『異世界☆Fireworks‼』

龍宝

『異世界☆Fireworks‼』




 01「異民」




 遠くに鐘の音が聞こえ出して、男は顔を上げた。


 独特な高音は、昼時を告げる礼拝所の鐘のものだ。


 積んでいた煉瓦を置き、汗をぬぐう。


 雑に巻いた頭巾を締め直して、男――蔵前くらまえ玄二げんじは、肩を回した。




「昼飯だ。みんな帰っていいぞ」




 中身の少なくなった水筒をあおりながら、周囲を見渡す。


 玄二の声を聞くや否や、「待ってました」とばかりに、そこらで作業していた子供たちが掛け出していった。


 時折、また午後にね、と手を振ってくる子がいて、腕を挙げて返してやる。


 砂利道をはしゃぎながら駆け去っていく子供たちを見送っていると、その流れに逆らってこちらへ向かってくるひとりが眼に付いた。


 遠くからでも目立つ、明るい金髪。


 二つ括りの短いおさげを揺らしながら、少女が玄二の腰掛けた作業場へとやって来る。




「――おう、エル。ミルヒを呼びに行くのか?」


「うん。ゲンさんも、一緒に行こ?」




 玄二の前で足を止めた少女は、エル・ネサリアという。


 年の頃、十二、三ほどの小柄な乙女だ。


 ややサイズの合っていない下女服――無論、だぼだぼな方に――のすそを翻して、エルが歩みを再開する。


 作業道具を片してから、ぼちぼち玄二もその後を追う。


 軽快な子供の歩調とはいえ、それなりに体格のがっしりとした玄二が急ぐともなしに歩けば、すぐに距離は縮まった。


 並んで歩きながら、ふと玄二は隣の少女を見下ろす。


 細められた碧い眼は、いかにも彼女が上機嫌であることを示していた。




「毎度のことだが、見てるだけで楽しいのか?」


「うんっ。エルは、絶対ミルヒさんみたいに強くてカッコいい大人になるよ! 今は、言われた通りに身体を大きくしてるの!」


「遠大な計画だな。待ち切れなくなったりは?」


「うっ……もちろん、早く剣を持ちたいよ! 魔物だって悪い人間だってやっつけれるようになりたい! エルだって、ヴィオ様のお役に立つんだもん! それが、エルの夢!」


「……夢、か」




 しゅっしゅっ、と虚空に向かって可愛らしく拳を突き出して見せるエルが、鼻息も荒く言い切る。


 視線を戻して前を向いたまま、離れた雑木林を見遣って、玄二は呟いた。




「マガロは、王都で兵士になるのが夢なんだって。レムカは踊り子に憧れてて、サラは美味しいパン屋さん、それから――――――あ、ゲンさんは?」




 先ほど作業場にいた少年少女の名を挙げながら、エルがその夢をそらんじる。


 ひと通り列挙してから、当然といった風にこちらを見上げてきた。




「俺に、夢があるか、か? こんなおっさんに」


「? もうかなっちゃった?」


「いや……そんなものを、持っていた気もするがな。ガキの頃の話だ。とっくに忘れちまった」


「あ、そっか。記憶もこっちに来るときに……無理に聞いてごめんね、ゲンさん」


「そうじゃない。そんな気を遣われる話じゃない。おい、エル? 聞いてるか?」




 悪いことをしたと落ち込むエルは、玄二の言葉など耳に入らないようだった。


 優しい少女だが、少々思い込みの激しいところがある。


 異世界から来たという玄二を差別することなく受け入れてくれたのはありがたいと思っているが、何故か彼女なりの要らない悲劇要素が加えられている――そして何度言っても改めてくれない――のは、ため息のひとつも出ようというものだ。


