(一)お休み。

女はそこまで書くと、キーボードから手を放してスマホを操作し、かの先生に電話をつないだ。


「やっほっほ。ごめん、今平気?」

『なんだよ。いいところだったのに~』


不満そうに唸る電話先の美声は、出会った頃から変わらない天使の響き。


「ごめん。かけなおそうか?」

『だーめ。用件は?』


向こうも作業をしていたのだろうか。最終巻の締め切りが近づいていると、この前言っていた。沢山の用紙を寄せ集めたかのような音が聞こえる。


「頼まれていた仕事なんだけどさ」

『終わりそう?』

「ううん、まだまだかかるよ。ごめんね」

『ふーん、楽しみ! で、用件は?』


用件は? しか言わない。どんだけ生き急いでいるんだ、この人は。


「死因なんだけどさ」

『グロで』


即答だった。女はびっくりして、少しどもる。その隙に、中身の入った缶が無数に転がる音が聞こえた。


「まあその、先生なりのこだわり? があるのは分かるんだけどさ。指示はもう少し具体的じゃないと」

『そんなん、ちゃちゃっと書けばいいんだよ。優秀なワトソン君なら、この私が考えることなどまるっとお見通しなのだろう?』


確かに、この制限の少なさが面白みではあった。またそれこそが、執筆を引き受けた理由の一つとも言えた。しかしそれでも、一介の同人作家にとっては大分ハードルが高い。考えた女は、

「じゃあ先生は、どうやって死にたいと思うの?」

と、逆に仕掛けてみせる。


K先生は少し悩んだのか、五秒ほど沈黙してから、

『ワトソン君に直接、手を下されたいな』

と答えた。ここでいうワトソン君とは、某推理小説の登場人物ではなく、この女の愛称であった。女は「答えになってないよ」と茶化すが、K先生は『十分答えだよ。君に任せたいの』と鼻で笑い返す。


女は迷った。K先生の死因は縊死で決めたいところだが、問題はその方法だった。手で絞めるのか、ロープで絞めるのか。女はミステリーには詳しくないけれど、手よりもロープの方が簡単で、証拠が残りにくいことくらいは知っている。だからこそロープで絞め上げたいのだけれど、今の意向を汲むならば、ここは女が直接その手で、K先生の首を締め上げるほかない。


『あー!!』


スピーカーが割れるほどの悲鳴が、電話先から聞こえた。「どうしたの!?」と女が聴くと、


『そういうこと!? 証拠が残っちゃうってこと!?』


どうやらK先生は、今更問題に気づいたらしかった。どうしよう、どうしよう……と頭をかかえている風な彼女に、女は「今夜はいったんお休みしたら?」と柔らかな声で提案する。


K先生は『そうするね。お休み』とだけ言って、電話を切った。

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