兎追いしかの時【SSRT 1本目】

レオ≒チェイスター

兎追いしかの時

 12月25日。なんてことのない、クリスマスの夜。その日はひどく冷え込んでいて、天気予報ではホワイトクリスマス、なんて騒がれていたけど。なんの予定もない僕にとってはどうでもいい他人事だった。


「ねえ、今日ってその…予定ある?」


 そんな言葉をかけられて、学校の昇降口で靴を履き替えた僕の手が一瞬止まる。これが所謂「大人の恋愛」というやつなら駆け引きの一つもあるだろう、あるいは違う相手からであっただけでも心臓の高鳴りくらいあったかもしれない。が、僕の口からはそれとは真逆のため息が漏れるだけだった。


「ないよ。なんの予定もない。両親は二人で旅行行ってくるってのにな」


 つい不機嫌な声で答えながら振り返ると、僕に声をかけてきた幼馴染=橘 愛菜(たちばな あいな)はくすりと上品な笑みを浮かべていた。さらりとした腰まである長い黒髪と相まってその仕草は妙に様になる。


「そっか、うん、じゃあさ、夜とか……ちょっと、時間ほしいなって」


 この言葉を他人から聴いていたなら今頃僕は有頂天だっただろう。だが、相手はこの幼馴染、橘 愛菜たちばな あいなである。小学生の頃からの付き合いで、互いに言えないことなどないくらい、気のしれた間柄である彼女からの誘いが、恋愛的要素をまるで含まないものであることは明白だった。


「いいよべつに。どうせ買い物の手伝いとかだろ」


「あはは、せーかい♪年末の買い物も今のうちに済ませときたくてさ」


 それみたことか、と予防線を貼ったことに安堵しながらも。僅かな期待があったことを自覚してつい舌打ちが漏れた。



 「いやあ、買った買った……!やっぱり手伝い頼んで正解だったねえ」



 「ほんっとにな。てか障子紙だのアルミホイルだの包丁だのって今買っとく必要ないだろ……」


 両手にずっしりとした重みの買い物袋を下げながら愛菜と並んで街を歩く。数件の買い物に付き合わされたせいで既に足に重さを感じる。しかも今日はクリスマス、人通りは多く店は混み合う。主にカップルとかで。


 「あ、帰る前にちょっと休憩しよ?いつもの公園でさ」


 胸に湧いたドロリとした気持ちと疲労感とでしかめた顔がどう見えたのか、愛菜にそんなことを言われた。まあ実際、大して体力のあるわけでもない僕の腕は限界が見えてきていたし、ありがたい。僕たち帰り道から少し外れて、寂れた公園にたどり着く。


 「私飲み物買ってくるよ」


 ベンチに腰を下ろした僕へそう言って、愛菜は入り口の方にある自販機へと駆けていった。

はあ、と白い息を吐き出しながらぼんやりと独り広くもない公園を眺める。ここで毎日愛菜と遊んでいたのはいつの頃までだっただろう。


 (あの頃は、なんか色々考えなくて、気楽だったな)


 ぼんやりと思い出す。友達もできずに孤立していった中学時代。その経験で足踏みを続けた今まで。振り絞った空回りの勇気と冷たい視線。


 「おまたせ!」


 「うぉっ!?」


 いつの間にか下がっていた視線が、頬に当てられた缶の熱さで跳ね上がる。いつものように上品な笑みを浮かべた愛菜が僕の前にいた。押し当てられたコーヒーを受け取って、照れ隠しに雑に流し込む。甘さの一切ないそれにむせそうになりながら意地で腹へと押し込んだ。


 「大丈夫?すごく、つらそうな顔してたけど」

 

 「……大丈夫」


 こんな言葉で隠せるとは思ってないが、素直に吐き出せるようなものでもない。


 「……そういうの、増えたよね。最近」


 「そういうの、って……?」


隣に座った愛菜の言葉に、顔を向けないまま答える。


 「言わないこと。たくさんできたよねって」


 「……そんなこと、」


 ないだろ、と言おうとして。思い当たるものが喉に引っかかって、続く言葉を塞いだ。


 「ーー仕方ないだろ、子どもじゃないんだから」


 「……そう、だよね」


 短い言葉だけ返して、愛菜は黙り込む。しんとした空気に、少し離れたところからかすかにクリスマスソングが聞こえてくる。


 「あのさ。『三兎以上追えば一兎くらい得れる』って言葉、知ってる?」


 「……知ってるっていうか、それ僕が言ったやつだろ」


 「あ、覚えてた?やっぱり……」


 何故か嬉しそうに笑う愛菜をよそに、僕はまた苦い顔をになる。その言葉は、僕が愛菜に語って聞かせた持論……というのもおこがましい、言い訳のような言葉だった。


 「あれ、嬉しかったな。習い事嫌だって逃げた私を止めようとしてくれたんでしょ?」


 「別に。ただお前ができるものたくさんあるのに無駄とか言うから腹立っただけだ」


 顔をそむけた僕に愛菜は追求してこなかった。


 「ねえ。あの言葉さ。本当だと思う?」


 「え……?」


 耳元で聞こえた言葉に、振り返ろうとして体が止まった。背中に感じる熱と柔らかさ。肩にかかる僅かな重み。抱きしめられている、と理解した思考が、逃げるように愛菜の言葉に答えようとする。


 「あの言葉、って」


 「三兎以上追えば一兎はくらい得れる。あれ、本当かな」


 「なん、で……?」


 その言葉がどこに向けられたものなのか僕自身にもわからないまま、愛菜が続ける。

 

 「本当だったら、なんで君は今予定もなく独りなんだろう。あんなにいろんなこと頑張ってたのに」


 「そ、れは……」


 ずきりと頭が痛む。愛菜の言ってる言葉がどれを指すのかはわからない。でもこいつは知っている。僕が無様な失敗を重ねて、その度に荒れているのを。


 「私も、色々頑張ったんだよ?でもね、何も得られてないの。今までも、今も。ずっと」


 「っ……しかた、ないだろ!?子どもじゃないんだよ!大人になったら、そんな簡単に行かないんだよ!」


 怒鳴る。叫ぶ。ああ、僕は都合が悪くなるといつもこれだな。


 「……そうだね。たくさん追うほど、どれにも手が回らなくなっていく。どれにも本気じゃないんだなって思われる」


 どきり、と。心臓が、跳ねる。血の気が引くのに、体が熱くなる。


 「あい、な……?」


 「だから、私思うんだけど。兎を何匹追ったとしても。結局得られるのって一匹じゃないかなって」


 言葉の意味を捉えるより先に、視界がぼやけていく。回された腕より、腹のあたりが妙に熱く感じる。


 「ね。だから、そんなに追いかけなくていいんだよ?追いかけちゃだめなんだよ。隣のクラスのあの女とか。君の隣の席のあいつとか。近くに住んでるあいつとか……」


 やめろよ。そんな、僕が振られた相手を並べ立てるのは。辛い気持ちのはずなのに、体も視界もぼんやりしている。


 「ほら、やっぱり、一人だけ追ってた私が、一番早く、しとめた、でしょう?」


 ぐら、と世界が傾いて、つめたくてかたいなにかにぶつかる。世界が白い。


  ああ、そういえばーー


   きょうは、ほわいとくりすます、だったか


     だっていうのに


 なんでこんなに


  せかいは、あかく。

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