幕間 苦悩のジルベルト

 幼い頃、戦争で勝ち続ける父が誇りだった。

 誰も彼もが常に父を誉めそやし称えていたのをよく覚えている。


 しかし、戦火が佳境に迫る最中、母を失った。

 原因は戦争とは関係のない病。


 うつってはいけないからと、母の病が分かってからはあまり会わせてもらえなかった。

 それでも会いたかった私はこっそりと忍び込んだものだが、弱った母が誰に言うでもなくポツリと呟いた言葉が、今もはっきりと耳に残っている。


「……あの人は怪我していないかしら」


 あの頃よりずっと大人に近づいた今思い返すと、きっと母は父に会いたかったのだと思う。

 けれど、子どもの私は母の心を占める父に嫉妬した。


 もちろん、私が居ることに気づいていなかったから、たまたま父の心配をしたのかもしれない。

 あれほど優しかった母が私に興味がなかったとは考えられないからだ。


 ただ、母が亡くなってから当然のように勝って戻って来た父に、私は喪失感から怒りをぶつけた。

 父は私の怒りを受け止めてくれ、次第に心の痛みも治まったけれど、気づけば父は変わってしまっていた。


 私と居る時は多少は笑うものの、他の者の前ではほとんど笑みを見せなくなったのだ。

 やがて、戦争は私とルーナリア王女の婚約をもって終わりを迎えた訳だが、戦後も父は自ら剣を振るうことを止めなかった。

 

 反乱の鎮圧や賊退治である。

 わざわざ皇帝が出て行く必要がないことは、子ども心にも分かった。


 たぶん、戦争中は敵にぶつけていた怒りを、賊にぶつけていたのだと思う。

 けれど、あの頃はそんな風には思いも寄らなかったし、学院に入り少し距離が出来たこともあり、父の賊退治を私が止める機会は失われてしまった。


 その賊退治で父が落馬して気を失った。

 武神である父が。


 にわかには信じられない話だ。

 戦争で無敗の父がたかが賊相手に手傷を負われるなど……。


 実際には流石と言うべきか、無傷だったものの、気を失われたことは事実だった。

 別にそれで父の武名に傷がつくとか、そんなことは無かったが、目を覚ました父に私は違和感を覚えた。


 自分でも馬鹿げたことだと分かってはいるけれど、どことなく雰囲気が違う気がする……。

 私は信頼する無二の友に相談したところ、彼は父親であるリオット=コンクノン卿譲りの頭脳で助言をくれた。


「殿下、人は死を肌で感じると変わるといいます。恐れながら、もしかすると陛下ほどのお方でも……」

「なるほど……いや、言いにくいことを聞いたな。許してくれ」


 彼はともすれば不敬罪に問われかねない考えを口にした。

 聞きようによっては、皇帝が賊との戦いで死を感じたと言ったのだから。


「はは、ここだけの話にして下さると分かっておりますので。ですが、さすがに陛下のこととなると殿下も平静ではいられませんか」

「茶化すなよ。でも、ありがとう」


 そう、互いに信頼関係があるからこそ、彼も思い切った内容でも話してくれたのだ。

 そして、そのおかげで私の心が少し軽くなった。


 思い当たる節はある。

 母が亡くなった時も父は変わった。


 仮に父が自分の死を感じたのだとすれば納得だ。

 けれど、父は皇帝、それも帝国を象徴する武神である。


 どう聞いたものかも分からないが、尋ねたところで私にもそうそう話して下さる事では無いだろう。

 学院に入ってからも自分のことばかりにかまけず、もっと父上の側に居て差し上げればあるいは……。


 と、何度悩んだだろうか。

 助言を受けてしばらく経ったが、私は父上に対し何も行動に出られずにいた。


「無理もないか……今から私がしようとしていることを思えば、父上に深い話など出来るはずがない」

「殿下、どうかされましたか?」


 気がつくと想いを寄せ合う少女、レイカがブルーの目を輝かせ私を見上げている。

 そうだ、まずは彼女との未来を掴まないと。


「いや、なんでもないよ。そろそろかな?」

「はい、殿下。参りましょう」


 私はレイカと手を取り合い学院の廊下を進む。

 私はこれから婚約者である王女ルーナリア=オルブリューテを糾弾し婚約を解消するのだ。


 人々が集まる広間に入ると壇上に座る父が見えた。

 その手前には、凛とした姿勢で挨拶に応じるルーナリア王女が居る。


 私が近づくと群衆の輪が解け、最後には私とレイカ、そしてルーナリアだけが残った。

 彼女はいつものようにレイカを責めるが、今日は私も庇うだけではない。


 私は悲しみを隠しきれぬレイカに笑顔を取り戻すべく、二人の将来を掴むべく、ルーナリアを糾弾した。

 それは、自分自身でも稚拙だと感じてしまう論理。


 しかし、完璧な彼女を叩くには仕方がないことだった。

 ただ、皇太子である私がこうすれば帝国としても後戻りはできない、そういう打算はちゃんとある。


 ルーナリアが粘ることも分かっていたし、こうしていれば決め手にかける私を見かね、宰相のリオット=コンクノン卿が間に入ってくれると考えていた。

 一つ、私の想定と違ったのは、出てきたのがリオットでなく父上だったことだ。


 そして、事態は私の想像の斜め上へと向かっていくこととなる。

 なんと、あの父上が、つい先ほどまで、厳密には今も私の婚約者であるはずのルーナリアに求婚したのだ。


「ルーナリア王女、余の妃になってはくれまいか?」

「……ぇ…………えっ!?」


 求婚されたルーナリアもあからさまに動揺していたが、私も理解が全く追いついていかない。

 いったい、何が起こっているんだ!?


「ち、ち、父上っ、どういうことですか!?」

「ジルベルト、お前は黙っていろ。彼女はもうお前の婚約者ではない」


「それは、そう、ですが……父上は亡き母上を偲びずっと貞節を守っておいでだったではありませんか」

「もちろん、クローディアには不憫なことをしたと今も思う。が、お前に言われることではない。それともう一度だけ言う。邪魔をするな」


 暴走する感情のまま父上に問いかけたところ、父はとりつく島もなく彼女に向き合ってしまった。

 この冷たい反応……いつもの父上ではない。


 いや、ただ怒っておられるだけかもしれないが、この事態を引き起こしたのは私だ。

 甘んじて受け止めなければ……。


 いずれにせよ、皇帝として公務をするべく父上はここに居られる。

 なるほど……いや、確かに王国との関係を完全に壊す訳にはいかないか。


 そう考えると悪い話ではなさそうだし、王国も恐らくは飲むだろう。

 それに、驚きはしたが、父上が再婚すること自体も良い事だと思う。


 だけど、その相手がまさか彼女だなんて……。

 この気持ちは……なんだ?

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