第21話 洗濯物の理由

「おぉ、中はもう暗いな」

 ルーナリアの侍女が洗濯物を持って帰った後、俺は一度用を足しに出て戻って来た。


 先程はまだ夕焼けの西日があったから馬車の中もある程度見えていたが、日がほとんど落ちて光が入らなくなるともう真っ暗だ。

 というのも、そもそも夜に過ごす用意はされていないため馬車内に明かりはない。


「馬車にランプは……吊るせないわな」


 馬車が揺れて油がこぼれることを考えたら一大事だ。

 設置出来るわけが無い。


「しかし、寝るにも早すぎるな。やはり明かりを貰ってくるか」


 兵士たちと違って俺は隊列を組むことも、周囲の警戒をするこもない。

 道中は馬に乗ってるだけな上に化け物体力で、全然疲れていないし退屈だ。


 ランプを持って来て本でも読もう。

 そう思って腰を上げようとしたところ、馬車に近づく足音が二つ。


 もう日が暮れたということもあり、俺は一応剣に手をかけ様子を見る。

 すると、馬車の前で足音は止まり、軽くノックする音が鳴った。


「陛下、扉を開けてもよろしいでしょうか?」

「ああ」


 先程の侍女の声に返事をしたところ、扉が開きランプに照らされたルーナリアが見えた。

 彼女はシンプルなデザインの落ち着いた水色のドレスを着ていて、沈む寸前の微かな光に包まれ、ランプの光に浮かびあがる姿はまるで妖精のよう。


「こんばんは、陛下」

「こんばんは、ルーナリア」


 このタイミングで来たのは当然侍女の彼女に話を聞いて来たからだろう。

 寝室の譲り合いにならなければいいが……。


「あの、少しお話したいのですがよろしいですか?」

「もちろんだ。どこがいいかな?」


「出来れば、余人に聞かれない方がいいかと思うので。陛下さえよろしければこちらでお話しさせて頂きたいのですが」

「構わないよ。これは君の馬車だ。お手を」


「ありがとうございます。ですが、私の物ではございません。強いて言うなら王国の物でしょうか」

「なるほど」


 柔らかな手を傷つけぬよう注意してエスコートすると、彼女は馬車の前側の席に座った。

 その理由はきっと、俺が後ろ側に座っていただけではないだろう。


「陛下、もしよろしければこちらのランプをお使いください」

「あぁ、ありがとう」


 侍女に言われてランプを受け取ると、彼女は一礼して扉を閉めた。

 なるほど、席は対面で一つずつしかないが、王女の横にも皇帝の横にも座る訳にはいかない。


 かと言って、いくら広いとはいえ、さすがに小柄な少女でも立ったままでは邪魔になってしまうか。

 馬車に乗るのが初めての俺は少々面倒に感じたが、無理強い出来るはずもなく、受け取ったランプを床に置き自らも席に座った。


「皇帝陛下、この度は大変失礼を致しました」

「すまん。失礼された記憶がない」


「えっと、陛下に靴下まで畳んで頂いたことです」

「それか。別に気にすることじゃない。それにしても、王女殿下が馬車で洗濯物を干されているとは」


 適当な建物の中で話して誰かに聞かれたら困る内容とはそのことか。

 あまりに大したことじゃなかったので、俺はあえて冗談めかして笑って言った。


「思いついた時はいい考えだと思ったのです……」

「いや、実際いい考えだ」


 恥ずかしそうに身をちいさくするルーナリアを褒めると、彼女は少し身体を起こして上目遣いで尋ねる。


「本当にそうお思いですか?」

「あぁ、本当だ。合理的で素晴らしい。室内は人で混んでいるし、あまり人目のある所には干せんだろうしな」


「そうなのです。雨なので仕方がないのですが、侍女のお部屋を洗濯物だらけにしても可哀そうですから」


 他人に見せたくない物は侍女の部屋で干しているということだろう。

 俺は下手に口を開くことで妙な雰囲気になるのを恐れ、ただ頷くに留めた。


 俺と彼女の関係はそういう仲じゃない。

 親しい男女の間でも繊細な場合が往々にしてあるのに、ずけずけと踏み込む訳にはいかない。


「それにしても、陛下はどのようにして洗濯物の畳み方を身に付けられたのです?」

「……うん?」


 俺が黙っているとルーナリアの方から話しかけてくれたのだが、彼女の質問は俺の意表を突いてきた。

 面食らって聞き返すと、彼女は言い方を変えて再び尋ねる。


「エリーシュが言っておりました。とても丁寧に畳まれていた、と。恥ずかしながら私は自分で畳んだことがありませんので」

「ああ……まぁ、ふつうはそうだよな。エリーシュというのは?」


 俺は時間稼ぎに分かり切った質問をした。

 もちろん外で待つ侍女だとは分かっている。


「あぁ、ご紹介しておりませんでしたね。今は外に居ります。幼い頃から私に仕えてくれている侍女なのです」

「そうか、彼女が……」


 覚えておこう、とは言えなかった。

 言えば嘘になるかもしれないからだ。


 なぜなら俺の頭は今、たった一ヶ月ちょっとの過去の記憶を思い返すので精一杯なのだから。

 しかし、時間稼ぎの甲斐あって、俺は自分で洗いものをした記憶を思い出せた。


 問題はその記憶だ。

 賊の返り血が服に付いたのをハンカチで拭いて、そのハンカチを洗ったのだがどう言ったものだろう……。


「俺は騎士団と遠乗りに出かけるのだが、その時は……ハンカチなどを自分で洗ってるんだ」

「そうなのですね。従者などはお連れにならないのですか?」


「あー……そうだな。俺の騎士団は少々特殊というか、そのな。新しい人間が簡単に入れるものじゃないんだ」

「確かに皆さまお強そうですものね」


 従者とはやがて十分に成長すれば騎士になる者も居る。

 だが、ちょっと従者で経験を積んだくらいで肩を並べられるほど、皇帝の騎士団は生半可なものじゃない。


 ルーナリアはなんとなく察してか、漠然とした返事をしてくれた。

 俺は彼女に感謝しつつ事実と自分の思いだけを伝える。


「彼らはいわば戦友だ。軍であれば雑務をこなす者も居るが、彼らは皆騎士なのだ。俺は皇帝だが自分のタオルくらいは自分で、そう思ってな」

「立派なお考えだと思います。陛下が大事にされるからこそ騎士団の方は陛下に忠節を捧げているのですね」


 ルーナリアは褒めてくれたが、俺はまたの違いから彼女の言葉を受け止めかねてしまった。

 だが、彼らの期待に応えられる存在でありたいとは思う。


 いや、違う。

 騎士団だけじゃない。


 になった以上、俺は期待されるだけの皇帝にならないといけないのだ。

 そんな万感の想いを込め、俺は呟いた。


「……だといいな」


 うん、もうちょっと皇帝として行動には気をつけよう。

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