終章 そしてこんなことに
「あの家、あまり行きたくないんだよなあ。」
強烈な夏の陽射しの中、田村巡査長は止まらない汗をタオルで拭きながら文句を言った。
「だめです、田村先輩。夏祭りの警備の打ち合わせですから、町会長さんとは懇意にしておかないとです。」
「でもなあ…。」
田村巡査長はいやいやチャイムを押した。ドアが開き、品の良さそうな老婦人が出てきた。
「あら! 田村さんに糸玉さん! 良かったわあ、おいしい水ようかんがあるの。入って!」
タミエは二人の警官を居間に案内した。中はうってかわってひんやりと涼しくて快適だった。
「うわあ、涼しいですう。生き返る~。」
「というより寒すぎないか?」
カラン、と氷の音がしてお盆にグラスをのせたタミエが入ってきた。
「本当に暑いですねえ。地球温暖化ですかねえ。」
「いや…ちょっと寒すぎるのですが、香箱会長。」
「そうですか。おーい! リョートラッテちゃーん! 寒いって!」
田村巡査長は青ざめたが遅かった。ガラッ!と引戸があき、いかにも不機嫌そうな銀髪の少女が立っていた。
「女王に向かってもう一度言ってみろっての! このヒラ警官! あ~、なんでニホンの夏はこんなに暑いの!? もうやってらんない!」
アイスキャンデーを田村巡査長に向かってつきつけたリョートラッテは、いつもの銀のドレスではなく、おなかも腕も足もあらわな格好をしていた。
「一応ヒラじゃないんですが…。」
「なんだよ、騒がしいなあ。お! ミズヨウカンか! ゴチになるぜ!」
同じような格好の青髪の少女がズカズカ入ってきて、客の菓子を勝手に食べ始めた。
田村は肌の大半があらわな二人を正視できず、うつむいてしまった。いつのまにか目の前にハチワレの子猫が座っていた。
「ニャ~」
「キャ~、かわいいです! 抱っこしていいですか?」
「おやおや、また連れてきたのかい。タマ! ユキ! お客さんに挨拶なさい!」
ドタドタと廊下を走る足音が聞こえてきて部屋に大量の猫と、タマとユキが入ってきた。
「コラーッニャ! まだ途中ニャ!」
「ユキにゃん! 早くつかまえて!」
猫たちは皆ビショビショで、泡だらけのネコもいた。逃げ回る猫はテーブルにのり、麦茶のグラスを倒し、田村巡査長の頭を踏み台にした。
「あ、田村巡査長殿!」
「いいよ。お前、無期限謹慎中だろ。それにしてもお前までなんて格好だ…。」
タマは丈の短いタンクトップでヘソが見えていて、下はホットパンツでユキも似たような姿だった。
「だって、暑いですし。どうせ猫洗いでぬれますし。」
「ジロジロ見るなニャ! ヘンタイ警官ニャ!」
「だから来たくなかったんだ…。こら糸玉! お前まで脱ぐな!」
そこにまた戸が開いて、皆以上に描写できない際どい格好の人物が入ってきた。
「あー暑い暑い、何? 客? あ! それ私のアイス!」
その人物はリョートラッテにつかみかかった。
「意地きたないっての! いいじゃない、一本くらい!」
「君ね、異世界じゃ女王だかなんだか知らないけどね、ここじゃただの居候なの!」
「キャ~! なぜくすぐるの、アイさん!?
