第13話

 ミューズから呼び出しを受けてすぐに電車を降り、葉名知へとんぼ返りするホームへ走った。走りながら考えることに慣れていない私は、やたらと体力を消耗した気がする。葉名知に着き、なずなへの道をまた走る。通り過ぎる商店はシャッターが下りている店も多く、走り抜けてしまうと一層味気なく思えた。

 ミューズからのメッセージにすぐ行くと返事をしたものの、息を切らせてまで駆けつける用件なのかもよく分かっていない。それでも私は願っていた。お父さんがコーヒーを淹れてくれて、お母さんがサボっていて、ゴマ君がテレビを見上げる。月人は頼りなさそうに眉を下げ、ミューズがお客さんと軽口を叩く平穏が今日もあることを。

 ミューズが言う大変なことというのは全然大した話ではなくて、大げさに受け取った私の早とちりで。月人が何事かと瞬きする景色を思い浮かべた。それが、一番だ。なずなの長閑な空気に、諍い事は似合わない。私が話せないがために、姉が両親を責めていた頃が頭に浮かんだ。月人の言葉がよぎる。

『僕は、自分のことを家族に話そうと思ってる』

 それは正しい選択なのか。私は家族間で傷つけあう不毛な時間の経験者として、月人を止めるべきだったのではないか。ミューズが指しているのは全く別のことかもしれないのに、そんなことばかり考えてしまう。

 なずなに着き、ドアに手をかけたところで違和感に気づいた。一歩下がって見ると、ドアにかけられた札がClOSEDになっている。今まで素通りしていた、ガラス扉に書かれた営業時間の文字が目に入る。第一・第三日曜日定休。まさしく今日が定休日だと気づいて、いつもより暗い店内の様子を外から覗き見た。一つのテーブルに何人か、人影が集まっている。そのうちの一人が、こちらに気づいた様子で小走りで入り口まで駆け寄ってきた。ドアを遠慮がちに開けたのは、後ろめたそうに頭を屈めたミューズだった。

「ごめん、せっかく来てもらったんだけどさ」

 続きが切り出せないのか、言い淀む。ミューズが開けたドアの隙間から月人とお父さんの後ろ姿が見えた。ソファー席に並んで座る二人と、左側にイスを持ち寄りお母さんとゴマ君が陣取る。月人の隣、ミューズが座っていた空間の向かいに座る人影は私が知る人物ではなさそうだった。

「なんか、ちょっと思ってたのと違ったみたい」

 ミューズがごまかすように笑う。ごめんね、ともう一度謝って私を招き入れた。どうやら話題の中心にいるのは、月人の向かいに座る見慣れない人物のようだった。女子アナウンサーのような清潔感のある出で立ちで、囲む面々の一歩引いた距離感に負けない、抑揚ある話しぶりもアナウンサーばりだ。主に彼女が話し、なずなの面々は聞く側らしい。時々、球場やファン、選手といった単語が聴き取れる。ミューズは輪に戻る前に立ち止まり、状況を教えてくれた。

「電話したときはさ、プロ野球チームのスタッフの人が月人を尋ねて来るって聞いたから、スカウトにでも来るのかと思ってね。それでゴマ君まで呼んだんだけど」

 横目でアナウンサーのような女性を見て、声を落とした。

「来たのは広報さんだって。全然、スカウトの話なんかじゃなかったってわけ」

 ゴマ君ならともかく、ミューズがプロのスカウトに喜ぶというのは意外な気がした。

「だってさ、さすがにプロになるなんてゴマ君の見当違いだと思ってたからさ。本当にプロ野球から声がかかるってなったら、ついテンション上がっちゃってさ」

 と、私の疑問はお見通しかのように付け加えた。ミューズが椅子を用意してくれ、私はミューズが座るソファー席の横に並ぶ。ご丁寧に女性は一礼し、部外者の私にまで名刺を差し出し名乗り出た。名刺の隅には地元球団のトレードマークである赤い竜のロゴがあり、本物らしさを演出している。永島瑠奈、と聞いたばかりの名が印字してあった。

「では続きをご説明します」

 私が会釈をすると、当たり前のように会話を再開し始めた。家族でもないし、常連というにはにわか過ぎる私がいるのは不自然な気もしたけど、誰も疑問を口にはしなかった。

「つまり月人さんには、今年の春の甲子園で優勝した江南高校のエース、田町くんと真剣勝負をして頂きたいというのが今回のイベントの主旨です」

「ちょっと変わった始球式ってことだね」

 ゴマ君が口を挟んだ。

「そうですね、普段のゲームでは始球式に当たるイベントです。ただ、せっかく今アマチュア球界で話題のお二人に来て頂く以上、ただの始球式ではもったいないと考えておりますので。一打席限定とはいえ勝つか負けるか、カテゴリーを超えたドリームマッチをファンにも選手自身にも楽しんで頂けたらという企画です」