 そのまま、雑木林の中に入りしばらく歩いて、ようやくエルの気分も持ち直してきた。


 金属のこすれる、甲高い音が響いてくる。


 音を頼りにそちらへ足を向ければ、開けた土地で巨大な岩塊に剣を打ち込んでいる人影が見えた。




「ミルヒさん! お昼の時間だよ!」




 負けじとエルが大声で呼びかけると、舞うように剣を振っていた女――ミルハッラ・ロスタムが、ぴたりと動きを止めた。


 黒髪を頭の後ろで縛った、長身の女だ。


 手にした幅広の白剣を鞘に納め、ミルヒがこちらを振り返る。




「エル。ゲンさんも。もうそんな時間ですか。わざわざすみません」


「ミルヒさん! 今日はもう終わり?」


「ええ。少々物足りませんが……」


「……これで?」




 帰り支度をするミルヒの背中に、玄二は呆れた声を投げる。


 今朝までは小城ほどの大きさの岩山だったものが、今では少し大きいオブジェ程度のサイズにまで切り刻まれている。


 どうやったら剣の一本でこんな真似ができるのか、剣も魔法も知らぬ玄二には想像すらつかない。


 というか、これを目指しているのか、エルは。




「お題は、『猫を触りたいけど逃げられそうで近づけないヴィオ様』です」




 そういわれると、おっかなびっくりな少女のオブジェに、見えなくも、ない……か?


 自信作だと胸を張るミルヒと、無邪気に歓声を上げるエル。


 自分に美術の素養がないのは、理解しているつもりだ。


 無精ひげを撫でてから、玄二はうんうんとうなづいた。








 02「祝祭」




 近々、王都で祝祭があるらしい。


 使用人が集まる食堂でそう言ったのは、屋敷の下女を取りまとめているローラだった。




「お祭り?」


「というより、生誕の祝いにかこつけたお見合いだよ。第一王女殿下が、王族として成人の歳になったからって、そろそろ婚約者を立てようってさ」




 肉とキノコのスープを口いっぱいに含みながらたずねたエルに、ローラが肩をすくめる。




「最終日の夜、王城の広間に国中の有力な貴族令嬢を集めてさ、第一王女にご挨拶ついで、アッピールさせようって話」


「そりゃまた、選り取り見取りだな。王族の特権ってやつか」


「いやー、義務とも言えるね。今まで婚約者を選ぶさえなかったのが、結局はこうして決断を迫られてるわけだからねえ」




 事情通で知られるローラの解説に、玄二も相槌を打つ。


 三個目のパンに手を出したエルが理解しているのかどうかは、よく分からない。




「ところで、どうしてあなたがそのことを?」




 首を傾げたミルヒに、ローラがよくぞ聞いたと振り返る。




「さっき、王都からの使者が来てね。偶々手のいてたあたしが案内してやったんだ。それで、ついでに領主様の執務室前をちょいと入念に掃除してたのさァ」




 たはは、と笑うローラに、付き合いの長い下女たちが呆れた視線を送る。


 要は、立ち聞きをしていたのだろう。


 大した下女頭だ。


 あるいは、こういう普段からの努力が、事情通の二つ名を付けられた所以ゆえんなのか。


 他の下女たちも何だかんだ興味はあるらしく、誰もローラの話に水を差そうとはしなかった。




「だが、今の話だと招待されるのは有力な貴族の令嬢だけなんだろう? ヴィオ嬢のところにも誘いが来るのは……こう言っちゃなんだが、意外だな」




 祝祭の出し物について盛り上がっているローラたちに、玄二はツィタードを呑み干して訊ねた。


 皆がヴィオと呼ぶ少女こそ、ここいら一帯を治めるルクレッティ家のひとり娘――ヴィオッサ・ルクレッティである。


 れっきとした貴族の家系らしいが、領地の規模はいくつかの町と、周辺の集落をまとめている程度だ。


 玄二の知る限り、片田舎を治める小貴族といった感じで、とても王女の婚約者として招待されるような家格とは思えない。


 まんでいたパンの欠片を口に放り込んで、ローラが、ぽんっと手を叩いた。




「そっか。ゲンさんは知らなくて当然だよね。お嬢はさ、うんと子供の頃に、王都に預けられてたんだよ。まァ、お嬢が、っていうか、どこの貴族も嫡子はそういう風にする決まりなんだとさ」




