第42話 結婚にまつわるお金

 マルケウスが帰った後、俺は溜まっていた書類に取り掛かった。

 しばらく帝都を離れていたこともあり、その量は午前中ではとても片付かず、昼食を終えてもまた執務室に戻るしかなかった。


 ぶっちゃけ種類に不備があったことは一度もないから、確認せず署名しても恐らくは問題ないと思う。

 今回だけはそれでいくか……。


 そんな邪な考えがチラつきだしたところ、タイミングよく宰相のリオットが俺を尋ねてやって来た。

 まさかとは思うが、俺のことも監視してるんじゃないだろうな?


「ふむ……あまり減っておりませんね」

「量が量だからな、そう見えるだけだ」


 書類の山を築き上げた本人と挨拶代わりの軽い殴り合いをし、俺は一度手を止めて紅茶の入ったカップを手に奴の方を向く。

 紅茶はすっかり冷めてしまっているが、口から鼻に抜ける爽やかな香りが気持ちを和らげてくれる。


「私のためにお手を止めて頂き申し訳ありません」

「うるさい。嫌味を言うために来たのか?」


「いえ、それほど私は暇ではありませんので」

「じゃあ、さっさと本題に入れ」


 今日は頭が疲れているせいか、返す言葉から遠慮が欠けがちだ。

 それにしても、リオットはどことなくいつもより楽しそうに見えるが、何かいいことでもあったのだろうか。


「では、ご報告を。王国から皇后陛下の結納品が届いております」

「あぁ……婚約と結婚まで間がなかったからな」


「はい。礼まではせずともよいかと思いますが、今後を見据え陛下個人から国王への書状をしたためて頂いた方がよろしいかと」

「分かった。なるべく早く用意しよう」


 手紙を書くのは苦手な方だが、これも皇帝の仕事だろう。

 書式とかは昔の手紙を漁ればいいとして、問題はどれくらいの距離感で書くかだよな。


 俺は彼のことをオルランレーユ王国の国王、名をエルドレイ=オルブリューテ、そして娘であるルーナリアのことを大事にしていた、ということくらいしか知らない。

 まぁ、一気に距離を詰めるのはおかしいか。


 内容は硬めでいくとして……そうだ、ルーナリアに伝えて一緒に手紙を添えて貰うのもいいかもしれない。

 彼女なら父親だしカジュアルな文章を書いてくれるはず、それで釣り合いが取れるし、なにより娘からの手紙は嬉しいだろうし調度よさそうだ。


「次に、結婚に際しての帝国民からの祝い金ですが、帝都の反応を見るにかなりの額が見込めるかと」

「そういえば、昨日はなかなかの盛り上がりだったな」


「朝から商会の者たちがこぞってお祝いを献上に参っておりますが、その者たちが言うには今もなおその熱は消えやらぬようですよ」

「そんなにか……少し照れるな」


 思わず俺が口元を緩ませて言うと、リオットは若干顔を引きつらせて冷めた目で俺を見た。

 思わず俺も一瞬で真顔に戻ったが、なんて顔で主君を見るんだこいつは……。


「……まぁ、陛下が民に人気があるのは否定致しませんが、あの熱狂にはやはり皇后陛下の影響が大きいかと」

「それくらい俺も分かっている」


「いえ、それが今朝がた皇后陛下の馬車を見かけた商会の者の話では、学院に参られる皇后様を見た者たちがこぞって歓声と祝福の声を投げかけたとか」

「ほぅ、いいことだな」


 ルーナリアが帝国民に受け入れられている証のようなものだ。

 俺の言葉にリオットも素直に頷き続ける。


「ええ、良い兆候です。中には酒が入り夜通し騒いでいた者も居たでしょうが、皇后様のために私が世論を操作する手間は省けそうです」

「……そうだな」


 なんとなく、彼がジルベルトのために人を放って印象をよくしようとしている臭いがしたが、俺はあえて尋ねはしなかった。

 わざわざ自分から藪をつついて蛇を出すようなことはしたくない。


「話は戻りますが、都にはお祭り気分がまだまだ残っております。税を課すなら今でしょう」

「……税?」


 リオットが差し出す一枚の書類を受け取ると、そこには結婚祝いの税を課す命令が記されていた。

 お祝いってこっちから要求すんのかよ……。


「今すぐ署名して頂けると助かります。早い方が多く集まるでしょうから」


 彼はそう言って急かしてくるが、俺は何とも言えずに命令書を眺め続けた。

 いつも通り書類にはどこにも不備がない。


 にしても、そういやそんな税もあったか。

 というか、君主の匙加減だもんな、この時代の税金って……。


「……陛下?」

「いや……どう……だろうな?」


「どう、とは?」

「どう……というか、なんというか……」


 要領を得ない返答しかしない俺に、リオットの顔からどんどん表情が消えていく。

 俺は慌てて理由を考え、考えた端から少しずつ口にしていくことにした。


「金が、要るのか?」

「要ります。借金もまだまだありますから」


 そりゃそうだ。

 ルーナリアのおかげというか、彼女のお父さんのおかげというか、王国への利子は無くとも借金があるのは王国だけではない。


 というか、金なんていくらあってもいいだろう。

 だが、民と言ってもゲームのような数字じゃない。


 必要以上に毟り取るのも違う気がするし、あれだけ二人の結婚を喜んでくれた人たちに税として要求するのは、やっぱり気が引けた。


「この結婚は、帝国と王国の平和のためのものだ」

「はぁ……」


 今さら何をそんな分かり切ったことを、とでも言いたげな顔でリオットは生返事をした。

 何とかしてこの男を説得しないと……俺は必死に脳に酸素を送る。


「民がどれだけこの同盟を待ち望んでいたか。俺は帝国と王国の民に触れ知った」

「まさか陛下、民への慈悲として課税せぬと仰せなのですか?」


 そんな理由では許さんと言わんばかりの語気で、彼は先回りして言い放つ。

 だが、俺も実利が何も伴わない理由で彼が納得するとは思っていない。


「慈悲ではない。商会の連中がこぞって祝いの品を持って来たように、これからは帝国王国間で人の行き来はもっと活発になる」

「ええ。彼らはそれで利を得ます。だからこそ、すぐに同盟を破らぬよう牽制する意味も籠めて贈り物を持って来ているのです」


「何も利を得るのは商人だけではない」

「確かに関税は増えるでしょうが、この税を課してもそこに影響は出ないと思いますが」


 たぶん、この世界にはまだ近代的な効率のいい課税はない。

 俺にそれを敷く能力があればそれだけで解決しただろうが、無い物を惜しんでも無駄だ。


 俺は具体的な解決策を提示することは諦め、ふわっとしたイメージで語る。


「民が活気づき経済が発展すれば国が強くなる」

「……確かに民が金を持てば人も増えやすくはなるでしょうが」


「そうだ。一時の金も大事だが、国を大きくすることはもっと大事だ。人は金で買えぬからな。それに、俺は喜ぶ民に水を差すような真似はしなくない」

「なるほど。まさか陛下からそのような大きなお考えを戴くことになるとは、失礼ながら思いも寄りませんでした」


 リオットは理解を示してくれたが、言われて気づいた。

 一連の発言は脳筋皇帝らしくなかったのではないだろうか……。


 心の中で冷や汗がたらりと流れる。

 俺が物言えず静かに待っていると、彼は頭を下げて言う。


「そういうことでしたら、この税は課さぬことに致しましょう」


 彼はそう言うと命令書を手に取り破り捨てた。

 今回は大丈夫だったみたいだが、これからはもっと気をつけないとな……。

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