 途中で参加した手前、真面目に聴くようにはしていたけど、内心は拍子抜けもいいところだった。

 家族会議の様相でどんな一大事かと思えば、なんとも平和なイベントの話題だ。出迎えたときの、ミューズの気まずそうな顔の意味が理解できた。もしかしたら、お父さんやお母さんも同じ心境なのかもしれない。ミューズに集められたものの、フタを開けてみれば両親が付き添って聞くような内容ではなかった。そんな弛緩した気配。お母さんに至っては、掘りの深い瞼の奥で目を閉じてしまっている。考え込んでいる顔に見えなくもないけど、注意深く聞けば寝息が漏れているのがよく分かる。

「いかがでしょうか? お受け頂けると、当日の試合の盛り上がりだけでなくアマチュア球界全体、また、ミライスポーツ様のイメージアップにもつながると思います」

「そうですね、僕なんかにとてもいいお話をありがとうございます。ただ」

 表情を変えず、淡々と聞いていた月人が口を開いた。唯一、浮足立っても退屈してもおらず、永島さんという広報の話を相応の心構えで受けていたようだ。

「ただ?」

「ただ、こういったお話はうちの上司とも相談しないとお返事はできないかと。チームの名前を出すのならなおのこと」

「というか、そういうのって個人に直接話を持ってくるもんなんですかねえ。てっきり広報さん同士である程度話を通してから選手にいくのかと思ってましたけど」

 皮肉めいたゴマ君の発言に、ミューズが「ちょっと」と声に出して眉をひそめる。ミューズを制したのは、皮肉を言われた当人である永島さんだった。

「そのご指摘はもっともです。実際のところ、本来はしかるべきルート、順番をもってお話を通すべきでした。しかしこの企画は賛否が分かれる企画、受け取りようによっては挑戦的とも受け取られる企画だと思っておりますので。管理者サイドの判断で断られる可能性よりも、まずはご本人の意思を確かめたいと思い参りました。ご本人にそのつもりがあれば、ミライスポーツ様にもご理解を得られやすくなるのではないかと。そういった考えのもと、本日はお邪魔をさせて頂いたのです」

 台本があるかのように、永島さんは迷いなく思いの丈を話し上げた。腰は低く、お願いをしに来ているという立ち位置を保ちながらも自信に満ちていた。

「よく分からないんですが、高校生と勝負するというのは、そんなに覚悟のいる企画なんですか? なんだか怖くなってきたな」

 月人が冗談めいて笑みを作る。おかげでミューズと永島さんも小さく笑い、堅い商談のような緊張感がほぐれた。

「いえ、それ自体は超えられるハードルだと考えております。賛否両論がありえるのは……隠してお話を進めるのは無理があるので言ってしまいますと、人選です」

「人選ですか」

「そりゃあ月人じゃ、役不足ってことだろう。ゴマオ以外、どこの物好きがこんなのを見たがるってんだ」

 いつの間に起きたのか、お母さんが毒づく。

「いや、案外バカにできないらしいよ。お前も、ミューズが練習を見に行った時の話を聞いたじゃないか」

 ずっと微動だにしなかったお父さんが、お母さんに反応するように身を乗り出した。ミューズから聞いた当初の予定と違うとはいえ、今では月人の晴れ姿にみんなが期待を寄せ、いつもの活気を取り戻しつつあった。

「プロのスカウトと始球式を間違える子の話が、どれだけあてになるんだか」

「ちょっと、おっかあだって喜んでたじゃん。同罪だよ同罪」

「それより僕はどうしても気になるんだけど、役不足というのはお母さんの使い方だと誤用というのが最近の見解では一般的であってですね」

「あの、永島さん。僕はスカウトだと思っていたわけじゃありませんので。妹が勝手に誤解して騒がしくしてしまい、申し訳ありません」

 思い思いに話し、まるでまとまりがないようでいて、それでも楽しい。堅苦しい雰囲気から解き放たれて、大団円の結末が見えてくるようだった。

「いやあ、よかったです。みなさんの和やかな雰囲気の中で話をさせて頂けることに、まず安心しました。門前払いをされたらどうしようかと、毎回どこに行くにも緊張しますから」