 戦国武将が、子供を人質に取るようなものだろうか。


 異世界といえど、その辺りのシステムは似通ってくるのだな、と玄二は妙に腑に落ちた。




「その頃に、第一王女殿下と机を並べて勉強してたんだとか。つまり、幼馴染ってやつ?」


「王女様と仲良し⁉ ヴィオ様すごーい!」


「いやいや。仲は、どうなんだろうねえ。ほら、相手があの第一王女だからさ」


「どういう意味だ? 何かあるのか?」


「殿下はさ、女神もかくや、ってな美貌の持ち主らしいんだけどね。喜怒哀楽ってのを王妃様の腹の中に置いてきちゃったんじゃないかっていうやつもいるぐらい、どうにも感情の読めないお方でさ、これが。そういうのもあって、今まで婚約者どころか、親しい間柄の人もうわさにならなかったんだけど……」




 ついに、年貢の納め時がきたというわけか。


 ヴィオとは、少なくとも招待状を送られる程度には、知らない仲ではないのだろうが――あるいは、貴族社会の儀礼に則っただけ、とも言えるか。




「まァ、常識で考えれば、うちのお嬢が婚約者に選ばれるこたないだろうさ。単に誕生パーティーだと思えば、幼馴染を呼んだっておかしかない」




 一同が同意したところで、祝祭についての話題はお終いになった。




「そうだ、ミルヒ。また街道近くに暴発イノシシが大量に出たって――」


「またですか。じゃあ、明日にでも――」




 食べ終わった食器を片付ける。


 もうじき、午後の仕事のために子供たちが戻ってくるだろう。


 雑談を続けている下女たちに断ってから、玄二はひと足早く食堂を後にした。








 03「ルクレッティ家」




 夕食も終えて、一同が食堂でカード遊びに興じている時だった。


 いきなり屋敷中に響いた荒々しい物音に、玄二たちは思わず腰を浮かせる。


 どうも、領主の執務室の扉が思い切り開けられたようだった。




「様子を見てきます」




 誰よりも早く立ち上がったミルヒが、言うと同時に食堂を飛び出していった。


 むむむ、とさっきまで手札をにらんでいたエルに促してやれば、助かったとばかりにカードをテーブルに放って腰を上げた。


 足音を頼りにミルヒの後を追う。


 追いかけるうち、玄二たちは屋敷の裏手に広がる庭園に足を踏み入れていた。


 点在する外灯の明かりに、ぼんやりと照らされた花々の迷路。


 生け垣を曲がったところで、話し声が聞こえた。


 とっさに、駆けて行こうとしたエルの腕を取って、曲がり角に引き戻す。


 うかつに近付けない。そういう雰囲気だった。




「……ヴィオ様。何があったのですか?」




 足を滑らせたのか、しゃがみ込むようにして地面に膝をついている後ろ背に、数歩離れて佇んでいるミルヒが声を掛けた。


 薄暗がりにも眼を引く桃色の髪は、うなだれたまま、土泥にまみれるのも構わず垂れさがっている。


 ヴィオ。そこにいるのは、ヴィオッサ・ルクレッティだった。


 いつも笑顔を絶やさない、異世界人を名乗る不審極まりない自分のような人間すら迎え入れてくれた、優しい少女。


 その背中は、これまで見たことがないほどに儚げで、かすかに震えていた。




「お父上に、何を言われたのですか?」


「………………祝祭、です」




 ややあって、絞り出すようにヴィオが呟いた。




「祝祭の、最終日。あの人に、お目通りが叶う最後の機会です。みんな、立派な献上品を用意するはず。それなのに、わたしは――」




 漏れ聞こえてくる声色で、玄二は直感的に事情を察した。


 ローラは、ヴィオと第一王女が幼馴染だと言っていた。


 それは、確かにそうなのだろう。


 だが、そんな言葉は、あくまでふたりの関係を外から見た人間のものなのだ。




「父上に、今さら言われるまでもありません。分かっています。家柄でも、名産品でも、兵力でも、何でもいい。婚約者に選ばれるのは、王族にとって、あの人にとって、どれだけ魅力的かを示せた人だけです。……わたしには、どうすることもできません。他の誰かが、わたし以外の誰かが選ばれるのを、黙って見ていることしか、できない。これまでと同じように」




