第4.5章 一なる母の憂い

「…君が?」


「そうです。あまり、女王のようには見えないかもしれませんが」


「見えないね」


「アイテル様、今の妄言はお気にされませんように。アイテル様の魅力は、表情所か脳みそが化石で出来ているような下賎げせんには分からないレベルで輝いております」


「女王なら、自分の執事の態度の悪さを直させたらどうだい」


「こっちの言うことに従えない疫病客などに、敬意を払うつもりはありませんね」


「ジュドー」


ジュドーの棘のある態度に対して冷静にはっきりと言う恭一に、ジュドーがまた苛立ちを見せるが、アイテルに諌められて沈黙する。


 正体を見せるわけにはいかなかったから、恭一とは代役を務める者と引き合わせたのだとアイテルは語るが、それならばどうして、別の場所で女王と名乗らずとも、自分の前にエバであると言う事を隠して姿を現したのかと聞くと、アイテルは答えた。


「エバであると伝えても、貴方は信じられもしないですし、よく理解も出来なかったでしょう?」


「…まあね」


「どんな方がいらしたのかと気になってしまって、つい表に出てきてしまいましたわ。久しぶりのお客様でしたから」



 ちょっと照れながら答える理由に、特に特別なこともなく、ただ単に興味本位だったというだけで自分に近づいてきたこの女王を恭一は、気品は伺えるのに根は何処か庶民的で、変わった馴れ馴れしい女という印象を受けた。



「陛下。私に黙ってまたそのような事を…」


「ジュドーは心配し過ぎよ。大丈夫、彼はいい人だもの」


「…」


____"いい人"?


恭一は黙っていたが、特にたいした交流もなく人からそう言われるのは初めてで、内心戸惑っていた。というより、ある程度知り合っても、恭一のポーカーフェイスと誰にたいしてもぶれない態度、誰も寄せ付ける気もない威圧感のある雰囲気を前にして、優しい、取っ付きやすい、楽しい、いい人というポジティブな印象は、持ちにくいものであった。



「恭一さんが私に会いたがっていた理由は、分かっています。…でも、今日は、疲れてしまいましたわ。恭一さんも、お休みなさってください。また明日、改めてお話致しましょう?」


「…こちらは時間がない。明日、話す時間はちゃんと貰えるんだろうね?」


「図々しい男だ。聞こえなかったか?時間の指摘について、貴方の指図する所ではない」


 ジュドーがアイテルと恭一の会話に割り込みそう告げると、不機嫌そうにさっさとここを片付けろと周囲に指示を出し、控えていたミツキを呼び寄せた。



「明日、時間になったら部屋まで迎えを寄越す。それまで大人しくしていろ。陛下を救っていただいたことに免じて、兵士を二人襲った事、この状況をについて、今回は、見逃してやる」



「俺が引き起こしたわけじゃないけど?大体、この規模の城に対して警備の数が少ないし、兵も弱すぎる。監視カメラもないの?警備責任者クビにする方が先じゃない?」



 表情は無と変わらないが、口は的確に物事を突っ込む姿勢に、ジュドーは静かに笑顔になりながらも、腹の底では、口答えする恭一に明らかな殺意と苛立ちを煮えたぎらせていた。



「…陛下、やはり殺しても構いませんか?」


「ジュドー…このように城へ刺客が入り込み、警備が手薄であったことは解決しなくてはいけない問題でしょう?」


「陛下の御身を危険に晒し、このジュドーはいつでも処罰を受ける覚悟でございます。しかし、その事について後でご説明させていただいてもよろしいでしょうか?この状況に関して、問題がおきておりまして」


「分かりました。メジェドの気配が消えていることに、私も気になっていましたから。……恭一さん」


アイテルは再び恭一に微笑みかけた。恭一は黙ってアイテルの方を向く。


「先ほど私の力で呪いを抑え込みましたので、今夜はもう、痛むことはありません。だから、どうか安心してお休みください。


【安らぎを得ることは出来ない】


 アイテルの声と、脳裏を過った誰かの声が重なった。その声に恭一は周りには悟られないレベルで反応をするが、アイテルの少し悲しげに見える微笑みと視線に、何も言わなかった。



