雪は自分の部屋へと向かいました。
◇
「お客さま、失礼いたします!ささやかな物ですが、軽いお食事をお持ちしました!」
部屋の淵で小雪が頭を下げます。
お盆にはきなこと小豆の牡丹餅が二つ。
そして淹れ立てのお茶が入った湯呑が一つ。
暫く頭を下げていましたが、お客様はやはり何も言いません。
顔を上げても、チラリとも此方を見ようともしませんので、小雪は尻尾を下げるしかありません。
「し、失礼してもよろしいでしょうか?」
おずおずと聞けば、少し間。
お客様は小さく頷いてはくれました。一安心でございます。
小雪は客間に入りますと、机の側へ。
お盆の上の牡丹餅と入ったお皿と湯呑をお客様の前へとおきました。
「手作りの牡丹餅になります!」
お客様は何も言いません。
いいえ、僅かながらに、はじめて、お客様は反応を露わにしました。
ちらりと視線を上げて、机の上の牡丹餅を見つめます。
長い沈黙、お客様は口を開きました。
――ケーキとか無いの……?と。
小雪は困ります。あわあわと慌てます。
ケーキと言う存在はしていますが、今は無いからです。
「も、申し訳ございません!きょ、今日は牡丹餅しか用意しておらず!」
あわあわとしていますと、お客様はただ小さく「そう」と呟いたのち、黙り込んでしまいました。
また何もしゃべらなくなってしまったお客様。小雪は頭を悩まします。
お客様は牡丹餅に手を伸ばそうとは致しません。
ただ俯いて無言のままです。
つまらなさそうに、此方を見向きもしません。
このままではおもてなし失格にございます。
だから小雪、決心いたしました。
「お客様!少々お時間を貰ってもよろしいでございましょうか!」
声を高らかに立ち上がった小雪。
お客様は流石に唖然として、その迫力に頷くしかないのでございます。
小雪は深々と頭を下げると慌ただしく部屋を出ました。
向かう先は台所です。
寒い床下から卵とミルクを取り出して、棚からは小麦粉と砂糖を。
石造りの竈に薪を入れて火を熾して、取り敢えずは準備完了でございます。
ここからは体力勝負にございましょう。
なにせほら、バターから作らなくてはいけませんから。
◇
――あれから、2時間ほどでございましょうか。
小雪は速足で客間に急ぎます。
客間の障子を前に、膝を付いて小雪は声を上げます。
「お客さま、遅くなりました!今、お時間宜しいでしょうか?」
声を掛けると暫く、中から「ああ」と小さな声が聞こえてきました。
小雪は笑顔を浮かべて障子を開けます。
障子を開けますと、変わらずお客様が座布団の上に座っています。
机の上の牡丹餅は変わらず置いてあるままです。
小雪は頭を下げます。
「お待たせしました。簡単な物でございますが、ケーキを用意いたしました!」
そう言って、お盆に乗せたシフォンケーキと紅茶の入った急須を差し出すのです。
頭を下げる小雪を前に、お客様は無言のままでした。
それでもめげずに、小雪は客間の中へ。
机の上にケーキが乗った皿をのせて、急須で紅茶を入れるのです。
呆然としているお客様を前に小雪は微笑みます。
「そちらのお皿、おさげしましょうか?」
お客様は小さく頷きます。
小雪は牡丹餅が乗ったお皿と、冷め切った湯呑をお盆に乗せます。
もったいないので、この牡丹餅は後で小雪のおやつになりましょう。
お盆を下げて、小雪はお客様に太陽みたいに笑顔を見せます。
「どうぞ、お召し上がりください!」
そんな小雪を前にお客様は無言のままでした。
すこしして、彼がゆっくり口を開きます。
自分の一言で、あんな我儘の為にコレを作ってくれたのか。
そう問いかけて来ます。
小雪は一度首を傾げて首を縦に振りました。
「牡丹餅しか用意していなかったのは此方の不手際ですから!これぐらい当然です!」
小雪の言葉を聞いて、お客様は口を閉ざします。
酷く眉を顰めて、もう一度小雪を舐めまわすような視線で見ます。
暫くして、彼はもう一度口を開きました。
こちらの要望は何でも叶えるつもりなのか、問いかけて来ます。
小雪は、その視線を理解できません。
だから笑顔で頷くしかありません。