 ヴィオは、それ以上の関係を望んでいたのだ。


 知ってか知らずにか、領主は娘を呼び出して念を押したのだろう。


 貴族社会での祝い事ともなれば、権謀術数があって当然と、玄二でも想像がつく。


 まして、第一王女へのアピール合戦ともなればなおさらだ。


 余計な真似をして、他の有力貴族の反感を買うべきではない、とでも言ったのか。




「無理なんだ、仕方ないんだって、必死で自分に言い訳して、遠くから想ってるだけ。……そもそも、忘れられちゃってるかもしれないのに。たった一度、あの人のほんの気紛きまぐれに救われた気になって、いつまでも馬鹿みたいに大事に思ってる――こんなこと、奇跡でも起きない限り、叶うわけないのにっ!」




 背中越しの声に、嗚咽が混じる。


 泥まみれの拳を握って、ヴィオは地面を叩いた。




「諦めきれないんです……‼ ずっと、ずっと夢見てきた! あの人の隣で、一生を過ごせればどんなに幸せだろうって!」




 小さな背中だ。


 それが、どうにも見覚えのあるような気がして、玄二は眼をらした。


 そんなことをしたところで、聞こえてくる悲痛な叫びはどうしようもないというのに。




「分不相応なのは分かってます! わたしには、特別なものなんてない! 才能も教養もない平凡な娘を、王族が身内に加えるメリットなんてなにもない! でも、それでも……! わたしの、小さい頃からの夢なんです――‼」




