第581話 クロエVS『陸蛸』(五メートル)

 獲物を捕まえた触腕が切り落ちる。


 何故? 見えていないハズだ。


 『陸蛸ガイ・オクトパス』の疑問は最もだった。

 周囲の環境に溶け込む保護色に、低い体温は温度感知にも引っかからない。更に全身を覆う体皮は特殊な不凍液を滲み出す事で魔力の感知さえも遮るのだ。

 しかも、暗闇。月明かりも殆ど無い。間違っても自分を捉えているハズがない。

 『陸蛸ガイ・オクトパス』はクロエがこちらの位置を把握できたのは獲物ナイトウルフを捕まえていたからだと判断。それが無くなった今、自分の姿を捉えることは――


「そっちから来てくれるの?」


 捕まえようと死角から伸ばした触腕を見ずに避け、切り払われた。探るような動きではない。確かに見えている故の剣筋だった。


「…………」


 『陸蛸ガイ・オクトパス』は触腕を丸める様に固めると握り拳を振り下ろす様に叩きつけた。

 クロエは横にステップを踏むように回避。見えないハンマーでも振り下ろされた様に青草が凹み、大地が震動する。


「そんな事も出来るのね」


 避けた先を狙って触腕を伸ばす。しかし、クロエの重心は『陸蛸ガイ・オクトパス』の望み通りには捉えられない。

 タ、タンッ。と次のステップで『陸蛸ガイ・オクトパス』本体へ踏み込んでいた。


 捕まえた。


 残り四つの触腕全てで、懐に飛び込んできたクロエを捕まえ――


「正直ね」


 捕まえたと確信した触腕はクロエの姿を残像を掴むように誤る。

 達人でも捉えきれないクロエのステップと駆け引き。『陸蛸ガイ・オクトパス』では役不足だった。しかし――

 

「―――」


 『陸蛸ガイ・オクトパス』は、ボフッ! と白い煙を身体の下から吐き出した。

 ソレは“白墨”を霧状に吐き出す事で発生させる煙幕。クロエは『陸蛸ガイ・オクトパス』の姿を完全に見失った。


 『陸蛸ガイ・オクトパス』の触腕がクロエへ迫る。捕食――


「本当にアナタたちは純粋ね」


 クロエを捕まえたと触れた瞬間、四つの触腕が切り取んだ。

 彼女は剣を逆手に、ナイフを諸手に持ち、触腕をギリギリまで引きつけると触れた瞬間にその場で回転。触覚に頼った斬撃は確実に敵を切り裂く必中の一閃となったのだ。


 クロエは見えない時・・・・・の対策は常に考えていた。自分の感知を全て潰した際の攻撃は必ず接触するモノになる。故に触覚に全神経を寄せた、確殺のカウンターを常にイメージしていたのだ。


 八つの触覚全てが半分に切り落とされ、近くで跳ねる。

 クロエは“白墨”の中から下がるように飛び出ると、『陸蛸ガイ・オクトパス』の動向に索敵を寄せる。

 “白墨”から出て向かってくるなら踏み込み、頭を切り裂く。すると、


「――ふふ。引き際も肝心よね」


 『陸蛸ガイ・オクトパス』が“白墨”を挟んで林の向こうへ逃亡する様子を感知した。

 勝てない相手とは戦わない。食物連鎖の中に生きる存在として純粋な『陸蛸ガイ・オクトパス』の動向にクロエは追撃はせず、剣とナイフを鞘に仕舞う。






 触腕は切り落ちても筋肉が硬直するように『ナイトウルフ』達に巻き付いたままだったのでナイフを使って外してあげた。

 外すまで『ナイトウルフ』二頭は大人しかったが、自由になった途端に警戒する様に距離を取る。私はナイフを直しながら、


「触腕はアナタ達にあげるわ。それじゃあね」


 伝わるかどうかは分からないが食料を前にこちらを追いかけるメリットは無いハズだ。もう追っては来ないだろう。


 青草地帯を抜け、再び林へと駆け入る。


 戦闘で少し火照った身体がクールダウンしたのか、少し肌寒さを感じるも駆けていれば気にならなくなるだろう。

 風のように木々の間を抜け、眠っている魔物たちの横を駆け、なるべく無音で騒がずに夜の林を駆け抜ける。

 そして、一時間ほど駆けた所で一度停止。改めて『ハイワーン』が索敵範囲に入っていないかを確認する。


「……まだね」


 真っすぐ走ったつもりだが、『陸蛸ガイ・オクトパス』との戦闘で方角が少しズレたようだ。仕方ない。少し速度を落としつつ進んで、最悪林から出て基本道を進む選択も視野に入れておこう。


「……それにしても冷えるわね」


 急に気温が下がった気がする。この辺りの地域は気温差が大きいのだろうか?

 低体温時は熱の維持に普段の倍は体力を使う。念の為、防寒コートの上から外套を重ね着して保温性を上げて――


「…………違う。これは」


 そこで私はようやく気がついた。この寒さは外からではなく、内側から・・・・来ている……と。


 “低温状態(強)”


 私は即座に荷物の中から解法薬を取り出し、飲む。

 一体いつ? どこで……この異常状態を貰った?


 考える限りの状況を思い出す。その中で唯一受けた攻撃は――


「『陸蛸ガイ・オクトパス』が索敵不良になった時のアレね……」


 範囲を覆うように『陸蛸ガイ・オクトパス』の姿を覆い隠したアレは単なる煙では無かったのか。

 この“低温状態(強)”は即効性はなく、この辺りの環境に適応した魔物には通じない。

 もし、この効果を『陸蛸ガイ・オクトパス』が理解しているのならあのタイミングで逃げる行動は取らないハズだ。意図しない付与効果ゆえに、こちらも想定できなかった。


「……まずい」


 内側からの震えと悪寒が強くなる。解法薬を飲んだタイミングは間に合っただろうか? 飲んだ後にも暖を取らなければ温度が下がり続けてしまう。

 低温状態が加速し、急速に意識が朦朧とし始めた。


「せめて……」


 私は何とか木の根元に移動して座ると、ポーチから『太陽石』を取り出す。熱源としては心許ないが……無いよりはマシだ。

 体温低下による心臓の停止だけは何とか阻止しなければ。心臓に近い胸ポケットに入れる。後は――


「気を失ってる間に……襲われない様……祈るしか無いわね……」


 もっと……慎重になるべきだった。私にとって世界は……決して油断してはならない……下手な親切心は……自分を貶めると律してきたのに……


「最近は……環境に恵まれ過ぎてたかしら……」


 熱の次は“寒さ”にやられるとは……ファング様が今の私を見たら……叱咤するだろうなぁ……


「マスター……クロウ……皆……」


 可能な限りギリギリまで意識を繋ぐ。


「ロー……ハン……」


 今、最も側にいて欲しい彼の名前を最後に意識は……夜の森へと吸い込まれて行った……

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