第十五話 清河

 一仕事を終えた俺達は、キュウ国から盛大なもてなしを受けることになった。


 呪われていたのが年端も行かない少年というのもあり、穹国の王宮の人々もずっと陰鬱な気持ちで過ごしていたらしい。


 その憂鬱から開放された反動なのだろう。


 誰かと顔を合わせるたびに感謝を述べられ、喜びに涙を流したのも一人や二人ではないくらいだった。


 当然、それはただの言葉だけには留まらなかった。


 大規模な宴席を設けて歓待しようとか、褒美の品を見繕って式典を開こうとか、どんどん話が大きくなってしまった。


 ――だが、それは辞退させてもらうことにした。


「本当にいいのかい? 解呪を成し遂げたのは他ならぬ君の功績だ。君には称賛を受ける権利があると思うよ」


 雪那はそう言ってくれたが、俺の意志は変わらなかった。


 俺だって人間だ。感謝されたり評価されたりすれば嬉しいし、役に立てたのなら充足感を覚えるものだ。


 けれど、物事の優先順位を間違えたくはない。


「いいんだよ。せっかく情報が手に入るっていうのに、のんびりしてたら意味がなくなるだろ。情報っていうのは鮮度が命なんだからさ」


 一般論として、目撃証言は時間が経てば経つほど価値を失うものだ。


 相手がずっと同じ場所に隠れているならともかく、そうでなければ可能な限り急いだ方がいいに決まっている。


 雪那に呪詛を植え付け、宝珠を奪った霊獣と思しき犯人。


 麓城ロクジョウの街で暴れたという霊獣らしき存在。


 両者が本当に同一人物かは分からないが、今のところ最も有力な手がかりであることは間違いない。


 この機を逃せば、あてもなく捜索を続けるしかなくなってしまうだろう。


「……君は優しいね」


 そう言って笑った雪那の横顔に、どことなく後ろ向きネガティブな感情が潜んでいるような気がしたのは、俺の勘違いだったのだろうか。


 俺に向けたものではなく、自分自身に対する内省的で否定的な感情が。


◆ ◆ ◆


 俺達が麓城ロクジョウで得たものは三つ。


 一つは報奨。当日中に用意できた気持ちばかりの金銭だ。


 一つは情報。街を荒らした霊獣が逃げていった方角と、その後にキュウ国内で報告された目撃証言を洗いざらい。


 そして、残る一つは移動手段。


「こいつは凄い! 内陸部にこんなに大きな船があったのか! やはり見聞は広めておくべきだね!」


 雪那が目を輝かせて声を上げる。


 中原ちゅうげんには三本の大河が存在する。


 故郷のケイ国を流れているのはそれらのうち中央の一本で、北の隣国であるこのキュウ国にはまた別の大河が流れている。


 俺達はその川――清河セイガほとりの港町にやってきていた。


「さすがは王族。大型客船の乗船権なんて、普通は昨日の今日で用意できるものじゃないぞ。しかも一等客室だったか?」


 目の前の水面に浮かんでいるのは、比喩ではなく見上げるほどに巨大な船だ。


 単に『船』と聞いて想像する形状ではない。


 よくある縦長の大きな船を二隻用意し、それらの間に頑丈な足場を組んで連結。


 そして、この足場の上に三階建ての建造物を丸ごと建ててしまうという、大胆過ぎる設計で構成された巨大船である。


 この手の船は『楼船』と呼ばれる。まさに水上の楼閣だ。


「地上の人間達は面白いことを考えるものだね。ただの船よりも人や物を積み込めそうではあるけれど、一体どういう発想で思いついたのやら」

「普通は水軍が使うんだ。大勢の兵士を運ぶもよし、巨大さに物を言わせて動く城壁みたいに扱うもよし。多分、新しいふねを造ったかとかそういう理由で、古い艦を輸送用に回したんだろ」


 無論、こんな代物を使える場所は限られている。


 それこそ中原ちゅうげんの三大大河でもなければ航行不可能だ。


 裏を返せば、三大大河にはこんな代物を運用するだけの戦略的な価値がある、ということでもあるのだが――今の俺には関係のない話だ。


麓城ロクジョウで大暴れした奴は清河セイガに沿って東に移動した。途中の村や町でも目撃されている。これが現状唯一の手がかり……追いかけるには最高の移動手段だな」


 湖と見紛みまがうほどに広大な清河セイガの流れに目を向ける。


 名前の通りに澄み渡ったその大河は、対岸がぼやけて見えるほどの川幅を誇っている。


「……中原ちゅうげんの言い伝えだと、大河には龍が棲んでいるってことになってるんだが、実際のところ……どうなんだ?」


 何気なく頭に浮かんだ疑問をそのまま口にする。


 大河に棲まう龍の伝説はどこでも有名だが、俺はあまり信じてはいなかった。


 そもそも龍の実在すら、少し前までの俺にとっては真偽不明の謎に過ぎなかったのだから。


 しかし、今は違う。


 龍は確かに実在していると分かったし、何なら今すぐ触れられるくらいの距離にいる。


 だったら伝説の真相も――


「聞いた話だと、棲家にしている奴はいるらしいね。でも人間の感覚でいうなら、役人が地方に赴任してるとか、辺境に別荘を持ってるようなものだと思うよ。龍王に呼びされて不在っていうのも多いんじゃないかな」

「……思ったより生々しかった。浪漫とかそういうのはないんだな」

「君達にとっては未知の世界でも、僕らにとっては日常の延長線上だからね。龍にも私生活はあるんだよ?」


 雪那は楽しげに笑いながら、俺の胸を軽く叩いた。


 何というか、説得力が尋常ではない。


 俺の目に写っているのは、現実離れした超越存在などではなく、神秘的だけれど愛らしい少女の姿なのだから。

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