 笑顔のマスクを貼りつけたような永島さんの顔から、初めて自然とゆるんだ表情が出る。永島さんが話し始めたことで、みな言葉を止め注目した。素直に胸中を吐露した姿に、微笑ましさすら感じていた。次に永島さんが話し終えるまでは。

「やはり、同性愛者という世間から誤解を受けやすい立場であっても月人さんは周りから慕われている。月人さんご自身も、ご家族もご友人も、素敵な方々だと感じました」

 私は一瞬で混乱状態になる。これは、それでよかったんだっけ。月人はもう家族に話したのだろうか。それとも、自分は何か勘違いをしていたか。

「同性愛となると、まだまだ世間的にはある種のタブー視をされているものですから。ミライスポーツ様や球団としても賛否は上がるかもしれません。それでも私は、当事者である月人さんが活躍をされることで多くの方の勇気になると考えています」

 私が勘違いをしているわけではないことは、すぐに分かった。永島さん以外の誰もが、多かれ少なかれこれまでと違う顔を浮かべている。私はもう見ていられず、顔を伏せた。永島さんは完全に受け入れられたと思ったのか、周りの異変に気づく様子がない。この変わりように気づかないなんて、気のゆるみとは恐ろしい。誰かあの口を止めて下さい。私の他力本願に答えたのは、押し殺したようなミューズの声だった。

「それ、どういうことなんですか」

 さすがに異変を感じたらしく、雄弁に語り続けていた永島さんが止まった。

「すみません、帰って下さい」

 問いかけの答えを待たない二言目は、震えが混ざっている気がした。精いっぱい気持ちを抑えた声なのだと思うと、私まで胸が痛くなる。

 同時に、意外な気もした。ミューズはことの真偽を確かめるより、確定的な言葉が発せられるのを嫌がった。今初めて聞かされた者の反応には思えなかった。

 いくら声を抑えても、ミューズの態度にはあからさまな非難が滲んでいた。永島さんが自分が過ちを犯していると知るには十分だった。何か弁解をしようと試みるも、取り返しがつかないことを悟る。その過程がはっきり顔色に表れていて、時間が経つほどに悲壮感が増した。

「申し訳ありません、まさか」

 その先を言ってはいけない。私だけでなく、ミューズも思っただろう。月人だって思ったかもしれない。それでも止める術はない。きっともう手遅れで、無駄な抵抗だとしか思えなかった。

「まさか、ご家族の方がご存じないとは」

 あーあ、と自棄になって声を出してしまいたい。ミューズが聞きたくなかっただろう、あるいは両親に聞かせたくなかっただろう、決定的な一言。暗に彼女は、自分の発言が事実であると認めてしまっている。それに気づかないほど動揺している。

「もう帰って! 帰れって言ってるでしょ!」

 ミューズが大人としての体裁を保てなくなっていく。もう聞きたくないよと、駄々をこねる子どもと同然だった。私はそれを止めることもできず、どこまでも腑抜けな自分に甘えて固まるばかりだ。

「永島さん、素敵な企画をありがとうございました。申し訳ありませんが、返事は後日とさせて下さい」

 月人が普段の様子と変わらぬまま、永島さんに頭を下げる。回数を競っているかのように永島さんは繰り返し頭を上下させ、謝罪の言葉を吐き続けた。内容が聞き取れないほど早口で、それでも続ける以外にないのだろう。月人に付き添われて店を後にする。

 その姿を見送るお父さんも、腕を組んでふんぞり返ったお母さんも、何か言うべきかと視線を彷徨わせるゴマ君も、結局誰も一言も発しなかった。ミューズの、紫煙を吐き出すような深くて長い、苛立ちのこもったため息だけが響いている。席に戻ってきた月人を迎え撃つよう、ミューズが立ち上がった。

「どういうことなの。あの人、月人の何を知ってるの。どこで知ったの」

「待てよ、僕が知るわけないだろ」

「そんなのおかしいじゃない。家族も知らない話を、どうやって赤の他人が知るの」

「それが、他人の方が知っていたりするんだよ。今の世の中って」

 ミューズと月人が一斉にゴマ君を見る。お母さんも、気だるそうに一息遅れて視線を向けた。お父さんだけが、微動だにしないまま詰まった咳払いをした。ゴマ君は続けるべきか迷いを見せたけど、今さら止まれないと観念したように話し続けた。

