第76話 姉貴と登校

 人間不信を克服するという事で、まず公共交通機関を利用して、人間不信を直す事にした姉貴だが。


「おい。朝だぞ」

「……うぇ。……吐きそうや」


 自室を利用せず、姉貴はリビングにあるソファーの上で一晩を過ごした。俺が寝た後でも、姉貴はビールを飲み、親父が持っているホラー映画を見続けていたようだが、10本以上飲んだせいか、二日酔いになっているようだ。


「その映画、小学生のヒロ君が見て、1ヶ月ぐらい、夜中にトイレに行けなくなるキッカケを作った映画だよね~」


 俺が起きる前に、菜摘は俺の家にいて、リビングで、トーストを食べていた。この光景はいつもの事なので、特にツッコむ事は無いし、母親も菜摘の分の朝食を作っているぐらいだ。いつもの朝の光景になっている。


「今日はどうするんだ? 大人しく寝てるのか?」

「……予定通りに行く」


 死人のような顔になっている姉貴だが、ゆっくりと体を起こして、俺たちと一緒に朝食を食べるのかと思ったが、姉貴は、俺が家を出るまで、トイレに籠っていた。




 姉貴の二日酔いがあっても、いつも通りに家を出た。無理せずに、家で休んでいろと言ったが、姉貴は何としてでも、俺らと学校に行くつもりらしい。そこまでして人間不信を直したいのだなと思い、俺は感心した。


「ねえ。どうして、ヒロ君の学校に行きたいの?」

「……そんなん、決まってるやろ。……正義がお利口さんになれる教養をしているのか……知る為や……おぇ……」


 姉貴は、俺たちの学校の先生を信用できないから、謁見するつもりらしい。二日酔いで、今にも吐きそうなぐらい、体調が悪そうな状態で、先生は会ってくれないだろう。


「姉貴、約束しろよな? 学校には絶対に入るな」

「……入るまでせえへんわ。……どんな生徒がいるか分からない所に……命を預けられるかって」


 よくこの人は、大阪で一人暮らしが出来るなと思いながら、俺たちは最寄りの駅、代々木上原に到着し、ここから副都心線の明治神宮前まで乗る。


「正義。駅こそ気を付けんとあかん」


 電車に間に合うように、動いていると言うのに、姉貴は俺の腕を掴んで、足止めした。


「どんな人がいるか分からん駅やで。駅こそ、最も警戒せんとあかん場所や」


 通勤通学の人が慌ただしく歩いている中で、俺たちはそのど真ん中で、立ち止まっている。ものすごく迷惑だろう。


「いいか? もしかすると、冴えない万年ボッチの正義でも、正義に魅力を感じて、ナンパしてくるかもしれへんのや。けど、そう言う奴は、ロクな事はせんから、無視する。辛いかもしれへんけど、心を鬼にするんや」

「弟想いの姉貴なら、無様に遅刻する姿を見たくないだろ? だから早く腕を離せ……っ!」


 強引に振り払って、駅の中を進むが、姉貴は、エスカレーターは恐ろしいとか、自動改札は信用できないとか、ニコニコしている駅員さんは、魔界から遣わした悪の手下など、うるさく言っているが、聞こえないフリをして、何とか駅のホームにやって来た。


「お、恐ろしい所まで来てしまったやんか……」

「恐ろしいのは、姉貴の考え方だ」


 大阪に行く前は、ここまでではなかったはずなのに、大阪に行った後、何があったのだろうか。だが、ここで聞いてしまったら、確実に学校に遅刻なので、俺は電車待ちの行列に並んだ時だった。


「私……あなたを待っていたよ……」


 俺の後ろから声をかけてきたのは、ここ数日で絡んでくるようになった、渡邊だった。


「正義っ! こういう所が、東京の恐ろしい所なんやっ! こんなSNSで踊ってみた動画を投稿しているような女の子が、正義に馴れ馴れしく話しかけてくる事は――」

「菜摘。周りの迷惑だから、姉貴を黙らせてくれないか?」


 菜摘が、姉貴の口を塞いでいる間、どうして渡邊がいるのかを聞いてみることにした。


「どうして渡邊がいるんだ?」

「聞いてよ~。昨日さ、小田原まで寝過ごしちゃったから、駅前のネカフェで一泊して、朝にまた乗ったら、ここまで寝過ごしちゃった」

「家は?」

登戸のぼりと


 登戸は神奈川だった気がする。木村と一緒で、多摩川を毎日越えて、学校に来ているようだ。


「それで、その人がヒロポンのお姉ちゃん? あ、ヒロポンって言うのは、松原君の事で、お近づきの印にそう呼ぶし、松宮さんは、なっつんって呼ぶ。ここまで来るの、めっちゃ暇だったから、色んな人の呼び方を考えていたんだよ」


 こうやって人懐っこくしてくる渡邊だが、これも実は安藤の指示なのではないのかと、今でも疑ってしまう。あらゆることを俺から聞き出して、安藤に情報を売っているのではないかと思ってしまう。


「なっつんは良い?」

「良いと思うよ~。そう呼んでくれるのは、渡邊さんが初めてかな~?」


 菜摘の事を、親しみを込めてあだ名で呼ぶのは、渡邊が初めてだ。そのせいか、菜摘も姉貴の口を塞いでいても、頬が少しだけ緩んでいた。


「ヒロポン。帰って来た姉ちゃんと、一緒に学校に行くなんて、もしかしてシスコンなの?」

「ぐふっ!」


 姉貴と一緒に登校しているせいか、渡邊にそんな勘違いをされてしまった。


「だ、断じて違うからなっ!? これは色々ヤバい姉貴を直すための、訓練の一貫なんだ」

「ヤバヤバって、どんな風に?」

「渡邊。転落防止用のホームドアがあるだろ? どう思う?」

「駆け込み乗車できなくて、邪魔とか? あ、邪魔だからぶっ壊しちゃうとかだ!」


 駆け込み乗車は良くない。そしてホームドアを破壊するのは、立派な犯罪だ。渡邊の事だから、本当にやりかねない。


「姉貴。答えを」

「ホームドアなんて、危険な物を設置したらアカンって!」


 菜摘が姉貴を解放すると、姉貴はリミッターが解除されたように、興奮気味に話し始めた。


「結局動かすのは、人っ! 人だから、まだ乗れていないうちを見落として、急に締めてしまうかもしれんやろっ!? 駅員の気分次第て、勝手に締めてしまうかもしれへんやろっ!? やでホームドアは危ないんやっ!」


 姉貴の人間不信の部分が、はっきりと出た所で、渡邊の反応を見てみた。


「きゃははっ! めっちゃヒロポンの姉ちゃん、面白いっ! そのネタで、動画作ってみるっ!」


 姉貴の話に、お腹を抱えるほど、爆笑出来るのは、渡邊ぐらいだろう。

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