さる鬼の抱き枕

ににまる

抱き枕の出会い

105、買われる


「おい、105出荷だ」


 運動の時間でもないのに開けられた鉄扉の前に立っているまるく膨らんだ男が、私に命令する。

 出荷、と言われたので、食べ途中だったお昼ご飯のシリアルバーを皿の上に置いて、いつもの布を脱ぎ、男に渡された出荷用の服に腕を通しながら、売られてから今まで過ごしてきた狭い部屋を眺めて無い思い出を振り返る。

 白い部屋は清潔で布団と洗面台、トイレに続く扉だけがあり、静かな空気をひたひたと流し続けて鉄格子のついた窓からの空気を拒否している様だ。

 この狭い部屋には悪い思い出はないが、良い思い出もない。

ただこの静かな空気を吸うためだけの部屋

 10何年住んでいた部屋のはずなのに、着替え終わって部屋に対しての総合的な感想は、それだけだった。


「来い」


 男は私が渡された白いワンピースに着替え終わったと見ると、すぐに次の命令を出す。

 長年ここで過ごして染み付いた癖で、反射的に男の方へ向き、歩みを開始する。


(あぁ、お昼ご飯のシリアルバーが...)


 部屋に残されたシリアルバーは、そのまま廃棄だろうか。

それとも誰か他の人に渡されるのだろうか。


(美味しかったのになぁ)


 ひたひたと綺麗に磨かれた床を踏みながら、部屋に残されたシリアルバーのことを延々と考えていた。


 食人鬼と人間の戦いは、遡れば紀元前にまで及ぶ。

 突如として現れた自分たちの天敵に、人間は自分たちの得意技である知恵を振り絞り対策を考えた。

 だが食人鬼も馬鹿じゃない。

彼らは人間と同等の知恵を有し、知識を持ったものによるその破壊的な腕力は、下手な兵器よりも恐ろしい。

 なにより彼らは人間の倍以上の寿命を持っていた。

 最初は互角だった戦いも、長年生きた食人鬼達の優れた武術に、1000年かけて人間は劣勢へと追い込まれた。

 1000年使って作られた劣勢に勝ち目がないと悟った残された国々の長達は、食人鬼に嘆願をした。


『人間を供給するので、戦をここで停戦にしたい』


 元々人間が食べれれば良い食人鬼達は、じゃあそれで、とすんなりと嘆願を受け入れた。

 そこから人間達は人間の牧場を作ることや減らしたい食い扶持を人間屋に売ることを生活の一部へと少しずつ、少しずつ入れていった。


 そんな世界で105が、人間屋に口減しで人間屋に売られたというのはまぁよくあることだろう。

トラックの中にある出荷用ダンボールに詰められながら、ここまでの私の人生を振り返る

 いや振り返るほどに何かあったわけではないのだが。

 本当に小さい頃にここに売られたらしく、物心ついた頃にはあの白い部屋の中で寝起きをして、運動の時間に外でふらふらと散歩をする生活を送っていた。


(この人生ももう終わっちゃうのか)


 人間屋から売られた人間が行くのだ、まぁ肉屋か金持ちの食人鬼の屋敷だろう。

前者ならすっぱりと血抜きをされて死ねるが、後者だといたぶって殺そうとする鬼もいる。

ここでこんなに落ち着いてダンボールに入っているとはいえ、死ぬのは嫌だし死ぬならすっぱり死にたい。


(どうか、肉屋に運ばれますように)


今から食われに行く者とは思えないほどに、落ち着いて手を組み箱の中に入る105は、人間屋の店長も夢に出るほどに不気味だった。


 ガタガタと出発したトラックに揺られながら、ほわほわと自分の墓に着くのを待つ。


(お腹すいた...)


 ぐるぐるとなり続ける腹の音に、やはりシリアルバーを口に突っ込んでから来るべきだったと後悔する。

後悔しても食事が来るわけでもない、と持ち前の潔さで諦め、ぼーっと箱の中で寝っ転がっていると段々と眠気が自分を襲ってくる。

 このまま寝てしまおうかと目を瞑ったところでふと気づく。

 このまま寝たらどうなるのだろうか。

外の世界を知らない105は、店の中のルールとルールを破った時の恐ろしさしか知らない。

 故にこんな時に寝てもいいというルールがあるのか、ルールを破った時の罰則はなんなのかが分からない。

 できることならルールは破りたくない、でもこの睡魔に抗うのはなかなかに難しい。

うんうんと唸りながら、眠っていたことに気づくのは自分の墓に着いてからだった。

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