 誰も、何も言わなかった。


 うつむき、険しい表情で少女の背中を見つめ続けるミルヒも。


 胸元に両手を遣って、ぎゅうっ、と下女服を握り締めるエルも。


 生け垣に背を向けたまま、顔をそむけて突っ立っている玄二も。




「――夜風がさわります。屋敷に戻りましょう」




 どれだけそうしていたのか、ようやく口を開いたミルヒに連れられて、ヴィオは帰っていった。


 ふたりに見つからないよう引き揚げる道すがら、玄二はエルの小さな手を握ってやった。








 04「約束」




 夕陽の差し込む病室には、ふたりの男女がいるだけだった。


 医療用ベッドの傍に立ち尽くす少年が、上体を起こしている少女を見据える。




「――あかね




 物音の絶えていた病室に、低い声が落ちた。


 頭に巻かれた包帯も痛々しい少女は、名を呼ばれたことで、びくりと身体を跳ねさせた。




「…………ごめん、玄ちゃん」




 ふり絞るような、乾いた声だった。


 少年――蔵前玄二は、衝動的に出掛かった言葉を呑み込んで、手のひらに爪が食い込むほど強く握り締めた。




「何、言ってんだ。お前が謝るようなことなんて――」




 なにもない、と言おうとして、玄二は口を閉ざした。


 首筋まで伸びているくせ毛を揺らして、幼馴染がこちらを振り向いていた。


 少女の名は、滝本たきもと茜。


 玄二とは小学校から付き合いのある女子高生だった。




「ごめんね、玄ちゃん。私、もう約束守れない。――見えなく、なっちゃった」




 淡々と呟く茜の視線は、玄二の胸の辺りに向けられている。


 たまらなくなった玄二は、一歩踏み込んで茜の肩をつかんだ。


 真っ白い包帯の巻かれた、幼馴染の両眼を見下ろす。


 旅先で事故にったと聞いた時から――。


 先ほどまで病室にいた茜の母親から詳しい容体を知らされた時にも、覚悟はできていた。


 それでも、自分を探すようなしぐさをする幼馴染の姿を間近で見せられ、感じたことのない衝撃を受けた。


 おそらく、表情に出ていただろうと思う。


 そう思っても、玄二には確かめる術はなかった。


 ――そして、茜にも。


 感触を頼りに体勢を把握したのか、茜が玄二の上着を掴んだ。


 大人ぶって、いつも余裕の笑みを浮かべていた少女が、今は震えている。




「ずっと、夢だったのに……‼ 玄ちゃんの作った花火、ふたりで見ようって! でも、もう無理なんだ! こんな眼じゃ、もうなにも見えやしない!」




 すがるような幼馴染の叫びが、狭い病室に響く。


 玄二の祖父は、昔気質な花火師だった。


 小さい頃から、花火大会に行っては祖父とその仲間たちが打ち上げる花火に見惚れ、気付けば「花火師になる」なんて将来を夢見るようになっていた。


 そのちっぽけな夢を、約束という形で一緒に背負ってくれたのが茜だ。


 子供心にも、確信があった。


 自分が花火師になる夢。


 交わした約束を果たせるその時まで、この幼馴染と並んで生きていく未来も。


 なにひとつ、疑っていなかった。


 今日までは。




「なんで、眼なの⁉ 腕でも、足でも、どこでもよかったのに! どうして、よりによって――」




 涙で包帯を濡らす茜に、玄二は言葉を探す。


 伝えたいことは、いくらでもあった。


 生きていてくれたことが嬉しい。


 それだけで十分だ。


 同時に、そんな言葉を口にしたところで、今は何の意味もないということも、頭の奥で理解していた。


 ふたりが夢に向かって刻んできた年月が、失った未来を突きつける。


 誰を、憎めばよかったのか。


 事故を起こした相手?


 大切な幼馴染に、こんな理不尽を押し付ける世の中か?


 分からない。


 ずっと、分からないままだ。


 ただ、あの時確かに――。


 蔵前玄二は、何もできない自分自身を恨んでいた。








 玄二が屋敷の裏口を出たのは、まだ朝日の昇る前だった。


 眠っていたのは、数時間ほどだろう。


 それも、ほとんどはベッドの上で転がっていただけだ。


 わずかな眠りの中で、玄二は若い頃のことを思い出した。


 あの事故以来、ずっと花火を避けて生きてきた。


 茜には毎日会いに行ったが、自分からその話題を出したことはない。


 両眼が不自由になった幼馴染は、退院する頃には時折笑顔を見せるようになってはいたものの、誰よりも傍で彼女を見てきた玄二からすれば、それは明らかに以前の彼女のものとは別物だった。


