scene1-4 穢れた招待 後編


「あのさ……お前さっきから何ビビってんの? 俺ら初対面なのに、いきなりラチってボコられる様なことした覚えでもある訳?」


 テーブルの灰皿に葉巻をもみ消し、足を組み代えて顎をしゃくり鼻で笑って来る雅人。

 他人を見下し馬鹿にすることに慣れ切ったその所作で、司はもうすでに彼の事を嫌いなタイプの分類にカテゴライズする。


 ただ、確かに初対面だが、ならば何故こいつらは自分の名前を知っているのか?

 そんな真っ先に考えるべきことにもラグが生じるほど疑問が立て続けに襲い頭が痛くなって来た。


「無いよッ! 無いから余計意味が分かんないんだろ!? いきなり襲われて気付いたら車に乗せられて! この状況で落ち着けって方が無理な話だろ!!」


 どこを見ても反論の余地はない正論。

 そんな司のもっともな言い分に、流石の雅人も「あぁ、それもそうか」とポリポリ頭を掻く。


「いや~マジごめんって、いきなり俺の女が襲い掛かっちゃってさ。まぁでも、詫びに曉燕の膝枕に身体拭きまでサービスしてやったんだからいいだろ? 言っとくけど、こいつウチのアフターサービス店では指名料だけで百万だし、ビール一杯しゃくるのに十万取るんだぞ?」


 ヘラヘラと軽薄に笑い煙に巻こうとして来る雅人は、足を伸ばして爪先で曉燕の頭をつつく。

 なんて傲慢な振る舞いだと眉を寄せる司。


 大人の夜遊びなど全く心得の無いのでイマイチピンと来ないが、それでも単純にコップへお酒を注ぐだけで十万などというぼったくりどころの騒ぎではないそんな話からしても、やはりこの二人がまともな社会人ではなく、、司の二人に対する警戒心は今なお上がり続けていた。

 しかし、そんな状況でふと司の足下に再び曉燕が寄って来る。


「御縁様……先ほどは本当に申し訳ございませんでした! 偉大なる御縁様にあの様な無礼、本来であれば自ら進んで自害するのが当然! しかし、私めにはまだやらねばならない責務がありまして! ど、どうか……うぅ! どうか、この卑しい命だけは……お許しを……」


 自分にビクビクと怯え竦み、泣きながら命乞いをして来る初対面の美女。

 ダメだ、やはり何一つ意味が分からない。


 そもそも〝偉大なる御縁様〟とはなんだ? 

 自分で言うのも悲しくなるが、こちらはなんとか社会の中の下を目指す底辺苦学生。

 そんな自分に対して、街を歩けば芸能事務所のスカウトが必死に縋り付いて名刺を渡そうとしそうなくらいの美女が自身をこけ落し、命じれば何でも言うことを聞きそうな勢いで平伏して来ている。


 並の男ならよからぬ悪だくみでも浮かんでしまいそうなものだが、生憎自分を卑下することならこっちだって負けないくらい性格に染み付いている司にそんな度胸は無い。

 ただ、そのあまりにも惨めな必死さとそんな彼女をニヤニヤと眺めている雅人の胸糞悪い笑みが視界に合わさり、司の中で雅人はともかくこの曉燕という美女への同情が湧いて来た。


(ここで俺が逃げたら、きっとこの人があいつにあとで酷い目に合わされそうだな……)


 身を案じてやる義理など無いが、とりあえずあの傲慢なチャラ男にわざわざ家の前で待ち伏せられるほどのことをした覚えも無い。話を聞くぐらいならいいかと、ようやく司は目を覚まして以降ずっと力が入っていた肩を下ろす。


「分かった……分かったから。さっきの蹴りの件はもういいって。とりあえずなんで今俺がこの車に乗せられているのか教えてくれない?」


「あッ! あぁぁ……ありがとうございます! 御縁様ぁッ!!」


 本当に心から感謝する様にまた深々と頭を下げて来る曉燕。

 そして、ようやく話を聞く気になったらしい司を見て、雅人がいちいち癪に障る嘆息をして来る。


「はぁ~あ! やっとかよ。本当に報告書通りの人間不信だな! 俺より年上のくせにマジ腰抜けじゃん。まぁ、心配すんなって……多分お前が想像してそうなこともたまにはするけど、とりあえず今回ばかりはそんなことしねぇから安心しろ。でな。あんまり気は進まねぇけど、今日からお前を俺の舎弟にしてやる」


「はぁ? な、なんだよ……それ」


 話を聞いて欲しいにしては物言いが終始こちらを見下していて苛立ちが募る。

 だが、どうも何から何まで自分の知らないところで妙な話が進んでいるらしい。

 こういうこちらの意見も聞かず勝手に巻き込んで来る行為は司がもっとも嫌う類の扱いだ。

 まるで「お前の意思は関係ない」と存在を否定されている様な気がして来る。


(ただでさえ毎日自分で自分を否定して来てんのに、その上なんで初対面の他人にまで見下されないといけないんだよ? ……ふざけんなよ)


