第50話 ヒビキの過去

 2056年、夏。東雲ヒビキは都会に暮らす一人っ子だった。裕福な家庭ゆえ、食べ物におもちゃに服、望む物は何でも手に入った。暮らしに困ることなどもちろんなく、“庶民”という存在とすら無縁であった。


 だが、ヒビキが唯一、経験したことのないものがあった。それは愛情だ。彼の両親は朝から晩まで仕事で、顔を合わせることなど2週間に1回あればいい方だ。その上顔を合わせたと思えば待っているのは何と叱責に暴言、そればかりだ。


『あっ……おはようございます、お父さ――』


『うるさい! この前のテストの点数見たぞ、44点だと! 恥だ恥、この一族の!』


『も、申し訳ありません……』


『お前はいつも遊び回ってるからこうなるんだ! 次90点未満を取ってみろ、タダじゃすまんからな!』


『精進いたします、申し訳ありません』


『ったく! 誰に似たんだか……』


(……クソジジィめ、バイクの免許取ったら引き摺り回してやりたいぜ)


 そう。ヒビキはこの家庭環境で10数年間育ち、すっかり荒んでしまっていたのだ。勉強をサボっていたワケではない。ただただ、いくら勉強してもその内容を理解できずにいる、その悪循環に陥っていたのだ。


 それが続いていたある日。学校から帰ると、珍しく両親がヒビキを出迎えた。


『ヒビキ。お帰りなさい』


『ヒビキ。嬉しいニュースがあるんだぞ』


『嬉しい、ニュース?』


 両親は笑顔で離島ツアーのチラシを見せてきた。


『じゃーん! たまには気分転換になるでしょ? 勉強の毎日から!』


『どうだ、行くか? 日程は8月のお盆過ぎだ』


『……うん!』


 嬉しかった。両親が初めて笑顔を見せてくれたことが。うるさい都会から離れ、大自然を体験できることが。ヒビキはその日を待ち望み、いつも以上に勉強に取り組んだ。

 夏休み前、最後のテストの点数は89点。90点には届かなかったが、これまでの点数からは大幅に良化したのだった。


『ほう、89点か……』


『申し訳ありません、90点には届かず……』


『なぁーにを言ってる! 前回の2倍じゃないか! ほらほら、ご褒美の離島が待ってる。その準備を手伝いなさい』


『……うん!』


 その日から少しずつ準備は進んだ。危ない生物の予習、スケジュール確認、おやつや万が一の災害グッズをカバンにしまい、その日を待ち望みにした。



 その日はすぐに訪れた。港でチケットを購入し、ヒビキは一番乗りでいざ船に乗り込んだ。


『あぁ、楽しみだなぁ』


 その船は出発した。さて、海の景色でも眺めよう。もしかしたら、話してるうちに友達もできるかもしれないしな。


 ヒビキは船の外に出て、無限に広がる海を眺めていた。


『あぁ、綺麗だ……でも誰もこの景色見てないみたいだな。こんなに綺麗なのにもったいない』


 この感動を、素晴らしさを共有したい。ヒビキは船内部に向かって叫んだ。


『おーい! 誰か来てよ、とっても綺麗だぞ!』


 ……しかし返事はない。つれないなぁみんな。でも、せめて両親にはこれを見せたい。再びヒビキは叫んだ。


『おーい! お父様、お母様! この景色見てください!』


 ……返事がない。


 よく考えたら変だ。船の中で、自分以外の誰かを1度も見てないのだ。声すら聞こえないし、誰かの荷物すら置かれていない。


 まさか違う船にでも乗ってしまったのか。あわてて両親に電話をかけようとするが……


《ツー、ツー、ツー……》


『あれ? もう一回!』


《ツー、ツー、ツー……》


 かからない。圏外でもないのに、何回かけても何回かけても。流石に怖くなってきたヒビキは操縦室に助けを求める。


『あの、あの! この船って離島ツアーに行くやつですよね!? 誰もいないんですけど!』


 ……返事がない。万が一のためカバンの底に忍ばせておいた針金でその扉を開くと……そこにも人はいなかった。自動操縦だったのだ、船自体が。


『嘘だろ! こうなったら港に戻るしかない!』


 ヒビキは急いで椅子に座り込み、舵を取ろうとする。しかし船は言うことを聞かない。

 パニックになっていると、ヘッドボードに1枚の紙が置かれていることに気が付いた。操縦マニュアルだろうか、ヒビキはそれを拾った。


『……これって』


 まさか。そこに置かれていたのは89点の答案用紙であった。そしてその隅には、赤い文字でこう書かれていた。



“一族のゴミへ


 90点以上を取らなかったご褒美として、野生に帰らせてあげることにしました。


 あと1点でも取っていれば、フツーの旅行が待っていたのにね。でもこれはゴミ自身が望んだこと。感謝するように!”



『……これって、捨てられたってことかよ』


 ヒビキだけを乗せた船は、本来の行き先とは違う無人島へと進んでいった。



 無人島に到着してからの暮らしは最悪だった。得体のしれない生物、何とか作った簡易の寝床も雨と満潮ですぐに崩れる、何より真夏の炎天下。


 火を起こすったって、実践するのは初めてだ。だからヒビキは、木を擦ったりするのではなく錬力術を使うことにした。


『枝をこれくらい集めて……上手くいくか分からないけど、えいっ!』


 ゴロロロ!


 ……ついたのだ、火が、雷によって。少しスマホを充電したい時にわずかな電気を生み出す程度にしか錬力術を使ってこなかったが、こんな環境でもそれを活用できたのだ。


『え、オレ天才なのか? 錬力術に関しては』


 それから狩りも寝床作りも錬力術を活用して進めていった。それから2週間ほど経った頃だろうか、何とこの島に向かって1台のヘリが飛んできたのだ。


『……助けか、アレ?』


 ヒビキは思いっきり手を降った。こっちだ、おーい、おーい! と思いっきり。するとヘリはハシゴをおろし、ヒビキを助けてくれた。そこで、ヒビキの記憶は止まっているという。ただ1つ補足をするならば、ヘリの中で怪しい雰囲気の人が腕輪を付けてきたこと、らしい。

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