第57話 戦いの余波
「陛下、痛む所はございませんか?」
しばらくして身体を離した彼女が心配そうに尋ねる。
言われて考えてみたが、特に気になる箇所はない。
「鎧を着ていたからな。大丈夫だ」
「ですが、こんなに傷が……申し訳ありません」
「何を言うんだ。君が攫われたのは俺の責任だ、謝ることはない。俺が謝らないといけないくらいだ」
「いえっ、陛下は何も悪くありません。私が不用意過ぎたのです。それに、謝りたいのは無茶なお願いをしてしまったことです……」
無茶なお願いというと、出来れば学生たちを手にかけないでくれ、というお願いのことだろう。
彼女は目を伏せ口元を引き絞りながらも続けた。
「愚かにもお願いする前は敵の数も把握していなかったのです。丘の上に戻り改めて戦場を見た時には、なんて身勝手なお願いをしてしまったのだと後悔致しました」
「なんだ、てっきり俺の勝利を確信して頼んでくれたのかと思ったよ」
俺がお道化た風に言うと、ルーナリアは少し頬を緩ませた。
思い返すと彼女は俺が来たことにも驚いていたし、きっと頭にあったのは如何にして逃げるか、それだけだったのだろう。
登場に驚かせたのも、元はと言えば俺のせいだ。
二人の間の誤解を解くべく、どう切り出すかを考える俺に彼女は返事をする。
「もちろん、約束して下さりましたから信じておりました。ですが、私は戦場を見るのも初めてで、たった一人でいらっしゃる姿に心がおかしくなりそうだったのです」
「そうか……心配をかけたな」
「はい、すごく心配でした。でも……」
「でも?」
「……ちょっと、嬉しかったんです。陛下が、私のために戦ってくださるのが」
彼女は緩みそうになる口元を困ったように抑えつつ、憂いを湛えた桃色の目で俺を見て告げた。
彼女は泣き笑いのような顔で、俺に返事をさせないまま再び口を開く。
「おかしいですよね。陛下にもしもの事があるかもしれないのに、人が傷ついたり亡くなったりしているのに……私は……」
彼女はそう言って俯くと、俺の鎧から白い学生服に付いた返り血を隠すように身体の前で手を組んだ。
目の前に居るのに彼女がどこかへ行ってしまうような不安に駆られ、俺は一歩を踏み出し抱きしめる。
「陛下?」
「おかしくなんてない。その……俺はルーナリアが好きなんだが……ルーナリアも、俺のことを……その……」
彼女も同じような気持ちを抱いてくれていると、頭では分かっても、心がそんな訳ないと否定して最後まで言わせてくれない。
それでも、ルーナリアは察したように問いかける。
「ぁ……もしかして……ですが、カサンドラ大司教がお話に……?」
「えっと……うん、そんなとこだ……」
「キャシーったら……誰にも言わないって約束したのに……!」
「つまり、本当に?」
腕の中で憤慨したルーナリアは俺の確認に身を硬くした。
だが、彼女は意を決したように顔を上げると、俺の目を見て言う。
「私も、陛下の事をお慕いしております。本当に最初は、国のための婚姻と考えておりましたが、陛下のお心に触れるうちに……はい」
「おぉぅ……」
「そ、それはどういう反応なのですか……」
「いや……俺の事は皇帝として大事に想ってくれてると感じていたから。その、嬉しいよ」
俺はこれで一先ず共通の認識が持てたと安堵したが、彼女は浮かんだ笑顔をすぐに消し表情を曇らせた。
彼女は俺が忘れていた理由を口にする。
「で、でも、陛下はクローディア様のことをまだ——」
「その話はまた後にしよう。俺が言いたいのは、ルーナリアはおかしくないってこと」
さすがにこれ以上話していては長くなるし、場所が場所で時が時だ。
彼女も察して話を戻してくれる。
「私が……陛下をお慕いしているから、その陛下が助けに来てくれて、ですか?」
「あぁ、そういう話はよくあるだろ?」
恋愛小説を嗜む彼女に問いかけると、彼女は苦笑しつつ首を横に振る。
「それはお話だからです。実際に目の当たりにすれば、そんなに綺麗な場面ではありませんでした。なのに私は……」
「そうか……だが、そう思えることこそ正常の証じゃないかな」
いくら胸が高鳴るシチュエーションでも、敵とは言っても人が死ぬ。
なまじ敵に母国の者が多かったことで、余計に彼女は複雑な想いを抱いてしまったんだと思う。
というか、彼女が自分の為に俺が人を殺すのを見て愉悦を覚える人間な訳がない。
俺は悩む彼女に違う角度から尋ねることにした。
「俺があの男を殺すと言ったら?」
「理由はなんですか?」
いきなりな質問にも、ルーナリアは冷静に俺に聞き返した。
一方で、生徒たちに猿轡まで噛まされ放心状態だった男は、急に自らの命がかかった問いかけに反応してこちらを見る。
「奴は誘拐の片棒を担いだ。どうせ死刑だ」
「なら陛下がここで裁かれても構わないと思いますが」
「では、腹いせに奴を死ぬまで甚振ると言えば?」
男も死罪までは分かっていたのだろう、先ほどまでは大人しくしていたのに、俺の言葉を聞いて懇願するようにルーナリアへ必死に視線を送っている。
「……陛下のそのような姿は見たくありません」
「あの男に同情したか?」
「いえ、違います。ただ、陛下にそのようなことをして欲しく……そういうことですか」
「あぁ、君は異常者じゃない。大丈夫、初めて戦場を見て驚いただけだ」
「……ありがとうございます、陛下」
「また不安になったら言ってくれ。いつも力になれるかは分からないけど、望むだけ君の側に居るから」
俺がそう言って手を差し伸べると、はにかんだ彼女は組んだ手を解き俺の手を取った。
そして、すっかり憂いの消えた顔で言う。
「はい。約束ですからね」
「あぁ、約束だ」
こうして結んだ約束は、俺と彼女の距離をまた一歩近づけてくれた気がするし、なんだかこの一歩は今までになく大きな一歩に感じた。
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