6B-3☆『同題 -邪眼の魔牛-』

 ……そのジュリアスは爆炎の渦中にいたにも関わらず、無傷であった。


 火傷の一つもない──但し、その身代わりに身に纏っていた外套が焼け落ちて

しまったが。


「あいつらの所へ転移すりゃ良かったかな……対応をしくじった。折角の衣装が

勿体もったいねぇ……」


 "反応爆装"リアクティブフレアー──


 呪文が完成し、爆発するまでの僅かな間隙に合言葉だけで発動した。念には念を

入れ、爆炎と爆発の相乗効果で確実に仕留めようとしたのだ。

 ……結果は過剰だったが。


 首元に半端に焼け残った外套を始末しながら、ジュリアスは仲間の方を見た。

 血相変えてこちらに来ようとしている。


 ……ああそうか。番人"達"には樹霊呪槍ドライアドスピアで倒せな

かった時点でが、そういう事もあるとはまるで

伝えてなかった。


 もしかしたら増援はやり過ごせるかもしれない、などとドーガ達が考えていたり

すると──


 ……合流したら己の短慮という事にして※注(ジュリアスは戦闘の結果如何いかんで囮になるつもりでいた)、平謝りするしかないな(その上で急いで走って貰おう)……と、

考えていたその時、彼の足元に何かが転がっているのに気が付いた。


「なんだ……?」


 単眼。何かの生首。黄金色。雄牛のような双角が生えた豚の生首。単眼の。

 それは魔力の発動か、爛熟らんじゅくした瞳が何故か光ったように見えた気がした。


 そして──


*


「……それは水牛のような体、豚に似た頭に雄牛のような角、何より特徴的な

瞳は単眼でくすんだ黄金色をしているという。その名はカトブレパス。邪眼の

魔獣で目を合わせたものを殺すという。その眼に見入られた者は全身が硬直し、

肉体が機能不全に陥る。臓器や筋肉が働かず、強力な暗示を撥ね退けねば

そのまま死に至る──そのような邪眼だ。そして何より油断ならない点は、

カトブレパスの首は非常に長く伸び縮みし、思わぬ死角から不意打ち気味に

睨みつけられて命を落とす者もいるという」


 ルー=スゥは隠遁いんとんしている身とはいえ、死を司る者。今でも死を扱うもの

には詳しい。


 カトブレパスもまた、その範疇はんちゅうであった。


「……もっとも、あのジュリアス=ハインラインがその程度で死ぬとは思えない

けどね」


*


 彼はカトブレパスを見た。カトブレパスもまた、ジュリアス=ハインラインを

見てしまった。


 カトプレパスがジュリアスの瞳を覗き込んだ時、彼の瞳にはまず怒りがあった。

 次に、憎しみが燃えていた。


 ……何に対してか? 


 無論、敵対者である。慈悲はなく殺意しかない。彼が瞬間的に抱いた怒りと

憎しみは既に殺意に変わっていた。


「ゥ──!」


 まるで蹴り出されたような速度で生首が飛んでいく。いや、戻っているのだ。

 胴体に。その限界まで伸ばされた腸のような首が勢いよく縮み、そのように

見えたのだ。


 激しい打擲音ちょうちゃくおんと共に首が胴体に戻ると隣に人間が立っていた。それは先程

間近で見た筈の、


「畜生風情が手前から喧嘩吹っ掛けといて怯えてんじゃねぇよ。今すぐ俺が殺……

いや、お前に"死"を教えてやる」


 ジュリアスは左腕を見た。袖には魔力で文字が記されている。

 此処に来る直前、に呪文を書き出していたのだ。

 無理矢理高めた殺意が冷めぬ間に、視線でなぞってつむす。


「偉大なる三柱にして死を司る神クル=スよ 我に力を授け給え……」


 彼が呪文を唱え始めるとカトブレパスはゆっくり後ずさり、非難じみた唸り声を

あげている。


 自身の縄張りの近くで何かが起こった、好奇心を抑えきれずに覗きにきた結果が

これである。魔眼の発動も半ば無意識的に行った挨拶のようなものだったとしたら、

それは弁解というか抗議の一つもしたくなるだろう。


 ……だが、今のジュリアスはそのような事情は鑑みない。


「不慮と不意と理不尽な危難 詰まり 潰れ し折れ 手折たおる 掴み 挟まれ 

しぼられ る 血塗ちまみれた手、死の抱擁ほうよう 呵責かしゃく無き無邪気の悪意 罪と罰の

裁きにあらず──」


 単眼の瞳孔が恐怖に丸くなる、


「"死の握手ザ・クロー"!」


 呪文は完成した、かざした左手は青白い光を放っているが、それから何かが起きる

気配はない。


 ……暫く無言の睨み合いが続くが、業を煮やしたジュリアスが一歩前に踏み出した

時、魔獣は反転して一目散に駆けだしていった。


 逃げるその背中を追い討ちする気にはならず──ジュリアスは頭を冷やすように

大きく、長く、息を吐き出した。


 そして、魔術が発動しなかった左手を一瞥し、握り潰すように魔力を霧散させる。


(こうなるだろうとは薄々思ってたけどな。力の源であるクル=スは名目上は

死んだ存在だ……魔術はそれ故に発動しなかったのか、それとも敵対者である

俺に力を貸したくなかったのか。いずれにせよ……)


「……ま、神様の気まぐれに感謝するんだな」




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