無口な家

連喜

第1話

 俺は結婚して十年になる。

 妻は専業主婦で子どもが二人いる。一人は乳児で、もう一人は小学校高学年。ちょっと兄弟の年齢が空いていると思われるかもしれない。実は間にもう一人いたんだけど、悲しいことに亡くなってしまったのだ。娘が亡くなったのは二歳の頃。原因は家庭内での事故だった。我が家は一戸建てに住んでいるから、二階の階段部分には子どもが下りられないようにゲートを付けていた。


 しかし、ある昼下がり。妻が昼寝をしている間にモモはゲートのロックを開けて、一人で階段を降りようとしたらしい。まだ階段と言うものをよくわかっていなかったから、足を踏み外してそのまま転落してしまったのだった。その時のことを見ていた者はいないが、モモは幼いながらも妻や兄がロックを開ける様子をいつも見ていたんだろう。賢さが仇になってしまったと言うことだ。


 母親がそこにいるのに、何故モモが外に出ようとしたのかはわからない。ただ、娘は時々、一階に俺が帰って来ていると言っていたらしい。俺は仕事に行っていて一階にはいないはずだったのに。もしかして、俺を探すために一階に行こうとしたのかもしれない。だとしたら、俺に落ち度はなくても申し訳なく感じてしまう。


 娘が転落しているのがわかったのは、小学生の息子が帰って来た時だったらしい。インターホンが鳴って妻が階段を降りて行ったら、一階の廊下に首の曲がったモモが落ちていたそうだ。頭の打ちどころが悪く、さらに時間が経っていたから、すでに固くなっていたそうだ。救急車を呼んだけど連れて行ってもらえなくて、警察を呼ぶことになってしまった。


 たまたま居合わせた息子も妹の死がいを見てしまった。それから我が家は黒い霧に閉ざされたように、どんよりとした暗い家になった。家族でいても誰も話さなくなり、妻はうつ状態。息子は引きこもり状態で学校に行かなくなった。その後、また子どもが出来たけど誰の子どもだかわからない。少なくとも俺の子どもではないが、それを妻に聞き出す勇気もなかった。俺は毎日会社に行く。妻は通帳に自動的に振り込まれる金で暮らしているらしい。ほとんど話していないから、妻がどうしているかはわからない。俺は便利なATMに成り下がっていた。仕事から家に帰っても家族は誰も降りてこない。妻も子どもも自室にいて、俺は一人で夕飯を食べて寝るだけだ。


 そんな日をひたすら繰り返していた。将来には何もないとわかっている。まさに無間地獄。はっきり言ってあんな女とは離婚したかった。でも、離婚を切り出したことで自殺なんかされたらたまらない。あちらの親族から俺のせいでそうなったと責め立てられるだろう。もとから常軌を逸したような人たちだ。妻にも似たところがあった。


 それより息子はどうしてるだろう?素直でかわいい子だったのに…。俺に会いたくないんだろうか。最近は姿を見ていない。家を出たいが息子だけは諦めきれない。妹の死骸を見て精神を病んでしまったんだから不憫で仕方がないのだ。


 俺は気まずい思いを拭い去って3階にある息子の部屋に向かった。足元のドアの隙間から光が漏れていた。時間は夜の11時だ。子どものくせにちょっと夜更かしだ。


 ガチャ。


 ドアを開けるとそこにはベッドに寝そべってスマホを見ている息子がいた。

 そんな風に一日中スマホを見てるんだろうかと心配になる。


「何!?」

 息子はびっくりした顔をしていた。

「こんばんは」

「どうしたの!?」

「学校行ってないみたいだから心配で」

「ちゃんと学校行ってるよ!」

「そうか?いつから?」

「前から行ってるよ!一回も休んだことないよ」

 息子は苛立ったように言った。そんな姿は見たことがない。反抗期だろうか。

 一日も休んでないなんて嘘だろう。妹の葬式は休んだだろう?