「SNSでちょっとした噂になってるんだよ。月人くんがその、女性に興味が無いんじゃないかって。僕は適当な噂を流すヤツが許せないから、噂の根本が誰なのかまで遡ったよ。そいつは月人くんの高校の同級生だって名乗ってた。でも同級生だからって、本当のことを言っているかどうかなんて分からないし、結局のところ噂は噂、大して話題にもならなかったんだけどね。ただ、最近月人くんのファンが増え始めてから、その辺の過去の噂をほじくり返して言い合う奴らが出てきたんだ。噂を信じる誰かと、否定したがる誰か。ネット上の書きこみで言い合いになるたび、今度は関係ない誰かにまでその様子が伝わっていく。そんなやり取りが繰り返されていつの間にか、確たる証拠もないのに月人くんがそういう人だっていうのは既成事実みたいになっていったんだ」

「ずいぶん詳しいじゃん」

 ミューズが冷たく言い放つ。

「別に、知りたくて知ったんじゃないよ。最初は月人のファンのやり取りを追っていったら出くわしただけで。それに僕は、くだらない噂に過ぎないと思っていたし」

 ミューズと月人を代わるがわる見つめ、ゴマ君は言葉を選んでいった。

 私から見ればまだ、感情を露わにしているミューズを相手にしている方がマシに思えた。お父さんとお母さん、そして月人は堅い表情のままでその口からいつ何が飛び出すのかまるで分からない。 

「とにかく、月人くんのファンの間で勝手に広まっていった話なんだ。それをあのバカな広報が、鵜吞みにしてベラベラ余計なことを話していったってとこなんだと思う。月人くんが知らなくても無理はないよ」

 話し終えたゴマ君が、誰かの返事を求めるように見回す。私と目が合ったと思ったら視線は素通りして、戦力外とみなされたようで空しかった。当然の行為なんだろうけど。結局、誰からも反応はなく、耐えきれなくなったのかゴマ君が見えないゴールに向かって言葉をつなぐ。

「そもそも深刻に考える話なのかな? だって噂だよ? 本当のことじゃなければ否定してしまえばいいんだから。月人くん自らの言葉で、ファンに向けて説明したっていいと思う」

「月人」

 割り込むお父さんの声に、全員が息をのむ。多分、頭のどこかでみんなお父さんがどう出るかを待っていた。勝手な話だけど、優しく微笑んで全て許してくれる役割を期待した。

「別に、何も言わなくていい。今までずっと黙っていたのなら、これからも黙っていればいいんじゃないか。人に言いたくないことなんて、誰にだってあるだろう」

 否定しなきゃダメだよ、とゴマ君の微かな呟きが聞こえる。精いっぱいの異議も、実の親子の会話の前では無力でしかない。

 いつの間にか、月人が公に対してどう振舞うかが話の焦点になっている。本当に同性愛者かどうかは、月人がすぐに否定しなかったことで答えが出ていたのかもしれない。

 いつもお父さんが立つキッチンスペースまではずいぶん距離があるのに、冷蔵庫か何かのモーター音が響いてきて沈黙を強調する。開店中なら会話のすき間を埋めるのはピアノジャズの軽い音色で、それにどれほど落ち着きをもらっていたか、思い知らされた気がした。 

「違うよ」

 お父さんの隣で、俯いたままの月人がようやく答えた。

「僕は近いうちに話そうと思っていたんだ。言いたくなかったわけじゃない。だけど」

 急に声を詰まらせ、髪を撫でかけ、掴む。月人の柔らかそうな髪が、痛々しく張りつめる。

「なんて言えばいいか分からなかったんだ。僕は普通じゃない。孫の顔を見せてやることもできない。人として失敗作なんだよ。ゴマ君がいくら応援してくれたって、僕は野球が好きじゃないしプロになんか絶対なりたくないんだ。というより、なれないんだよ。僕がそう説明したら、どうしてかって聞くだろう? それをいちいち答えられるほど、僕には勇気がないんだ」

 まくし立てる月人の話は、道筋立ったものなのかもよく分からなかった。ただ、月人の痛み、葛藤はよく聞こえる。だから誰も、彼の話を遮らない。責めるべき犯人が立ち去ったこの場で、月人にしてやれる数少ないことに違いなかった。

「そうやって言えない毎日を過ごしていたら、先を越されたってだけだよ」

 いくらか冷静になった声色で月人が言う。その横でお父さんが立ち上がり月人を見下ろした。

「いずれにせよ、今日話すつもりじゃなかったんならゆっくり考えればいい」

 なあ、と言い聞かせる声は、宙に浮いて消えた。お母さんも立ち上がり、

「バカな息子と娘だよ」

 と唐突にミューズの名も添えて嘆いた。ミューズはといえば、言い返す気力もない様子でバックヤードへ引き上げていく両親を眺めていた。月人とミューズ、ゴマ君と、この場になんの貢献もしない私が残される。ガランとした店内に四人。お母さんが座っていたイスが空席になって、より一層なずなの薄暗さが際立った。

