fly away

二条颯太

輪廻転生

 不慮の事故によって26歳で生涯を終えたわたしは、ニクバエとして第二の人生を歩み始めました。

 おっと、正確に言えば人ではないので蝿生はえせいと呼ぶのかもしれません。

 輪廻転生りんねてんしょうの死生観が正しかったという驚きは、ニクバエの嫌悪感を抱かせるビジュアルによって一瞬で消え去ってしまいました。

 人間からニクバエという落差に気持ちをへこませ、わざと人前で飛び回って自殺しようとしたこともあります。

 でも今となっては神様が与えてくれたチャンスだと割り切ることにしました。

 ニクバエの寿命は約1ヶ月。その間にわたしがすべきことは、婚約者の大ちゃんに会うことです。

 既に亡くなってしまったニクバエの両親と137匹の兄弟姉妹に別れを告げて、不快な羽音を立てながら大移動を開始しました。

 転生先から大ちゃんの住むアパートまで生ゴミを食べながらやっとの思いで辿り着いたのですが、どんな顔をして会えばいいのだろうと急に不安になりました。

 結婚を目前に亡くなってしまったことの申し訳なさもあります。既に大ちゃんが新しい彼女を作っている可能性だって否定できません。

 そんな辛い現実を目の当たりにした場合に、わたしは嫉妬の炎を燃やさずに前脚をスリスリして祝福することができるでしょうか。

 大ちゃんの新しい人生を応援しなければと頭では理解していても、無意識のうちに新しい彼女の耳元を旋回して不快感を与えてしまうかもしれません。

 それでも寿命を削って辿り着いたのですから顔を見ずには死ねません。わたしはハエらしく排気口の網の裂け目から体をねじ込んで大ちゃんの部屋に侵入を試みます。

 ハエになってから世界の見え方がガラッと変わったので排気口でも下水でも汚いという感情は抱かなくなりました。

「こんにちはー」

 人間にハエの言葉は伝わりませんが挨拶は基本です。

 久しぶりの大ちゃんの部屋はわたしが知っているのとはかけ離れていました。

 こまめに水やりを行っていた観葉植物は枯れ果て、白を基調としたカントリー風のおしゃれな空間はゴミで溢れかえっていました。

 美容師の仕事も辞めたのか、ゴミ箱の中には愛用していたシザーケースがハサミごと捨てられているではありませんか。

 ハエ視点からするとここは最高の空間ですが、大ちゃんはわたしをもてなしている訳ではありません。

 臭いを嗅ぎつけたイエバエが既に何匹も押し寄せていて、ニクバエのわたしに真っ赤な目を向けてきます。

 怪訝そうな視線を無視して室内を飛び回り、大ちゃんの肩に着地しました。

 ソファに座って敗戦したボクサーの如く俯く大ちゃんは、髭も髪も無造作に伸びて別人のようです。

 虚ろな視線の先にはフォトフレームが置いてあり、わたしと大ちゃんが肩を寄せ合って笑っている写真が飾られていました。

 その瞬間、全てを理解しました。

 大ちゃんはわたしがいなくなったことで自暴自棄になってしまったのです。

 こけた頬や落ち窪んだ目からろくにご飯を食べていないことは明白でした。

「大ちゃん、さきだよ。会いに来たよ」

 羽音すら気にならないのか全く反応してくれません。

 ローテーブルの上にある鮭おにぎりを持っていこうとするも、ハエの力じゃびくともしません。それどころか一匹のイエバエに体当たりされて体がよろけてしまいました。

「どけっ! これは俺たちの飯だ」

「勝手なこと言わないで。大ちゃんのご飯よ!」

「何言ってんだお前。こんな腐った飯、人間が食うはずないだろ」

 ハッとなって確認すると消費期限はとうの昔に過ぎていました。おにぎりから漂ってくるわたし好みの芳醇な香りは人間が毛嫌いするそれです。

 夏のジメジメした空気は食べ物を急速に劣化させ、目に見える範囲の食料は全て腐っていました。

「お願い、冷蔵庫を開けて!」

 必死の叫びも虚しくその日大ちゃんは何も口にしませんでした。

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