第59話 馬の背に揺られて

 俺とルーナリアは愛馬に乗り戦場を離れた。

 横座りで俺に寄りかかる彼女が顔を上げて話しかける。


「陛下、彼らをあそこに残して大丈夫でしょうか」

「少しくらいなら問題ないだろ」


「少し、ですか?」

「あぁ。ほら、見えた。あいつらに迎えに行かせるつもりだ」


 俺の視線の先には一緒にやって来て待たせていたリオット派の貴族と部下が居る。

 俺たちの姿を見て彼らも馬に乗り駆け寄って来た。


「皇帝陛下、皇后陛下、ご無事でなによりでございました!」

「あぁ、お前たちもよく待ってくれたな」


 彼らは労いに頭を下げて応えた。

 命令とはいえ、主君を一人戦場に送った彼らの心境は察するに余るものがある。


「では陛下、帝都まで我々が護衛致します」

「いや、お前らにはやってもらいたいことがある」


「は……何でしょうか?」

「ルーナリアと共に連れ去られた学生たちが向こうに残っていてな。そこに罪人が一人居る。お前たちは学院の生徒を護衛しつつ、罪人を帝都まで連れて来てくれ」


 事前の情報と違い過ぎる俺の説明に、彼は怪訝な顔をして首を傾げた。

 無理もないことではあったけれど、ありがたいことに彼は深くは聞かずに了承する。


「陛下のご命令とあらば。罪人は一人なのですね?」

「ああ、他にも目に入るとは思うが、歯向かって来ない限り手は出すな」


「かしこまりました。では護衛は何騎付けましょうか?」

「悪いが二人で行きたい。それに、生徒たちや罪人の護送に差し障っては困る」


 俺の要望に彼は困ったように苦笑いした。

 が、軍人だからか俺の力を信じているからか、これまで同様無駄に食い下がりはしないらしい。


「かしこまりました。では陛下、皇后陛下、我々はこれで」

「悪いな」


 騎乗で礼を取り隊列を組み駆けて行くのを見送ってから気づく。

 ……俺、武器何も持ってねぇ。


 呼び止めて剣でも借りた方がいいか。

 俺が声を張ろうとしたその時、ルーナリアが俺を見上げて言う。


「陛下、そろそろ参りませんか?」

「あー……そう、したいんだが」


「どうかなさったのですか?」

「武器が何も無い。襲撃されたら反撃出来ないと思ってな」


「まぁ、陛下ったら。ここは帝都からさほど離れては居ないと存じます。陛下の御威光が強くかかる地域ですし、街道に賊は居ないでしょう」

「それもそうか」


 おかしそうに笑うルーナリアの背中に回した右手を支え直し、もう片方の手で手綱を握った俺は馬を進ませた。

 すると、彼女は頭を戻して視線を俺から外し尋ねる。


「あの、先ほどの話なのですが、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「構わないが、先ほどの話というと?」


「先の皇后さまで在られたクローディア様のことです」

「あぁ……もちろんだ。ちゃんと、話さないとな」


 正直、本音で話せない話なので、あまりしたくはない。

 でも、彼女が気にしてしまう理由は分かる。


 俺になる前の皇帝がそれだけ前の皇后を愛していたからだ。

 だから、出来るだけ俺の言葉で嘘にならないように、彼女に理解して貰えるように伝えないと。


「陛下が私を想って下さる心に偽りがない事は分かっておりますが、陛下のお心にクローディア様もいらっしゃることも分かっています」

「そうか……」


 残念ながらそこを否定してあげるだけの根拠が俺にはない。

 俺がどれだけ違うと言っても誰も信じはしないだろう。


「だから、愛を伝えてくださりながらも身体をお求めにならないのは、クローディア様への想いが気になってのことだと考えておりました」

「それは、ちょっと違う……かな。俺もルーナリアがそんな風に俺のことを想ってくれてるって思わなかったから」


「えっと……どうしてですか?」

「いや、だって前に子どもは持たなくてもいいって言ってただろう?」


 俺は彼女とのすれ違いの発端となった時のことを尋ねた。

 すると、彼女はしばし記憶を遡り、やがてようやく思い当たった風に口にする。


「……あぁ、あれは陛下の持たれていたお考えを踏襲し尊重して申し上げたのです。私は戦争をした王国から嫁ぐ身でしたから、その私が争いの種を生じさせるのもどうかとも考えまして」

