茶色の背中

霞(@tera1012)

 ある時、突然父が嫌いになった。

 反抗期というものは、誰にでも分かりやすい形で訪れるものでもないらしい。それに思い至ったのは、ずっとずっと後のことだ。


 父は高校の教員だった。私の記憶がある範囲での年月、ずっと同じ服装で出勤していた。時代遅れの、肩が異様に強調されたシルエットの、表現しがたいチェック柄の茶色の背広。20代から体形が変わらないと、いっそ自慢げにそれを着ていた。ザンバラと呼んでいいような白髪頭に、前髪だけはぴっちりと横になでつけられている。バーコード、ホワイトバージョン。


 いつも定時きっかりに退勤して、日が暮れる前には帰宅していた。夏休みはいつも家にいて、小学生の頃の私たちはよく父に連れられてテントを背負って山登りに行った。大人にも夏休みがあるなんて、教員とは何ていい商売なんだろうと、子供心に思っていた。

 父が家で仕事をしている姿を見たことはない。わずかにその職業を思わせるのは、埃をかぶった書棚に並ぶ、黄ばんだ「ファインマン物理学」と、毎月購読している「ニュートン」という雑誌ぐらいだった。


 父はずっとヒラの教員だった。進学を意識する年齢になると、父が勤めて来た学校が、いわゆる進学校ではない場所ばかりなのには、否応なく気がついた。

 私は器用な方だったから、県下のいわゆる進学校に入学した。父と同じ理系を選んだけれど、幼少期から高校卒業に至るまで、私が父から教育めいたものを施されたことは、ただの一度もなかった。

 高校生時代の父の思い出といえば、模試を失敗しちゃって、と相談した時に、点数に目を白黒させていた姿ぐらいだ。父の学校では、そんな良い点数を取る生徒は一人もいない、と、ただ笑っていた。良い参考書を尋ねても要領を得なかった。

 

 それまで私は思っていたのだ。近所づきあいも、親戚づきあいも下手くそ。まるで世間知らずなのが子供にも分かる、頼りない人だけれど、きっと仕事では頼もしいところがあるに違いない。だから、高校生になったら、一度でいいから、「先生」らしいアドバイスをもらいたい。そうしたら、ずっとずっと彼の子供としてがっかりしたり恥をかいてきた思い出も水に流れて、私はきっと、父を尊敬できるだろう。

 でも結局、18で大学進学を機に家を離れるまで、その機会は訪れないままだった。



 父が定年退職したのは、私が社会人となって10年を迎えた頃だった。

 さすがに私も成長し、親という存在に過大な期待をすることも無くなり、その時の私にとって父はただの面白いおじさん、といった位置づけだった。


 GWに久しぶりに帰省すると、再雇用でフルタイム勤務を続けている父が、定年の時に花束をもらったよ、と照れたように言った。

 母が滔々と話し出す。曰く、最後の授業の日、父の教室には後輩や同僚の教師たちが詰めかけ、若手は動画を撮影し、さながら模擬授業のようであったらしい。そして、授業の終わりには、生徒から花束を手渡された、と。

 私はあっけにとられた。高校で、教室で教師の退職のセレモニーが行われたなど聞いたことがない。


 父は子供のころから教師になることが夢で、真っ直ぐにそれを叶えた。現場で教えることが好きだから、昇進して教頭とか校長とかにはなりたくないと、頑なにその道は拒んでいた。変わり者の父は人気者で、文化祭では父のクラスは父の顔をデフォルメしてTシャツを作り、父の作ったマーマレードは体育祭の名物賞品になった。

 

 70を過ぎた今でも、父は乞われて教壇に立っている。


 今の私には、父の背中はひどくまぶしい。

 相変わらず、変ながらの茶色の背広を着た、おかしなシルエットのその背中が。

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