「ミツキ、後はよろしくお願いしますね」


「かしこまりました、陛下」


「失礼させていただきます。ごきげんよう」


「真王陛下をお見送り致します」



 ジュドーに連れられ、その場から立ち去っていくアイテルを、ミツキや他の者達が一声に見送りの言葉を述べた。


恭一も黙ってその後ろ姿を見送り、自分の右手の傷を見る。


 俺がどれだけ抑えようとしても無理だったのに。それは彼女がエバだから?当初から馴れ馴れしかった彼女だが、こんな傷と呪いの負荷で黒くなった肌を触りたいと思う女はいないだろう。

初対面なのに、何故かよほど気にかけてくると思ったけど、本物の真王は彼女か。どうりで少し、妙なオーラを持つ女だと思ってた。



「源氏様、お部屋へお戻りください。お願いしますから、言われた通りに」


 そう考えていた恭一の顔を覗き込むように訴えてきたミツキの顔が目に入って思考が止まる。目の前の中性的で美しい顔立ちのミツキを見て返事を返し、庭園に倒れた遺体や兵士が片付けられていく中で、恭一は部屋へと戻されたのだった。




____5日前に遡る。





静かな夜の中、王は一人、波一つ立たない海底の底を写し取るような黒い海に、アイテルは立っていた。この静か過ぎる海辺で、アイテルはこの海の底へ何かが近づいている事を感じ取る。


「…あれは…一体、何?」


ゴゥゥウン…__不可視ウラノスの世界を

覆う膜のような障壁の空から唸るような音が響き渡る。

暗い空の向こうで蠢く深海の生物達のどよめき、境界が開こうとしていることを感じ取った。


やがてそれは、流れ星が落ちるかのように、膜を破って突き抜けた何かが、遠くの海、この近辺の海へと落ちていく。


海の水の中につけた足を動かし、アイテルは、導かれるように突き進む。可視と呼ばれる世界から、けして混ざりあうことはない死者の世界へと堕ちてくるものへの恐怖などなく、自分を呼ぶ、災いの元へと。



【殺す……】


【殺してやる…何もかもを】


【もう…思い残すことなど、何もありはしない】



何かに対する深い憎しみに身を焦がす、悲痛な声の囁きに、アイテルは海の中へと潜った。


彼女の持つ、オリハルコンのペンダントの輝きが、彼女を守護の守りで包み込み、水中でも息の出来るよう祝福をもたらす。


アイテルは暗い海の中を進む。地上の光が届く範囲を見て回っていると、いくつもの残骸を目にする。それはこの世界の物とは違うものだと気づくのは容易かった。


しばらくオラトとウラノスが混じることはなかったのに、何故境界が開いたのだろうか?2つの対極に穴を開けるには、それほど大きな力が作用する何かが起きなければ、めったにないとジュドーに教えて貰ったことを思い出す。

こちらに来ようとしても、境界が開いていなければ、深海の水圧で全て押し潰されてしまうのだと。



では地上で、何かがあったのだろうか?



「静かすぎる…魚も、人魚達の姿も見えないなんて…………あっ…」


コポッと口から泡を出したアイテルの視線の先に、人の形をした影が漂っているのを発見した。


「人だわ…!」


 アイテルはすぐにその影の方へ向かった。落ちてきた破片の一部と共に底へと沈もうとしている体を抱き、男性であることに気がついた。

丸みのある頭の形がよく見える黒髪に、切れ長の目の形の黒いトレンチコートを着た、美形の男。細身だが重みのある硬い体をしている彼をアイテルは何とか沈まぬように受け止め、彼の顔を覗く。



「まぁ、綺麗な人…。大変…怪我してるわ」


アイテルは一瞬、この意識のない男の顔立ちに見とれたが、肩から血を流して怪我を負っていることに気がつき、傷口を抑えるように肩に触れた。


そして、自分が引き寄せられていたものが彼にあることに気づく。

浮かぶ彼の右手には、開いて肉の見えた十字の傷があり、おぞましい憎悪を発していることに、アイテルは気がついた。この男は、触れてはいけない災いに触れてしまっているのだと。


しかし、彼を見て何かを決心したアイテルは彼の前へと体を移動させて向かい合い、暗くも光の差す水の中で、男の顔を優しく包み込み、額に自分の額を合わせ、自身に宿る偉大な聖母へと祈りを捧げた。



「母なる子宮サルヴェレジーナよ。この者をお救いください。我が身をもって、この者の罪と我らの遺した業を__受け入れます」


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