「つまり……俺に異性として惹かれないとかではなく?」


「もちろんです。そもそも、惹かれようが惹かれなかろうが、婚姻すれば子を為すのが責務と教えられてきましたから。帝国では違うのですか?」

「いや、そんなことはない。そうか、俺の勘違いか……」


 仔細が明らかになっていきホッとする反面、彼女に不要な心労をかけたことが悔やまれる。

 少ししんみりとした気分で馬に揺られる俺に、彼女は俯いたまま声をかけた。


「あの、陛下?」

「うん?」


「では陛下は、私が陛下のことを、その……異性として気にしていないとお考えだったのですか?」

「まぁ……そうだな。皇后になるから、皇后だから、皇帝である俺に気遣ってくれているんだと思ってた」


「その上、私に子を持つつもりがないとお思いになられていたのですね」

「そうだ。決してクローディアに遠慮してではない」


 記録や伝聞でしか知らない前妻について、俺はこれ以上深く語ることは出来ない。

 これでルーナリアが納得してくれればいいんだが……。


「では、陛下はその、私と子を持つことについてはその……どうお考えなのでしょうか。一応、お薬は用意してあるのですが……」

「えっ、あっ、それか……」


 俯いたままのルーナリアからあった問いかけは、想定外ではあったものの、的外れなものではなかった。

 急なことで俺も面食らってはしまったが、恥ずかしさを押し殺して聞いてくれたのだから、ちゃんと答えないといけないだろう。


「いつかは、持てたらいいと考えている。だが、薬を使うことは反対だ。君の身体に負担をかけたくない」

「それはつまり、殿下に帝位を譲られてから、ということでしょうか?」


 ルーナリアは切れる頭で推測を弾き出した。

 しかし、当の俺にはそんな国政を念頭に置いた真っ当な答えはない。


「あー……ひとまず、ルーナリアが学院を出るまでは、そういうことを控えようと考えていた」

「そんなに早く譲位なさるおつもりなのですか!?」


「いやっ、そういう訳ではないが……一応、今時の帝国の者は学院を出てから婚姻するだろう?」

「あぁ、そういう意味でしたか。早合点してしまい申し訳ございません」


「いやいや、別にいいんだ」

「では、陛下が情を交わそうとされなかったのは、私たちの間にあった認識の違いを除けば、風潮や世間体を気にされただけなのですか?」


「あぁ、そういうことになる。勝手で申し訳ないとは思うけれど、誤解が解けても今はまだその考えを改めるつもりはない」


 彼女が何を聞きたいのか真意が分からず、俺は自分の意思を伝えた。

 すると、彼女はふーっと細く息を吐いてお腹に力を入れて尋ねる。


「陛下、何度も同じことを聞いてすみません。くどい面倒な女だと思わないでくださいね。陛下は本当に私のことを——」

「愛している。本気だ。心の底から愛している」


 ルーナリアの言葉を遮り答えると、彼女の顔が上がり目が合った。

 その白い頬は赤く染まっていて、口元は嬉しそうにむずむずと歪む。


「私も、愛しています。思えばあの日……皆の前でプロポーズして頂いた時から、私の心は陛下に傾いておりました」


 彼女が言うのは俺が初めて会った時、ジルベルト君が彼女を捨てた後のこと。

 打算ありありの行動だったけれど、彼女の心に響いたのなら何時かは俺にも良い思い出になりそうだ。


 彼女はキラキラと輝く神秘的な桃色の目でしばらく俺を見つめると、そっと瞳を閉じて顎を軽く押し上げた。

 さすがの俺でも、この流れで読み間違える程アホではない。


 俺は手綱を引いて馬を止め彼女の唇に顔を落とした。

 すると、彼女の腕が俺の頭に回り、キスが深いものへと変わる。


 身を硬くしつつも愛が本物だと伝えるように俺は応じた。

 心が繋がったこともあってか今までになく熱く感じる。


 熱で脳が蕩けそうに感じ出した頃、彼女はようやく唇を解放した。

 ただ、彼女と距離が取れてもなお、俺は煌めく瞳に囚われたまま。


 俺は今どんな顔をしているのだろうか、分からないが彼女は満足気な笑みを浮かべている。

 その彼女は視線を絡めつつ口元に手をやると、艶やかな唇を開いて告げた。


「じゃあ、私は私で陛下を誘惑します。愛し合っている夫婦なのですし、構いませんよね?」


 別に承諾は要らないと言わんばかりの宣言は、目と耳から身体中を駆け巡った桃色の衝撃と相成って、どこか脅迫めいてすら感じられた。

 驚きのあまり声も出ない俺に代り、笑顔のルーナリアが右手でポンと馬の首筋を叩くと、俺の指示で止まっていた愛馬が再び歩き始める。


 それは、まるでこれからの二人の人生を暗示しているようだった。

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