 元の関係に戻ろうとして、しかし一番大事なピースをひとつなくしてしまったから戻れない。


 そんな日々が、十年以上続いた。


 そして、玄二は突然この世界に迷い込んでしまったのだ。



 つと、物音を立てないようにドアを閉めた玄二の後ろから、足音が聞こえた。




「――こんな夜更けに、どちらへ行かれるんですか?」




 驚いて振り返れば、夜中にも関わらず平服を着込んだミルヒとエルが立っていた。




「大したことねえ用事だ。それより、子供はとっくに寝る時間だぞ」


「ヴィオ様に関わることならば、大した用事でしょう。それに、私はこう見えてあなたよりも年上ですよ」




 はぐらかそうとした玄二に、ミルヒは笑みを返すだけだ。


 待ち伏せはともかく、そんなことまでお見通しときた。


 無言の対峙は長く続かず、玄二は降参とばかり口を開いた。




「食わせてもらった恩がある」




 荷物を担ぎ直した玄二を、ふたりは真剣な表情で見据えていた。




「食客ですらねえ、無駄飯ぐらいの居候がいいとこの俺だが……眼の前で苦しんでる恩人を見殺しにできるほど、腐ったつもりもないんでな」


「それは、私も、エルも同じこと。ですが、どうするつもりです?」


「お嬢の夢を叶える。それ以外に、今の俺がすべきことはない」




 懐から一枚の紙を取り出す。


 日本語で書かれた設計図を、ミルヒとエルは肩を寄せ合うようにしてのぞき込んだ。


 意味は分からなくとも、中央に描かれた球状の物体を玄二が作ろうとしている、ということは分かったようだった。




「――一世一代の告白の場だ。盛大に花火で祝ってやろうや」




 あらかた説明を聞き終えて、ふたりは当然といった表情で「何をすればいい?」と訊ねた。




「できるかどうかも分からん。信じてくれるのか?」


「はい。ゲンさんの仕事ぶりは、いつも見てました。今度も、きっとできます」


「そうだよ! 三人で力を合わせたら、ぜったいできーる! ね!」




 本人よりも自信満々な調子で、ふたりが手を差し出して重ねる。


 これで、最後の一歩を踏み出す勇気をもらった。


 引きつった笑みを漏らして、玄二は一番上に自分の手を乗せた。




「――あいにく、俺にはこっちの世界の材料が分からない。手伝ってくれ」




 力強く頷いたふたり。


 そのまま、三人で素材集めに駆け回った。











「――暴発イノシシ。排泄物に火を付けると爆発することで有名な魔物です」




 領内の街道に、自動車よりも大きい怪物がたむろしていた。


 腰にいた白剣を抜き払って、ミルヒが前に出る。




「それで、〝暴発〟か」


「いえ、名前の由来は――」




 こちらに気付いた一体が、遮二無二突進してくる。


 構えらしい構えもなく、さっと剣を振ったミルヒの動きに一拍遅れて、その身体が真っ二つに斬り飛ばされた。


 呆気に取られる玄二とエルの正面で、仲間のやられる様を見せつけられた他の個体が、雄たけびを上げる。


 そして、次の瞬間にいきなりふくらんだ――。




「う、おおおおぉォォォォォォ⁉」


「危険を感じると、体内の器官に魔力を走らせて爆発してしまう。だから、暴発イノシシ」




 円を描くように、ミルヒは剣をひと回りさせて爆風を払った。




「私が注意を引きつける間に、排泄物を回収してください」


「が、がんばろー……‼」




 真っ青な顔で拳を握るエルを安全なところに置いて、玄二は駆け出した。


 遠くで自爆する魔物の爆風までは、ミルヒもどうしようもないのだろう。


 まともに立っていられないほどの衝撃に何度も倒れ込みながら、玄二は鈍痛をこらえて立ち上がった。




「――妙な気分だ。なァ、茜」




 思わず、幼馴染の名を口にしていた。


 砕けた石片がひたいを掠めて、血がしたたり落ちる。




「ありそうもない異世界なんぞに飛ばされて、見たことも聞いたこともない怪物の血と糞尿に塗れながら、俺は花火なんか作ろうとしてる」




 腕で拭って、頭巾を締め直す。




「ここは、俺たちの世界とはまるで違う、でたらめな世界だ。剣一本で山を切り裂くやつもいれば、魔術のひと言で湖を蒸発させられるやつだっている。……馬鹿げた話だ。俺が、俺たちがずっと願ってた、起きるはずもない奇跡なんて、こっちじゃありふれたことなんだから」




 いつかの病室で、茜が一度だけ言った。




『絶対に無理だって、医者にも親にも言われたけど――諦められないんだ』


『私たちの、小さい頃からの夢だもん。ほんのかすかでも、たった一度きりでもいい。玄ちゃんの花火が見たい』


『絶対にあきらめない。いつか、玄ちゃんが立派な花火師になって、すごい花火を作れるようになって……それから、私の眼がまた見えるようになる。そんな奇跡が起きるって、信じてる』


