第8話
あんな騒ぎから一週間経った休日。お茶の時間になって、シャロンが嬉しそうに俺の前に何かを置いた。見た感じは薄っぺらい本のようで、表紙はしっかりとした装丁だが、タイトルらしきものは書かれていない。
「セレスティン、とってもいい話が来たよ」
ウキウキしている。
その表現がピッタリな感じでシャロンが口を開いた。でも反対にアランはしかめっ面だ。これはなんだろうと思いつつ、シャロンに促されるままにそれを手に取り開いてみた……
「え?……なに、これ?」
開いてみると、それは本とかではなく、胸から上の人物の写真と、その人物のプロフィールらしきものが書かれていた。
「…………は?」
俺はたっぷりと時間をかけて、それからアランとシャロンの顔を見た。かかれていたプロフィールなんざよまなくても、この間たっぷりと時間をかけて聞いている。顔だってほぼ半日ほど見ていたから覚えている。初対面の印象が最悪すぎて閻魔大王かと思ったほどだが、話をしてみて、それが単なるいきすぎたブラコンであると理解した。
のに?
なぜ?
「ね?すっごいいい話だろ?」
シャロンのテンションが物凄く高い。
「これ、なに?」
いや、わかってるけどな。前世の知識で知ってはいるけどな。この世界に生を受けたセレスティンはまだ六歳。この手の知識は与えられてはいないのだ。
「これはねぇ、釣書って言うんだ」
ほうほう、ようやく核心をついてきましたな。
だがしかし、セレスティンには釣書なんて知識はありませんよ。
「つりしょ……って?」
俺はゆっくりと聞き返した。落語のお題じゃないけどさ、『いい話』『釣書』とくればわかるでしょ?なんて、わかるわけがない。いや、わかってるけど、わかりたくはない。だって、セレスティンはまだ六歳だ。わかるはずがない。きちんとした説明を求める。
「うん、もう。そう言うところがかわいいよね。セレスティンは……これはね、世間一般で言うところのお見合い写真ってやつだよ」
ああ、シャロンがハッキリきっぱりと言ってしまった。アランがうなだれている。そんなアランとは正反対にシャロンが生き生きとしているではないか。
そんな二人を見て、俺は顔が引きつった。
これは、アレだ。
あの日立ててしまったフラグが回収されてしまったのだ。
家格が上の家から申し込まれたら、断ることはできない。
さて、どうしたものだろうか?
俺はしばし考えた。
シャロンはニコニコしているし、アランはうなだれ気味だ。しかし、本当に公爵家から見合いの打診が来るとは思わなかった。あんな最悪な初対面だったのに。しかもジークフリートは極度のブラコンなのに、なぜだ?俺はゆっくりと記憶を呼び覚ました、確かアルトは言っていた。『まだ婚約者がいない』って、それが兄であるジークフリートが決まっていないが為に、自分は後回しにされているのだと。
「俺は、女の子と結婚がしたい」
ブラコンのために婚約者になるとか、冗談ではないし、男に抱かれるとか論外だし、まして子どもを産むとか絶対に無理だ。
「セレスティン、またそんなことを言って。俺たちを困らせないで」
シャロンはそう言って俺のそばにやってきた。そうして腰を屈めて俺に優しく語りかけた。
「ねぇセレスティン、これはとても光栄なことなんだよ?この国で二つしかない公爵家に嫁げるの。今はまだお互い子どもだけど、十年後セレスティンが16になって成人した時、ジークフリートくんは二十三歳だ。きっと立派なな青年になっている。誰よりもお似合いの二人になるよ。だって、セレスティンは俺にそっくりなんだから」
ものすごい説得のような脅しと、最後は自画自賛な言葉で締めくくられて、俺には反論などできないのだと悟った。午後にはお見合いのためのお迎えの馬車が来るからと、俺は風呂に入れられて、丁寧に肌や髪のお手入れをされてしまった。六歳なのに。
いつの間に用意していたのか、この間のよりも上等な布で作られたシャツにはフリルが付いていて、胸元にはタイもあしらわれていた。そしてジークフリートを意識しているのか、カフスの色が緑色だった。
ハスヴェル公爵家からの迎えの馬車に、俺たち三人は乗り込み、ほとんど無言のまま向かったのだった。
――――――――――――――――――