 でも俺には言えなかった。

「もう来ないで!キモいよ」

「そんな冷たいこと言うなよ」


 息子は物凄い形相で俺を睨みつけた。もともと大きな目がギラギラと光った邪悪な眼差しだった。


「当たり前だよ!」息子は俺を怒鳴り続けている。「もう来ないでよ!モモを道連れにして無理心中したんだからさ。パパは人殺しだよ!」

「あれは事故だよ」

 何言ってるんだ。モモは一人で階段から落ちたんじゃないか。

「違うよ。パパが首を捻って殺したんだ。その後、パパは自殺したんだよ。警察に捕まる前に」

「俺がそんなことするわけないだろ?俺は会社に行ってたんだぞ」 

「でも、事実なんだよ。パパは仕事なんてしてない。実際は休職してたんだよ。でも、スーツを着て仕事に行くふりをしてただけだよ」

「俺は大学出てからずっと何年も働いてるよ」

「違う!もう仕事を続けられなくて、この家を手放さないといけないのが怖くてモモを殺したんだよ。刑務所にでも入れば今の生活から逃げられるって」

「まさか!」

 俺は笑った。

「パパが自分で言ってたんだよ。死ぬ前に」

「俺は知らない」

「二度と出てくんな!人殺し!」

 息子はカッとなって俺にスマホを投げた。俺が避けるとスマホはドアにぶつかった。壊れたらどうするんだ。お前はそんな金持ちなのか?


 俺は妻の部屋に行くことにした。そこは元は夫婦の寝室だった部屋だ。ドアの隙間から光が漏れていた。俺たちは子どもを作る時だけ愛し合った。愛し合うと言う言葉は好きじゃない。俺たちに愛なんて最初からなかったからだ。俺たちはデキ婚だった。妻は彼氏と別れたばかりで、結婚出来れば相手は誰でもよかったらしい。喧嘩した時にそう言われて完全に覚めた。妻は出会った時、30歳で結婚願望が強かった。こういう女は多いけど、それを本人に言う人はあまりいないのではないか。そういう所も大嫌いだった。


 俺は緊張しながら寝室のドアを開けた。気まずい。妻とはどのくらい口を利いていないか忘れるくらいだった。でも、妻は俺の方を見もしなかった。小さな子どもを抱いていて小声で話しかけていた。くすくす言いながら顔を摺り寄せている。赤ちゃんがかわいいんだろう。俺の子じゃないけど…。


 しかし、赤ちゃんの体が妙に小さいことに気が付いた。未熟児だったんだろうか。


「雪子?」俺は恐々声を掛けた。

 妻がふと顔を上げた。と、同時に手元にあった赤ちゃんの顔が見えた。青白い肌をしていて目元が黒くくぼんでいた。

「あっ!」俺は声を上げた。

 

 よく見るとそれは赤ちゃんの人形だった。

 妻はよくできたリアルな赤ちゃんの人形を我が子のように抱きかかえてあやしていたのだった。人形をかわいがっているなんて…。出産したと思っていたのに。


「バタンって音がしたねぇ!怖いねぇ~うふふ。モモちゃん。この家はお化けがでるんだって!」


 そして、小声で子守唄を歌いながらその子を揺らしていた。



 俺は何だか不安になって二階に降りて行った。

 散らかったテーブルの上には菓子パンがいくつも置かれていて、台所には洗われていない食器が山積みになっていた。汚れた皿の隙間から生ごみが見えて、腐敗したにおいがする。ガスコンロは油まみれでドロドロだった。さらに床は細かいパンくずのような物が一面に落ちていて、足のうらに付きそうだった。


 息子はこんな家でどうやって暮らしてるんだろう。母親は頭がおかしくなって家事を何もしていないのかもしれない。


 俺はその荒れ果てた家に嫌悪感をもよおした。安らぎのない汚い家。俺は嫌気が差して来て一階に降りて行った。玄関には息子のランドセルが放置してあった。一応学校には行っているんだ…。しかし、玄関までの廊下は両サイドに段ボールが積まれていた。カニ歩きをしないと通れないほど狭い。洋服は床に散乱していた。あの女、洗濯はしてるんだろうか。もう無理だ。俺は悟った。こんな家では暮らせない。


 俺はそのまま家を出ることに決めた。左手で仕事の鞄を持った。そして、右側では首の曲がったモモが俺の手を握っていた。力を入れ過ぎたせいか普通にしていても首が真横を向いている。俺に付いて来てくれるのはモモだけだ。俺はこれからはモモのために生きると決めた。


 それから俺たちは一度も家に帰っていない。

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無口な家 連喜 @toushikibu

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