「はい、出来る限りのご要望は叶えようと努力する次第です!」
そんな小雪を前に、お客様はまた俯きました。
だったら、と一間を開けて。彼が言います。
ゲームを用意して欲しい、そう要望を出すのです。
これに困ったのは小雪です。
ゲーム、それはしています。どんなものかも知っています。
此処は様々な異世界のお客人が訪れますから、どのようなものかは知っているのです。
だからこそ困るのです。
「申し訳ございません。――おそらく、お客さまのご所望のものは用意できません……」
ですので小雪は正直に言いました。
此方はどんなに頑張っても小雪には用意できないモノです。
逆立ちしたって出やしません。
だからコレばかりは正直に頭を下げるしか出来ないのです。
小雪を前にお客様は言いました。
どうしてもゲームがしたい。どんなゲームでも良い。身体を使ってでも用意しろ。
――ここまでゲームを望むお客様は小雪にとっても初めてにございました。
ですか、やはり困ります。
ゲームなんてモノ。
直ぐに用意できるものなんて、けん玉やお手玉、羽板ぐらい。
今まではコレで切り抜いて来ましたが。此処までゲームがしたいとねだるお客様。
お客様は「どんなゲームでも」と仰って下さいますが、そんなもの出されてもがっかりするでしょう。
困り切り、耳を下げる小雪を前にお客様は立ち上がります。
風呂に入ってくると言った彼に小雪も慌てて立ち上がりました。
彼を脱衣所まで案内しなくてはいけませんから。
こちらですと声をお掛けして、露天までご案内しましたが、小雪はゲームの事で頭がいっぱいでした。
脱衣所の前でお客様が言います。
風呂から上がるまでに用意しておけ、と。
ですがやっぱり小雪は耳を下げたまま。悩まし気な表情を浮かべ続けるのです。
――いいえ、ここまで望まれたなら仕方がありません。
「分かりました!小雪は精一杯頑張らせて頂きます!」
もうこうなればヤケにございます。
小雪は吹っ切れた様子で顔を上げて、一度深々と頭を下げますと元気いっぱいに駆けだして行くのです。
◇
小雪は一人部屋で、鋏をチョキチョキ鳴らしておりました。
足元には様々な色の色紙が散在。
机の上には小さな折り鶴が複数用意され。
木で出来た小さな四角のおもちゃが一つ。
次に頬を墨で汚しながら、必死に大きな和紙に筆を走らせるのです。
最後は、この和紙を糊を使って用意しておいた木の板に張り付ければ、それで完了――。
そんな時にございました。
部屋の外から小さく声を掛けられたのは。
小雪は耳をぴくん。肩を震わせます。
顔を向ければ、障子の向こうに人影が一つ。間違いなくお客様です。
どうやら、いつの間にかお風呂を上がり、彼方から声を掛けてきたようでございます。
小雪は大慌てで障子をあけました。
目の前には先と変わらず、シャツを着たお客さまが立っておられます。
小雪は部屋の隅に目を投げました。そこには用意していた浴衣が一着。
これはお客様がお風呂を楽しんでいる間に、用意して置かなくてはいけないものです。
その間に元々のお客様のお召し物は洗わなくてはいけない筈なのに、お客様の服装は先と変わらないままです。
そもそも、背中を流すと言う行動も忘れていました。これは手痛い失敗でしかありません。
小雪は深々と頭を下げました。
「申し訳ございません。私ったら、夢中で!探し回りましたか!?」
お客様は小さく頷きます。
彼の手には渡しておいた鈴があります。
何度も鳴らしたのでしょうか。
其処まで気が付かないなんて。小雪はもう一度頭を下げます。
良い、とお客様は許してくださいました。
小雪はホッと致します。
ありがとうございますと、頭を下げます。
お客様は口元を吊り上げました。
それよりも、『ゲーム』は用意できたか。
そう言って、小雪に近づいて、震えながら彼女に手を伸ばすのです。
小雪は何故彼が笑っているか分かりません。
何故、彼が震えて、自分に手を伸ばしているか分かりません。
だって小雪は人間の欲なんて知りやしませんから。
そんな事より小雪はお客様である彼に見せるモノがありますから。
彼が今どんな事を考えているかなんて関係ないのです。