 話し合うでもなく、帰るでもなく居座り続けているのは、願っているからだろう。誰かが、この救われないストーリーに一矢を報いてくれる。なんでもいい、今日のアクシデントを前向きにすり替えられる何か。大きく事実は変わらなくとも、一筋の明るい展望をもたらしてくれる何か。でもそんな策は存在しないこともきっと分かっていて、時間切れを知らせるタイマーが鳴ってくれないかと有り得ないことも願っている。

 私は足りない頭で、何か打てる手はないのかと模索していた。もし私が誰よりも人のことを理解できる、アンテナとやらを本当に持ち合わせているのなら。今使わなくていつ使うというんだろう。月人は、ミューズは、ゴマ君は何を考えている? 何が起これば、この状況が好転する?

「僕は、確かに噂には聞いていたよ」

 ゴマ君が呟く。うつろな視線が集まる。

「その、月人くんがそういう趣味というか、スタイルっていうの。そうなんじゃないかって、書きこみは自然と目に入るぐらいはあった。さっき僕は、ただの噂だと思って信じていなかったって言ったけど、本当は少し違う。正確には興味がなかったんだ。男が好きだろうが女が好きだろうが、野球をする上では何の関係もないわけで」

 言葉を切ったゴマ君が、月人に向き直る。

「関係ないって思ってたからこそ、さっきの月人くんの話にはショックを受けたよ。同性愛者だから野球選手になれないって? そんなの何の理由にもなってないじゃないか」

「だから、それについていちいち答える気は」

「答える勇気が無い、だっけ。納得いくかよそんなの」

 微かに声を上ずらせてゴマ君は吐き捨てた。こみ上げる感情と、抑えようとする自分自身の衝突に震えている。

「悪かったね、ずっと月人くんの言う通りだった。僕が間違っていた。確かに月人くんは一度もプロになりたいとも、なれるとも言ってなかったし、それを無視してバカみたいにはしゃいでたのは僕の勝手だ」

 早口になり、話す手振りも大きくなっていく。痛ましささえ感じさせるゴマ君の動揺ぶりを、どうすることもできず私たちは聞いていた。

「でも僕だって冗談で言ってたわけじゃないんだよ。本気でプロを目指すべきだって思ったんだ。本気で、月人のことを応援してたんだ」

「知ってるよ」

 ミューズが呆れと、親しみをこめて苦笑いする。

「本気じゃなきゃここまでしないって。実家まで辿り着いちゃったんだから」

 ゴマ君は一瞬迷ったような間を空けてから、口元をまた強張らせた。

「それが、全部ムダなことだったんだ。ムダどころか、月人くんからすれば迷惑で仕方なかっただろう。僕がしたことは夢の押しつけで、勝手で無知で、くだらない。どうしょうもないバカだ」

「やめてくれ」

 月人が静かに、感情を押し殺すように言う。

「もうそれ以上はやめてくれないか。悪いのは僕なんだよ。期待に応えられない僕なんかのせいで、誰かが傷つくのはたくさんだ」

 言い終わると月人は頭を抱え込んでしまった。精いっぱい自分をかばい、全てが通り過ぎるのを待っているようだった。それがきっと、ゴマ君を余計に逆撫でしたのかもしれない。

「あのさあ、男を好きな男っていうのは、オカマってことになるのか? だからそんな風に、ウジウジしてばかりなんじゃないの?」

 ゴマ君に似合わない、荒い口調だった。いつもゴマ君を軽くあしらうミューズですら、警戒と怯えの色を浮かべている。

「別にもうどっちでもいいんだけどさ」

 吐き捨て、ゴマ君が立ち上がる。亀のようになってしまった月人を見ないまま去ろうとする。二歩進み出たところで、足を止めた。

「なんか言い返すぐらいしろよ」

 今度こそゴマ君は去っていった。私は止めることも月人を支えることもできず、自分がいかに役立たずな存在か思い知らされていた。やっぱりアンテナなんか無い。たかだか一人で出かけたぐらいで、浮かれていた自分が滑稽でうすら寒い。誰かを思いやるより先に、自分のことばかり浮かんでくることも、何もかも嫌だ。

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