第十七話 船上
三階の船室に戻ってすぐに、巨大な楼船がゆっくりと動き始めた。
動力源は甲板にそびえ立つ数本の
戦争などで急激な動作を必要とするときは、大量の
「へぇ、獣人の乗客か。こんなに遠出をするなんて珍しいね」
雪那は上等な
素足をゆらゆらさせているのは、わざとなのか無意識なのか。
外見通りの年相応な仕草に思わず目が行ってしまう。
「そんなに珍しい状況なのか?」
「獣人の生息領域は大陸西方だろう? 大陸北方にはまた別の種族が棲んでいる。お互いを刺激しないために、よほどの事情がなければ他の種族の領域に近付かないものなんだ」
頭の中で大陸の地図を思い浮かべる。
人間が棲む
川を下って東に向かえば、確かに西方よりも北方が近くなってしまう。
獣人にとっては珍しい遠出だというのも納得だ。
「やっぱり、俺より獣人に詳しいんだな。これでも勉強したつもりだったんだけど」
「西海生まれの僕から見ればお隣さんだからね。知りたいことがあったら聞いてくれ。応えられることは答えてあげるよ」
雪那は少々嬉しげというか、自慢げに笑っている。
正直、気持ちは分かる。
自分が詳しい分野について他人に教えるのは、何とも言えない満足感があるものだ。
それを優越感だの何だのというのは野暮というもの。
神秘的な少女が見せた可愛らしい人間味だ。
「聞きたいこと……そうだな、獣人の名前の付け方って、どうなってるんだ?」
「『どう』と、いうと?」
「さっきの三人組、
狐の獣人は
どう考えても、お嬢と呼ばれた少女の名前だけ統一感に欠けている。
「一口に獣人といっても様々だ。国家や氏族によって名付けの風習も変わってくる。中原風の名前を付けるところもあれば、似ても似つかない名前を付けるところもある。強いて傾向を挙げるなら、影響力が強い氏族ほど中原風の名前が多いかな」
「へぇ……言われてみれば、あの子も『お嬢』って呼ばれてたな。どうしてそうなってるんだ?」
俺も雪那が座っているのとは別の
「僕や父上もそうだけど、霊獣の多くが中原風の名乗りをしているからだね。例えば獣人を支配下に置いている霊獣は『白虎』だ。霊獣にあやかって改名する事例も珍しくないらしいよ」
「白虎なら俺も知ってるぞ。大陸西方の守護神だろ? 獣人が中原に攻め込まないのは白虎のお陰ってことで、人間の国でも結構崇められてる奴だな」
「本人も何かと付けて自慢してるよ。自分は人間にとっても『神獣』だと言ってね。その度に聞き流していたけど……本当に本当なのかい? 誇張ではなく?」
「
久しく忘れていた雑な言葉遣いで談笑する。
この話題に何かしらの意味があるのかと言われたら、何もないとしか答えようがない。
終わったらすぐに忘れてしまっても構わない、単なる時間潰しのための何気ない雑談だ。
けれど、こうして無意味なやり取りに興じるのは、正直楽しかった。
王族だとか
普通の人達に混ざって育てられた幼少期のように、ありのままをさらけ出して笑っていられる――ただそれだけで、心が弾んでいた。
「ところで、
「耳と尻尾は本物だったと思うけど」
「ああ、そうじゃない。獣人じゃなくて、変化した霊獣の可能性もあると思ったんだ。ほら、僕も前に変化の仕方を変えてみせただろう?」
雪那が言っているのは、獣人のための宿屋に泊まったときのことだ。
確かにあのとき、雪那は龍の特徴を持つ獣人のような姿に化け直していた。
「獣人は生まれた瞬間から獣人だ。けれど霊獣は獣の姿こそが本性。その上で人間や獣人の姿に変化する。人間に化けた僕が人間と区別できないように、獣人に化けた霊獣と獣人を区別するのは難しいんだ」
「あんたの場合は髪の色とか凄く浮いてるけどな」
「え……そんなに浮いてる? 本当に?」
焦り気味に髪を触る雪那。
まさか今まで自覚がなかったのか。
「待ってくれ、そんな目で見るんじゃない。僕だってこの色が珍しいという自覚はある。悪目立ちするのも分かってる。だけどまさか、霊獣だと見抜かれるほどだとは思わなかったんだ」
「さすがに普通の奴は気付かないんじゃないか? 勘のいい奴は察しそうだけど」
「……仕方がないだろう。妖狐のように変幻自在とはいかないんだ。龍に変化の精密さまで求めないでくれ」
雪那は気恥ずかしさを噛み殺した顔で、ぽすんと音を立てて
まるで拗ねたみたいな反応だ。
その仕草に意識を惹かれて、不覚にも会話が途切れてしまう。
沈黙を誤魔化そうと話題を探し始めた矢先、甲高い鐘の音が艦内に響き渡った。
「何だ?」
雪那が起き上がるよりも先に廊下へ出る。
外の廊下には俺と同じく部屋から飛び出してきた乗客が何人もいて、兵士らしき男が声を張り上げて状況を説明していた。
「皆さんご安心ください! この鐘は『幽霊水軍』の出現を知らせる合図に過ぎません! 本艦の法術部隊の手に掛かれば恐るるに足らぬ怪異です!」
幽霊水軍? その疑問に対する答えは、すぐに本人達の方から姿を現した。
進行方向に立ち込めていた深い霧を割って、朽ちた軍船の一群がこちらに向かって川を遡ってくる。
乗っているのは生きた人間ではない。兵士の甲冑を身に纏った幽霊だ。
なるほど、幽霊水軍というのはそのままの意味か。
「あれはかつての戦争において、我が国の水軍に敗れ去った、東の隣国の兵士の亡霊! 未だに我が国への恨みを忘れず、時折こうして現れては大型船を襲っているのです!」
幽霊船の兵士達が半透明の弓を引き絞る。
だが兵士の言う通り、こちらの迎撃体制も万全だ。
一斉に放たれる半透明の矢。
それと同時に、甲板の船首付近に集まっていた数名の法術士が、船の前に旋風の壁を発生させた。
凄まじい旋風は矢の雨を容易く逸らし、行く手を阻む霧までも吹き飛ばした。
幽霊水軍が薄れて消え失せていく。
攻撃の失敗を悟って撤退を選んだか、それとも霧が晴れたら存在を維持できないのか。
いずれにせよ問題は呆気なく解決したようだ。
最初こそ混乱していた乗客達も、今ではすっかり落ち着きを取り戻していて、見世物を楽しんだ後のように感嘆の声を漏らすばかり。
というか、わざわざ鐘を鳴らして注目を集めたのは、乗客に今の光景を見せて楽しませるためだったのだろう。
安全性の
(……あんまり趣味がいいとは言えないな。まぁ、安全なのは何よりだけど)
余興を楽しむ乗客との間に心の距離を感じながら、雪那が待つ部屋に引き返す。
「何かあったのかい?」
「大したことじゃなかったよ。幽霊船が出たから追い払えっていう業務連絡だな。そんなことより――」
すぐさま話題を切り替え、雪那との雑談を再開する。
死人に鞭打つ様子を見物するよりも、こちらの方がずっと楽しいに決まっている。
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