15分間の異世界道中
三ツ石
15分間の異世界道中
午前4時50分。――辺りはまだ暗い。
いつもよりも早くて寒い朝。
吐息は白く濁り、時々吹く風が耳をひったくろうとしてくる。朝焼けに照らされているわけでもないのに頬の紅は深まっていった。
人っ子ひとりおらず、虫の音ひとつ聞こえない。いつも通っているはずの道が別世界への旅路に思えた。夜通った時よりも数段暗く感じる。闇と静寂に呑まれて本当の別世界に連れ去られてしまいそうになるが、等間隔に立つ街灯のおかげで進むべき方向を見失うことはない。今ほど街灯に感謝したことはない。
しかし、それも長くは続かない。怪しく点滅する信号機を最後に、細い裏道へと進んでいかなければならない。街灯の光を受けて影を落とす街路樹は、数千年もの樹齢を重ねる大木にさえ思える。あまりに濃い闇に、入り口で進むのを躊躇する。
怖い。
だがそうも言っていられない。ここを通らなければ間に合わない。一瞬、回り道をする考えが頭をよぎったが、ダメだ。そんなに悠長なことをしていられる時間はない。意を決して飛び込む。
一度足を踏み入れてしまえばなんのことはない。ただの暗い道だ。
あ、やっぱりダメだ。めっちゃ怖い。
歩を早める。今にも影からこの世のものではない何かが顔をのぞかせてきそうで背筋が強張る。手に汗握る。いつしか走り出していた。
止まったら捕まる。少しでも隙を見せたら殺される――。
背中にあるはずのないおどろおどろしい気配を感じて、さらに走る速さを上げる。
頭が真っ白になって、気づけば裏道を抜けて明るい街灯の下まで来ていた。ここまでくればもう大丈夫。膝に手をついて激しく乱れた息を整える。前髪もちょいちょいとなおして、さああと少し。気を取り直して歩き始めたその時、後ろで何か声がした。
一瞬心臓が止まって思わず声を上げる。パッと振り返ると――
「ニャー」
化け猫――ではなく、近所で有名な人懐っこい野良猫がいた。見知った顔にほっとして顔が綻ぶ。しゃがんで猫の方に手を差し出すと、その手に顔をすりすりしてくる。
「追っかけて来たのはお前だったのか〜?」
ニャー、と返事だかそれとも餌が欲しいんだかわからないような鳴き声をあげた。ひと通り撫でてやり、別れを告げてまた歩き出す。途中、ふと立ち止まり、後ろを振り返ってみるも猫はもうすでにどこかへ立ち去ってしまった後だった。
それからしばし照らされた道を進んでいくと、街灯よりも一段と輝く光が見えてきた。
駅だ――。
ようやく目的地に着いた。といっても、まだ最終的に行き着く先ではないのだが。
駅は影すら踏めないほど明るく、少ないながらも人が行き交っていた。
いつしか恐ろしさも寂しさも忘れていた。ついでにちょっとした高揚感も。ここにあるのはなんら変わらないいつもの日常だけ。
いつものように改札を抜けて、階段を上っていく。冷たい風が頬を撫でるのもいつも通り。
数分後に轟音とともに電車がやってきて、けたたましい発車メロディを残して去っていく。
ただ、いつもとほんの少し違うこともあった。早い時間の電車は空いており、座れたこと。早起きした上に全力で走って疲れた体。ほどよい暖かさが眠気を誘う。
気がつけば、そこは別世界。日はすっかり昇って、見たことのない車窓からの景色があった。
15分間の異世界道中 三ツ石 @mitsuishirei
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