 胸の奥で怒りがグツグツと煮え滾る。

 今までも学校や日常の中で何度も遭遇した感覚。

 しかし、この域に感情が来ると司はいつも無意識に下を向いてしまい握った拳が震える。

 その姿は……。


「プッ! ビビり過ぎだろ……大丈夫でちゅか~ボクぅ~?」


「――くッッ!」


 嫌になる。

 無意識にこうなってしまうだけなのだが、周りからはどう見たって怯え震える腰抜けにしか見えず、いつもこうして笑われる。

 多分そうなのだろう……自分は腰抜けなんだ。

 こんな風に内心怒り狂っているくせにそれを表に出せない内弁慶。


(ダセぇ……)


 自分で自分に失望する。

 そうして心の中の怒りが自然鎮火すると、ようやく震えが止まり顔を上げれる様になる。

 再び視界に入った雅人の顔は、もう完全に司を格下認定していて今更何を言って覆せはしない。

 いつもこうだ……まるで自分如きが〝怒る〟ことを烏滸がましいと窘められている気分になる。


「御縁様……どうか、ご安心下さいませ。我々はもう誓って御縁様に危害は加えません。さぁ、何かお飲み物は如何でしょうか? 御縁様でしたらもちろんお代は頂きません。どうか私めに御縁様をご接待させて下さい」


 依然として椅子に座ろうとせず床に膝立ちのまま笑みを向けて来る曉燕。

 さり気なく手を取られ、そのあまりに滑らかな触り心地に今度は別の意味で狼狽え出す司。


「うぐッ!? あ、あの……ちょ、ちょっと、待っ……」


「はっははッ! 気にすんなよ、司。いい女達がおねだりして来てんだから応えてやるのが男ってもんだぜ? とりあえず何か飲もう。そもそも説明してくれって言われても、俺がお前のことを知ったのはほんの数日前だし、用があるのはウチの兄貴なんだ。話はそこで聞いてくれ」


 散々笑い物にしておいて結局説明は無し。

 本当になんなんだと呆れるが、雅人は傍らのクーラーボックスを開いて何本かボトルを摘まみ上げて司にリクエストを聞いて来る。

 基本見下されているのだが、状況的にはただ一般人に比べて明らかなVIP扱い。

 もはや司も雅人の調子に付き合うことに疲れて来た。


「なんだよそれ……ドンペロくれ」


 とても口には出せないが、どうもこの雅人もしょせんは遣い走りの身であるらしい。

 司は精一杯の虚勢を張り、不機嫌そうに顔をしかめながら窓の外を眺めて投げやりにリクエストする。


「お? なんだよそういうの知ってんだな? えっと……曉燕、入れてたっけ?」


「はい、こちらにご用意しております」


「えッ!? あ、あの……ちょっと……?」


 横柄な態度を取ってみたものの、あまりにすんなり受け入れられてすぐに腰が引ける。

 そんなオドオドする司に曉燕は愛想よく笑みを向けて別のボックスを開きテーブルにグラスを用意すると、司が指定した通りのボトルから慣れた手付きで泡立つ液体を注ぎうやうやしく司へ差し出す。


「どうぞ……御縁様」


「あ、あぁ……ど、どうも……」


 無論、司がこの様な高級品に造詣が深い訳がなく、所詮はテレビで見たニワカ知識。

 その現物が呆気なく目の前に現れ、思わず尻込みしてしまう。


「あ、あの……これ車降りたあとに請求とか……」


「うふふ♪ まさか……先ほどの通り御縁様へのご接待は寧ろ私がさせて頂きたいとお願いする立場です。どうぞご遠慮なさらず、それにこれと同じボトルだけでも車内に五本ほどストックがございます」


「あ……あ、そう? じゃあ……」


 それほどストックするくらいなら実は案外大した額ではないのだと安心した司は、グラスを傾けて一体どんな味がするのか若干の期待を込めながらその液体を口に含む。


(案外飲みやすいけど……別に美味しいってほどでもない? これならコーラの方が好きだな)


 身も蓋もない感想を抱きながらも、わざわざ出して貰っておいて文句を言うのも失礼なので、ちょっと意味深にグラスを傾けてみたり少しずつ飲みながら〝味わっている感〟を出す司。

 すると……。


「うふ♪ 御縁様? ちなみにこちらは、ドン・ペロニヨン・エノテートの千九百七十年物……一本およそ七十万円になります♪」


「――ぶほッ!?」


 司の口から、危うく数万円分の液体が吹き出るところだった。


「あはははははッ! やっぱり見栄張りかよ! そりゃそうだよな、あんなボロアパートに住んでてクラブ通いなんてしてる訳ねぇし♪ まぁ、俺の舎弟やってりゃ、そのうちそれが普通になるって! んぐッ! んぐッ!」


 自分が馬鹿舌だっただけの愚かしさに恐れ慄き、両手で握り直したグラスを見つめる司の横で雅人は曉燕からボトルを受け取ると残る六十万円以上の液体を一気飲みし始めた。


「…………」


 司はただただ呆然とその液体が消えていくのを眺めながら、この世にはこんなふざけた男が湯水の如く金を浪費しているのかと知り、また別の意味で陰鬱な思いをその胸の内に渦巻かせていた…………。

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