1章_3 修行編

第22話 寂し山の怪異

 会議の司会に疲れてしまったユウヤは外の風を浴びようと窓を開けると、夕暮れ時のやや冷たい風が顔を涼ませた。ユウヤの家は昔からある住宅街で、家のすぐ近くにはかなり巨大な山、その名をさみし山がそびえており、窓を開ければその風景がかなりの威圧感を与えてくる。



 寂し山の「寂し」には逸話がある。今からずっと昔、ユウヤの住む地域は半月毎に行われる小さなお祭りがあった。

 その巨大さから人々に力強さを放ちつつも、様々な山菜や薪などの資源を与えてくれる山。清い小川をはらみ、動物達の姿があちらこちらに確認できる山。そんな山を昔は神様として祀る風習が存在し、その祭りは他の地域からの観光客や移住者を呼び、そのおかげでこの地域は発展していった。

 しかし、それも長くは続かなかった。ある老夫婦が根こそぎ山の資源を独り占めしてしまったのだ。


『うへへ、婆さんや。こんなに取れたら大金持ち間違いなしじゃのぉ』


『うひひ、大名にすらなれるかもしれんのぅ』


『しかもこの山の頂上にある大樹からの抽出液……これはかなりの高値で取引される通称不死の薬。生命を司る神の涙とも言われてるんじゃ』


『一滴飲めばあらゆる怪我病気が治り、一口飲めば不老不死になる。畑に撒けば豊作が約束され、枯れた花にかければたちまち元気を取り戻す……街へ出向いて売りさばくぞぃ!』


 売れた。大樹からの抽出液が。それからというもの老夫婦は大樹を削り、叩き、枝を折ってはどんどん液を抽出し続けた。老夫婦の暮らしは豊かになった。集落の中に城のように立派な家さえ築いた。


 しかしそんなビジネスも長くは続かなかった。樹齢推定2000年。そんな木がある日枯れ始めたのだ。あれだけ流していた液もすっかり出なくなり、葉もどこかしおれているように見えた。


 それから連鎖するように山菜などが育たなくなり、動物はどこかへと逃げ出し、小川もどんどん泥水のように汚れていった。祭りを開いても観光客は姿を表さず、集落で暮らしていた若者も巣立ち、そこには変わり果てたかつての観光地の残骸が残るのみとなった。

 老夫婦は富の揺り戻しと言うべきか、稼げなくなってからあっという間に貧民へと成り下がり、やがてそのまま飢えて亡くなってしまった。「自分たちはビジネスを見つけた」、こんな慢心からか金遣いが荒くなり、どれほど抽出液を売りさばいてもその大半を遊びに使っていたのだ。


 老夫婦が亡くなってから、山では夜な夜な年老いた男女の声が聞こえてくるという噂がたった。かつて大樹だったものに向かって笑い、叫び、ときに怒鳴り、すすり泣く声。それを恐れた者達が次々と集落を出た。欲に溺れた人間とそれにより消えた豊かな生活。このようなことを忘れないようにしよう、そのような意味を込めて寂し山という名前で今でも呼ばれ続けているのだ。



「……栄田さんの所だけじゃなく、ここでも鍛えてみようかな」


 オンライン講義が来週から始まれば、なかなか満足にトレーニングができなくなるかもしれない。だから、今のうちに少しでもトレーニングを積んでおきたい、いや積まなければならない。ユウヤはそんな衝動に駆られていた。


 ユウヤは上下ともジャージに着替え、スニーカーを履き家を出た。鍵を閉めたのを確認すると、フッと一呼吸して山へと向かって走り始めた。

 ところどころ剥がれたアスファルトに時々転びそうになりながらも止まることなくランニングを続けた。時々通りすがる学生達は芸能人やスポーツ選手の話をしている。ユウヤにとってそんな彼、彼女達が「チーム・ウェザーのことしか考えられなくなってしまう」ことだけは何よりも避けたかった。思い返せば自分達はチーム・ウェザーのことが頭でいっぱいだからだ。本当は今も大学で講義を受けて、ご飯を食べて、色々なところを回って……当たり前で時々マンネリしていたそんな日常が今では懐かしく、また過去の自分達を羨ましいとすら感じてしまっている。


(これ以上、アイツらによる被害を増やしてはいけねぇな)


 顔も名前も知らない年下の学生達が、改めてユウヤのモチベーションを上げてくれた。ユウヤはスピードを上げ、寂し山へと走り続けた。


「さて、まず精神統一をするか」


 ユウヤは切り株に腰掛けて目をゆっくりと閉じた。瞼の裏に幻想的な映像が投影される中、深呼吸をして頭と体をリラックスさせる。30秒ほど経っただろうか。ユウヤが目を開けると、そこには腰を曲げた見知らぬ老婆がこちらのことを助けてほしそうな目で見ていた。


「あの、お兄さん。お兄さんやい」


「ど、どうかしましたか?」


「かつてここにあった、生命を司る大樹を探しているんじゃが……この山であってるかのぅ」


「……あぁ、ここの道を3分ほど登ったところにありますよ。今では途中で折れちゃってますけど」


「そうかいそうかい、ありがとねぇお兄さん」


「よければついていきましょうか? 念のため」


「ほんとに優しいねぇお兄さんは。では、お願いしようかのぅ。うひひ」


 夕暮れ時の木漏れ日がユウヤの目を優しく刺激する中、ユウヤは老婆の後ろから道案内をしつつ共に歩いた。以前までは特に意識していなかった様々な自然が、チーム・ウェザーに翻弄される毎日を癒やしてくれる。ゆっくりと老婆の歩幅に合わせて歩いていると、老婆はふとユウヤに話しかけてきた。


「……お兄さん。大樹の言い伝えにあるような、利己の意識にとらわれ、やがて身を滅ぼしてしまうような人をどう思うかい?」


「まぁ、バチが当たったんだろうなと思いますね」


「やっぱりそうかい……当然の報いなのかのぅ」


「どうかしましたか?」


「いや、何でもないんじゃ。足を止めてすまんかったのぅ」


 老婆は微笑んだかと思うと、また足を進めだした。この時ユウヤはどこか違和感がしたが、気のせいだと言い聞かせてまた老婆の後ろを歩き出した。


 やがてカラスの鳴き声が辺りに響き始めた。日もだんだんと落ち、空は赤と青のコントラストを描いている。しかし、それにしても大樹のところに到着しない。ゆっくり歩いているにしても遅すぎる。 ユウヤはどこかで道を間違えてしまったのかと考え、一度老婆を引き止めた。


「あの、お婆さん」


 しかし老婆は気付かない。シャカンシャカンと落ち葉を鳴らしながらのしのしと歩き続ける。


「お婆さん、あの! もしかしたら道を――」


「何じゃ? このクソガキ!」


「う、うわあああ!」


 老婆は鬼のような形相をユウヤに向けてきた。その顔は生きた人間のものだとは思えない。まるで墓石のように冷たい顔色、ボサボサで伸びた髪、ボロボロで泥だらけになった服、そして頭には白い頭巾をつけている。


「ワシだってなぁ、まだまだ未練があったんじゃ! 若返って、集落だけでなくこの国一番の金持ちとなり、そして、そして!」


(こいつ、まさか言い伝えに出てくる……!)


「大体なぁ、アンタみたいな若いのが羨ましくて始めたことで飢え死ぬこととなった! アンタらみたいな若いのがいなけりゃワシもここまでにはならなかった!」


「お、落ち着け! 南無阿弥陀仏、南無阿弥――」


「ワシは若い人間を狩り尽くすまで成仏できん! さぁ、しょうもない言い伝えと共にここで途絶えな!」

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