メデューサ

 アオイは恐怖に圧されていた。死の恐怖は何度も乗り越えてきたはずなのに、足が竦んで動かなかった。

 なんなんだ、こいつは。こんな化け物が世に存在していたなんて。


「侍に魔王直属四天王……ふたりがかりでもこの程度? 期待外れねぇ」

 口元には笑みを浮かべているものの、その瞳はぞっとするほど冷たい。

 振るう鞭は鋼。自在に伸び、あらゆるものを切り裂いた。軌道は読めないものの、隠そうともしない殺気の先を辿れば対処は容易い。そのはずだった。

 攻撃は変幻自在。千変万化。間合いも絶えず変化し、踏み込めない。

 受けたら、死ぬ。アオイほどの剣士でなければ、成す術なく首を落とされていただろう。首を落とされたことにも気づかずに。


 アオイの隣にいるベクターも、全身から発汗し、息を切らしていた。これほどの緊張感は初めてだった。

 アオイに敗北した後、ベクターは彼女に並ぶために修練を積んできた。全盛期以上に強くなったはずなのに、それでもまるでそいつには勝てる気がしなかった。

 幾多の戦場を越えてきた自分よりも、そいつは多くのモノを殺している。ベクターは彼女から漂う血のにおいに戦慄した。どれだけのモノを殺したらこれほどの──。

 ベクターは女の顔を見て、震え、硬直した。

 放たれているのは尋常ではない、狂気。


 二つ名【メデューサ】。最凶のハンターとして名高い彼女の名は──セシル。

 金色の、ウェーブがかかった髪が揺れる。

 

「……そろそろ、飽きたわね。じゃ、そろそろ……死んで?」

 これまでとは比べ物にならないほどに強烈な気がセシルから放たれ、アオイとベクターの全身を貫いた。

 ベクターは自分の命を盾にアオイを逃がそうと思った。しかし、動けない。あれは次の瞬間には二人の首を同時に刎ねるだろう。死は避けられない。


 その時だった。


 赤い色の棘のようなものが、セシルのいた地面へと次々に突き刺さる。

 セシルは殺戮の邪魔をされ、不機嫌そうに、棘を放ったそいつを睨む。しかし、それが何者であるかを知ると、表情を明るくさせた。まさか獲物が向こうから来てくれるなんて。


「──おまえがセシルだな。数多くの同胞を屠ってきた狩人。フン、どれだけ強くともたかがニンゲン。ここで始末してやろう」

「アナタ、吸血鬼の真祖ね。ニオイでわかるわ」

「そうだ。我が名はハールマン。黄泉の土産に、この名、魂に刻んでおけ」

 次の瞬間、ハールマンと名乗った吸血鬼の首が地面に落ちた。


「速いな。これまで出会ったニンゲンの中で最も強いやもしれん。だが、その程度だ」

 セシルの背後に現れたハールマンは、今度はバラバラとなった。

「無駄だ」

 セシルは首を傾げる。

「おかしいわね。この鞭を受ければ、真祖といえど無事では……そうか、あなた、命をたぁくさん持っているのね」

「くくく。そう、我は百の命を持つ者。真祖である我を百度殺せるかな?」

「あら? たったの百なの?」

「何?」

 ハールマンは再び細切れとなった。


「ほらほら、本気を出さないとどんどん死んじゃうわよ」

「……く。調子に乗るなよ、ニンゲン」

 ハールマンは身体から黒い狼のようなものを生み出し、セシルに放った。


 あのハールマンという吸血鬼、とんでもない魔力を持っているな、とベクターは感じた。魔力量、強さ共に全盛期のオルカを上回っている。四天王以上の強さを持っているにも拘わらず、それを容易くあしらうあのセシルという女は一体──。

 ベクターはアオイを見た。まだ、震えが止まっていない。常人なら発狂するレベルの狂気を受け続けたのだ。心が折れていないか、ベクターは案じた。


「はい、また死んだー。次、いくわよ」

「ぐぅぅぅぅうっ!?」

 鞭が唸る。空気を、地面を裂く。刻む。

 ハールマンは身体を鋼にし、極限まで防御力を高めた。それを簡単に、セシルの鞭は切り裂いた。さらに速く、そして強く。


 馬鹿な。こんなことがあってたまるか。

 ただのニンゲンに、ムシケラのようなニンゲンに、超越者である自分が手も足も出ないなんて。

 放つ技も魔法も、鞭に裂かれてしまう。鞭が振るわれる度に、命が削られていく。

 鞭だけではない。これは、破魔の力か。


 ──見誤った。一度退き、体制を整えなければ。屈辱だ。真祖である自分が退くことを選ばなければならないなんて。しかし次は確実に仕留める。

 ハールマンの細切れとなった肉片が、それぞれに散ろうとした。それをセシルは許さなかった。

「まさか逃げようとしているのかしら? 真祖が? でも、逃がしてあげない」

 セシルの鞭が肉片を潰していく。命をまた一つ失ったハールマンは、元の姿となりセシルの前に再生される。それをセシルはまた跡形もなく刻み、潰していく。


「ま、待て。やめ──」

「ほらほらほらほら、どうするの? このままじゃ命、全部なくなっちゃうわよ? まだあるんでしょ、奥の手。はやく見せてよ、ほら、ほらほら!!」

 そんなもの、すでに展開していた。【血界】という真祖が持つ特性により、この場はすべてハールマンの領域。

 この中にいるニンゲンの恐怖を増幅させ、その恐怖を投影した怪物を創り出す。現に今、【血界】に巻き込まれているアオイとベクターはセシルとハールマンに対して恐怖を抱いており、それがおぞましい怪物となって現れようとしているのだが──それが生成される瞬間にセシルにより消滅させられていた。

 四方八方からの不可視であり不可避の血の棘も同様、セシルの鞭の前に意味を成していなかった。

 セシルの攻撃は勢いを増す。


 こんな。

 馬鹿な──。


 自分に起きていることが現実のものと捉える前に、ハールマンはその命のすべてを散らし、霧散していった。



「【純血種】じゃなかったのね。ヴァルプルギスの夜によって運よく力を手にしただけのただの調子に乗っている人間ね、あれは。消化不良だけど、ま、少しだけ楽しかったわ」

 セシルから荒々しい雰囲気が消えた。しかし、殺気は放たれたままだ。これが彼女の自然体なのだ。常に、誰かを殺したいと想っている……。

「あら、あなたたち。まだいたのね。もう、いいわ。興味ないから、行きなさい」

 ベクターはすぐに反応し、アオイを抱えて飛び去った。セシルの気が変わる前に離れなければならなかった。


「うん、いい判断よ」

 セシルはくすり、と笑う。


 やはり、この地にいるのか。あのヴラドが。


 はやく、はやく、はやく──殺したいな。殺しあいたいな。セシルは強い血のニオイを辿り、歩き始めた。



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