小説『ピアノ』

【エピソード1】


私の鍵盤を女が叩く。

力強く、時に軽やかに。

モーツァルトの曲が、昼下がりの町に流れる。


私はスイスで生まれ、日本にやってきた。

終戦間もない日本。

ピアノはまだまだ一般家庭にとって、高嶺の花の時代。

私は、神戸の高台で、モーツァルトを奏でる、平和なピアノだった。

譜面を風がめくり、花瓶の花が私の音に震え、女が一身に私を弾いている。

毎日2時間、私の体は鳴り響き、幸せな人生をピアノとして過ごしていた。


神戸での幸せな日々は、そう長く続かなかった。

神戸での2度目の冬。

朝になったら、家族が消えていた。

見知らぬ人が私を値踏みをして、「これは競売に出す」と言った。

もう、あの女の指に触れることも二度とないことが、ピアノである私にもわかった。


私は売られていく。

そこにも平和な時間が流れていればいいのだけれど。

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