ゲームは用意できたか。そう問われた小雪は笑います。
「はい!お粗末ながら『ゲーム』用意させて頂きました!」
心から楽しそうに、太陽に笑って。
小雪は、罪悪感と恐怖から、肩を震わせたお客様に今作った物を嬉しそうに見せるのでございます。
大きな和紙に描いた、沢山のマスが描かれたゲーム。
「スタート」と「ゴール」だけが、妙に大きく描かれたゲーム盤を一つ。
「『人生ゲーム』を作ってみました!」
そう、えっへんと自信満々に胸を振り、尻尾を振りながら。
しかしですが、お客様。黙ってしまいます。
小雪がゲームをしっかり用意できていたからではありません。
もう一度言いましょう。
大きな和紙に沢山のマスと、「スタート」と「ゴール」
コレのどこが『人生ゲーム』なのでしょうか、すごろくにだってなりやしません。
ですが、目の前の小雪は自信たっぷりに言い張っていますので、固まってしまうのも仕方がありません。
しかもです。一番肝心のゲーム盤がこんなにも適当なのに対して。
机を見れば、ちゃんと『お札』やら『駒』やら『サイコロ』はしっかり作られていますので。
まあ、確かに、彼女は『人生ゲーム』を作ってはいたようなのでございます。
それは『人生ゲーム』では、無いかな。
お客様が重たい口を開いたのはそれから一分後の事にございます。
小雪はキョトンとしました。
じぃっとお客様とゲームを交互に見つめて、数回。
小雪の顔は見る見るうちに困惑したモノへと変貌していったのでございます。
「も、もも、申し訳ございません!ち、ちち、違いますか!?こちらは!!」
お客様は頷きます。
もう小雪は大慌てです。
だって、小雪、前に別のお客様から『人生ゲーム』なるモノを聞いていましたから。
でも、中途半端に聞いただけでございましたし。
どんな『ゲーム』かも知りもしませんでしたから、コレが正しいと自信満々に作ったと言うのに、蓋を開けてみれば此方です。
残念ながら。小雪のそれは『人生ゲーム』では到底無いのです。
小雪は慌てふためきました。
せわしなくあたりを見渡して、しょんぼり耳を下げてしまうのです。
その様子を見て、お客様は大きくため息を零されました。
仕方が無さそうに、小雪から和紙を受け取ると、机の反対側に座って筆を手に取ります。
そして、『人生ゲーム』とはどんなものか、ソレを説明しながら、小雪の描いた無駄に大きなマスの中に文字を書いていくのです。
ひとつひとつ丁寧に、彼が生前から知っている『人生ゲーム』を思い出しながら。
良い出来事も、悪い出来事も、分け隔てなく。
その様子を小雪は物珍し気に見つめておりました。
お客様から説明を受け、小雪はようやく『すごろく』へと結びつく事が出来ました。
しかしと、疑問に首を傾けます。
「お客さま、その…10万失うとか、宜しいのですか?もっと前向きな、もう全部のマスが良い事じゃ駄目なんですか?」
お客様は呆れかえります。
それが人生と言うものだろう、と当たり前の事を口にします。
良い事も起きる、悪い事も起きる。それが当たり前の『人生』だろう。そう言われて漸く小雪もはっと我に返りました。
「なるほど!たしかにそれは『人生ゲーム』ですね!」
笑顔で、当たり前のことを、しみじみに気が付いて納得したように頷くのです。
そうなれば小雪も手伝えます。
なにせ無駄に大きな和紙ですから。お客様の半分を小雪が書けば手間も省けるという訳です。
小雪はタンスの中から筆をもう一本取りだすと
「うーん、えーと」と考えながら文字を書いていくのでございます。
「お客さま!こちら側はお任せください!取り敢えず、『一千万貰える』と『二千万失う』で宜しいでしょうか!」
――ちょっと、半分側から人生の山と谷が激し過ぎます。
2桁ほど多い。
お客様はそう苦笑いを浮かべて、最後にふと彼は思い至るのです。
『お客様』なんて呼びにくいだろうと。
そう考えて、小さい声で自身の名が「浜崎
「分かりました尊さま!はやく仕上げて『ゲーム』をいたしましょう!!」
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