『――ね、玄ちゃん。それまで、私をひとりで頑張らせるつもり?』




 ずっと、逃げ続けてきた。


 奇跡なんて起こるわけないと、自分に言い訳して、現実から目を背けて――




「だが、奇跡が起きた。なら、今度こそ俺は、お前との約束を守らなきゃならん。お前が俺のように、この世界に来ることができるなら――」




 後ろからの爆風を食らって、地面に叩きつけられる。


 衝撃で手放しかけたバケツを、とっさに抱え込んだ。




「――そんな、常識で考えたらありえねえ話でも、ほんのわずかでも、俺たちの約束が叶う可能性が、まだあるっていうなら……‼ 俺は、お前のために――」




 立ち上がった。


 あちこちから悲鳴を上げる身体を引きずって、前に進む。




「許してくれ、と今は言わん。俺はまだ、お前を迎えられるほどの男じゃない」




 それでも、いつの日か――




「お前の諦めない心が、ずっと抱き続けてくれた夢が、もう一度奇跡を起こしたなら――」




 その時は、ただの花火師なんかじゃない――


 こんな自分を信じてくれた、茜の努力に見合う男に――






「――異世界一の、大花火師にぐらいなってねえと、合わせる顔がない……‼」






 そのためにも、世話になった少女の想いを、絶対に届けさせてみせる。








 05「再会」




 ルクレッティ家の馬車が、王城の門をくぐる。


 祝祭の最終日。


 前を行く他家のものに比べれば幾分か小振りな馬車の中に、礼装に身を包んだヴィオッサがいた。




「――お嬢様。到着いたしました」




 揺れが収まったと同時、外から御者ぎょしゃの声が掛かった。


 同行しているのは、父が監視のために付けたこの御者ひとりだけだ。


 大勢使用人や護衛の騎士を連れている大貴族の令嬢たちから見下げるような視線を浴びて、城内の石畳に足をついたヴィオッサは、わずかに気圧された。


 単身で敵地に降りた心地である。




「ここからは、わたしひとりで行きます」


「かしこまりました。……お嬢様。ひとつ、言付けを預かっております」




 意を決して歩き出した背中に、御者が言った。


 どうせ、余計なことはするなという父からの念押しだろう。


 振り向かず、足を止めるにとどめたヴィオッサに、しかし意外な言葉が投げ掛けられた。




「『お膳立ては、俺たちがやる。あんたは、あんたのやりたいようにしろ』とのことです」




 思わず振り返った先で、自分が生まれる前から家に仕えてくれている男が頷いている。


 息を呑んだ。


 もう、振り返ることはない。


 ためらいも、迷いも、恐れすら、今の自分には必要ない。




「――続きまして、ルクレッティ家ご令嬢、ヴィオッサ・ルクレッティ様」


「まァ。よくも地方領主の娘が、恥ずかしげもなく」


「供も連れずに、まさか手ぶらで御前に出るつもりかしら」




 第一王女に挨拶するべく進み出たヴィオッサを、広間中の貴族令嬢がわらう。


 ずっと、この時を待っていた。


 絶対に叶わないと分かっていた夢。


 それでも、自分はここまで来て、夢に挑む機会を得た。


 伝えるんだ。


 一生分の勇気を、この瞬間に使い尽くしてもいいから!






「……殿下。アトラ様。わたしは――」






 第一王女と眼が合った瞬間、眩い光がふたりを照らし出した。


 遅れて、轟音が広間に響く。


 とっさに背後を見れば、バルコニーの向こう、夜空を染め尽くすように、光が満ちていた。






「――綺麗きれい



「――綺麗だ」 






 光の花を見つめるヴィオッサの耳もとで、声が聞こえた。




「輝きまでたたえて、戻ってきたか。美しくなったな」


「――ずっと、あなたをお慕いしておりました。アトラ様」


「ヴィオ。私の眼を奪ったのは、お前だけだ。――今も、昔も」




 熱。


 燃えるようだ。


 七色に照らされた顔が、すぐ近くにあった。

 



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