「ジークフリート・ハスヴェルだ。今日は来てくれて嬉しく思う」
停車場まで迎えに来てくれたジークフリートは、馬車から降りる俺に手を差し出しエスコートしてくれた。さすがは未来の公爵様なだけはある。未成年だけど、正装にも似た服装で、まるで王子様のようだった。
俺はジークフリートに手を引かれて、そのままお見合いの席らしい庭に連れていかれた。アランとシャロンは出迎えてくれた公爵夫夫とともに、屋敷の中に消えいった。
「こっちだ」
ジークフリートは俺の手をとったまま、ゆっくりと歩いてくれた。俺がまだ六歳で、だいぶ身長差があるのも原因だろう。
この間来たのとは違う庭だった。噴水があって、何かの形に刈り取られた木々がたくさんはえていた。前世の記憶からいうと、イギリス式の庭園に近いかもしれない。
だいぶ歩いた先に東屋のようなものがあり、そこに用意された席に案内された。ジークフリートと向かい合わせで席につくと、スーツのような服装の、執事みたいな男の人がやってきて、丁寧な所作でお茶を入れてくれた。出されたケーキはこの間の店のもののようで、使われているフルーツの種類が変わっていた。
「このあいだ、とても気に入ってくれたようなので、今日も用意してみた」
そう言うジークフリートの顔は少し緊張しているようだった。反対に俺は笑うことを放棄して、仏頂面なんだけどな。だけど食べ物に罪はないので美味しくいただくことにした。
ケーキを食べている間、俺は無言を貫いた。なんだか話をしたら負けな気がしたからだ。お茶を淹れてくれている男の人は、ジークフリート専属の侍従なんだそうだ。基本は年中無休でジークフリートに付き従っているそうだ。ブラック過ぎる。
「庭を案内させてくれ」
ジークフリートに言われて席をたつ。
これは前世で言うところの『あとはお若いお二人で』と言うところなのだろう。初めから二人だけどな。貴族の専属侍従はいないものとするのが当たり前なんだろう?案の定付いてこないし。
俺は一瞬だけ後ろを振り返ると、あとはジークフリートに促されるままに歩いた。もう、断れないことぐらいわかっているので、完全に諦めている。あとは、なんとかその、手をつなぐ以上の行為をどうやって拒否するかを考えている。さすがにまだ俺は六歳、相手は十三歳では最後の最後の子作り行為はまだ先だろう。俺まだ精通してないし。
あるとすればキスだろう。
想像しただけで吐き気がするんだけどな。
確かに、ジークフリートは整った顔立ちで、前世の知識で言えば魔法学校を舞台にした映画に出てきた寮の先輩みたいな、そんな感じの年上のお兄さん的格好良さはある。シャロンの言う通り、成長すれば相当なイケメンになるだろう。
ただ、俺は前世は完全なノンケだった。よく覚えてはいないけれど、だんだん記憶が薄れてはきているのもあるのだが、結婚して子どももいた。死因はもう忘れた。孫の顔は見たと思う。だんだんこの世界に染まりつつはあるものの、やっぱり前世の記憶として強固にあることは、『女の子が好きだ』と言うことだ。
「怒っているのか?」
ジークフリートが庭について説明したり、花の解説をしているのに、終始無言を貫き通す俺をようやく不審に思ったらしく、ようやくそんなことを聞いてきた。
もちろん俺は怒っている。ただ、ジークフリートに怒っているのではなく、この理不尽な現状に怒っているのだ。俺の力ではどうにもならなくて、わがままを言っても通用しない。前世で言うところのガソリン代が値上がりするらしいよ。じゃあ不買運動だ。でも結局はガソリン入れないと通勤できないから値上がりした値段で給油しちゃう。みたいな?
いやだ。って思ってても受け入れなくてはいけない。そんな状態だ。
「いやだ」
俺はポツリと本音をこぼした。
それを聞いてジークフリートの足が止まった。
「……それは、どう言った意味だろう」
ジークフリートが真面目な顔で聞いてきた。繋いだ手はそのままに。
「俺は、女の子とけっこんしたいんだ」
振り絞るようにそう言うと、ジークフリートは困ったように眉根を寄せた。
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