魔王城の天井から降ってきた聖女、魔王軍にて預かり中。

雛菊優樹

第1章 聖女降臨編

#1 現実の魔王が伝承通りとは限らない

 魔王――それは、獰猛なる魔族の頂点に立つ存在。

 人間よりもはるかに長い寿命を持ち、拳の一撃は大地を割り、呪文を唱えれば一つの町を壊滅させる。その心は全世界を征服するという野望に満ちており、たとえ配下が活発に動いていなくても、常にその動向を警戒せねばならない。


 一方、魔王は人間の勇者に倒されるのが英雄譚におけるお決まりの展開である。しかし、両者の戦いでは最終的に勝利を収める勇者一行も深手を負って力尽きてしまうことがあり、魔王の実力は計り知れない。


 ……と、人間たちの間で語り継がれている。





「…………くだらん」

「ええっ!?」


 魔族領の最奥部にそびえ立つ魔王城。その玉座の間で、一組の男女が向かい合って話をしている。男性のほうは黒髪に上質な生地のマントを身につけ、気だるそうに玉座に腰かけている。

 一方、女性のほうは桃色の髪を短く切り揃え、黒のメイド服に白いエプロンといった出で立ちだ。両者の服装や仕草を見るに、この二人は主従関係にあるのだろう。


 しかし、二人の頭から生えた角や背中の翼、そして尻尾は、彼らが人間ではなく魔族であることを物語っている。

 もっとも、ここは魔族領なので人間がいること自体珍しいのだが。


「そんな……折角ガルベナード様に許可を頂いて人間領へ一か月間滞在して、魔王に関する伝承を集めてきたというのに、それを『くだらん』の一言で片づけられてしまわれてはわたくしの心も傷つきますわ」


 メイド服の女性がその場で崩れ落ちて膝をつき、今にも泣きそうな顔で訴える。彼女の背中に生えたコウモリの羽や、スカートの下から伸びる悪魔の尻尾も、元気なく垂れ下がっている。


「アルメーネ……確かにお前の努力は認めるが、他の奴等の話を過信するのはお前の良くない癖だ。俺は全世界を征服しようなんて思っていないし、そもそも伝承なんて伝わってくうちに細かい部分が変わるから信用ならないだろ」


 玉座の青年は呆れたような表情を浮かべ、自身の額から伸びた黒曜石の角を指でいじりながら答える。おそらく彼が当代の魔王なのだろうが、その発言からすると魔王にも十人十色(正確には人ではないけれど)というものがあるのかもしれない。


(さすがに魔王である以上、圧倒的な力を持っているのは否定しないのですね……ではなくてッ!)


 アルメーネと呼ばれたメイドはその場に座りこんだままひとりで考え込み、ブンブンと首を横に振った後、あらためて魔王に訴えかける。


「そう仰いましても、先ほどガルベナード様もわたくしが集めてきた魔王に関する伝承を語ってもよいと許可を出されたではないですか。今回の遠征だって、ガルベナード様のお役に立つため思いつく限りのことをしてきましたのに…………ぐすん」


 アルメーネは悲しみのあまり、膝の上に大粒の涙をこぼす。彼女の足元は玉座に続く階段になっていて足場としては不安定なのだが、今の彼女には気にしている余裕などなかった。


「確かに俺は語っていいと許可を出したが、それを聞いて俺がどう思うかは別の話だ。お前が魔王に関する話をしたいのもわかるが、たまには別の視点から物事を考えるのも大事だと思うぞ」

「別の、視点……?」


 ガルベナードと呼ばれた青年姿の魔王は、自身の意見を述べると玉座から立ち上がり、眼下の階段を一段、二段と降りてアルメーネに近寄り、その場にしゃがんで彼女と目線の高さを合わせる。一方のアルメーネは思いもよらない提案を受けたことで、目を丸くして上司の顔を見つめている。


「そうだな……たとえば、『この世で最も魔王城と縁遠いもの』と聞いて、アルメーネは何を思い浮かべる?」

「この世で最も魔王城と縁遠いもの……」


 ガルベナードからの質問に対してアルメーネはしばらく考えた後、問い主のほうを向いて話し始める。


「そうですね……クランドル正教の聖女あたりでしょうか。聖都クロシスが魔王城から離れた位置にあるのに加え、聖女は信者のために日々大聖堂で祈りを捧げているため、わたくしが集めたような伝承に触れる機会も少ないと思われます」

「なるほど。悪くない答えだ」


部下の回答に満足したのか、ガルベナードは声のトーンを若干上げて話を続ける。


「で、その聖女を例にとると――待て、上から何か落ちてくる」


 しかし彼が危険を察知したことで、魔王の話は中断を余儀なくされてしまう。彼は一瞬の間に背中の翼を大きく広げ、魔王城の床を勢い良く蹴り空中へと飛び立っていった。

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