ベーリンダ、助けて! そ、そこはヤバい! キ、キャハッ!」
タマがあきれてユキと共に止めに入った。
「ちょっとママ、やめてあげて。私の分を後であげるから。」
タマの母、香箱アイはタミエ似の整った顔をあげた。
「ホント? タマちゃん? ママ嬉しいッ。大好き!」
「ちょっ、ママ! やめて!」
アイは、今度はタマに抱きついて、なぜかくすぐり始めた。水ようかんをたいらげたベーリンダも飛びかかった。
「俺も参戦だぜ!」
「アタシも反撃っての!」
「私も入るですう!」
「コラーッ! タマちゃんから離れるニャーッ! フーッ!」
「おやおや、暑いのにみんな元気だねえ。この水ようかん、おいしいねえ。」
田村巡査長はこっそりと、くすぐり合戦の修羅場と化した、猫が舞う部屋から逃げ出した。
「俺は何しに来たんだっけ…?」
数ヶ月ほど前。
「嘘…。」
病院の床にへたりこんだタマを、ベーリンダとリョートラッテが引っ張り上げた。
「あきらめんな! タマ!」
「そうなの! 早く石を持ってユキちゃんの所へ!」
三人は静止する医師を押しのけて病室に飛び込んだ。ベッドの上には目を閉じたユキが横たわっていて、生命維持装置からはバイタルフラットの警報音が鳴っていた。
驚く看護士さんの横でタマはひざまずき、二つの石をユキの上に置いて懸命に祈った。
なんの反応もなく、時間が過ぎていった。
「だめなのかよ…そんな…。」
「ユキちゃん…。」
リョートラッテが泣き出しそうになった時、石が急にピカピカッと光ると、ユキがガバッと起きあがった。
「治ったニャ!」
「う、うわっ! ビックリした!」
驚いてのけぞった三人は、今度は一斉にユキにしがみついた。
「ユキにゃーん!! 良かったー!!」
「あニャ、く、くるしいニャ~。なんの騒ぎニャ!?」
装置を見ていた看護士さんはフラフラと気絶してしまった。リョートラッテが不安そうな顔をした。
「どうしたの?」
「だって…石の力は犠牲を伴うんでしょ? だったら誰が?」
勢いよく扉が開き、白衣の医師がタマに叫んだ。
「香箱さん! お母さんの容体が急変しました!」
慌てて四人が病室に駆けつけると、タミエがいてベッドの上に横たわる人物の手を握りしめていた。
「ママ!」
タマはその人物…母親である香箱アイに駆けより声をかけたが、アイは既に動かなくなっていた。
「そんな! ママ!」
「あニャ! ボク、夢の中でこの人に会ったニャ! 川を渡ろうとしたら押し戻されたニャ。」
「ママがユキにゃんを救ってくれたの?」
タマがアイにすがりついて泣き始めた。すると、ポケットの中の石がまた激しく光を発した。
ガバアッ!!といきなりアイが起き上がって、また看護士さんが気絶した。
「治ったわ!」
「うわっ! ビックリした!」
あまりにも驚いて尻もちをついたタマだったが、思い切りアイに抱きついた。
「あらタマにお母さん、久しぶりね。」
「よかった! ママ! 本当によかった…」
後は言葉にならなかった。
今度はベーリンダが不安げな様子を見せた。
「それにしても、誰が犠牲を払ったんだ?」
タマの頭をナデナデしていたアイが、悲しげな表情を見せた。
「あの人…私の部下だった人だわ。暗闇のような意識の中であの人が現れて…自分が代わりに行くって…。」
「ママ…。」
アイと抱き合うタマごと、タミエは優しく包み込んだ。
その様子をユキは羨ましそうに見ていた。
「いいニャ~。家族って。」
「ホントだよなあ。」
「取込み中に失礼します。わたくしはリョートラッテと申しまして、タマさんと婚約しております者です。職業は女王です。特技は昼寝と凍結怪光線です。お母さま。」
アイは目を見開いてタマとリョートラッテを見比べた。
「タマ、寝てる間にいいコを見つけたんだね。わかった! 許す!」
「ママ! 何を言ってるの!?」
「異議ありニャ!」
「俺もだ! なんなら決闘だ!」
「受けてたつっての!」
収拾がつかなくなってきたが、タミエが無理矢理まとめに入った。
「はいはい、とにかくみんな、うちにきなさいな。」
公園の広場に櫓がたち、その上で法被姿のアイが太鼓の側に立っていた。放射状に提灯がぶら下げられて、周りには様々な夜店が出ていた。タミエは抽選会の司会をしていた。
「あニャ~! あれも食べたい、これも食べたいニャ!」
「アタシはべびーかすてらと、わたがしと、たこやきと…」
「俺はシャテキと、すまーとぼーるとキンギョスクイと…」
「あのー、そっちがメインじゃないんだけど。」
タマの指摘に全員が残念そうだった。
「もうちょっといてあげてもいいけど、この世界に。暑さ以外は楽しいかも。」
「俺も…タマと暮らせるなら別にいいかな。」
「ダメでしょ、女王が二人もいつまでも不在じゃ。始めるよ!」
タマの提案で、町会で盆踊りをすることになっていた。もしかしたら異世界への扉が開くかもしれないと考えてのことだった。
「タマちゃん、もしも扉が開いたらタマちゃんはどうするニャ?」
「それは…。」
タマが言い淀んでいると、音楽が鳴り出して、アイが太鼓を叩き始めた。櫓を中心に浴衣姿の住民たちが輪になって踊り始めた。
浴衣姿のタマ、ユキ、ベーリンダ、リョートラッテが列に並び、踊る姿は圧巻で、住民たちは皆みとれてしまっていた。
「石は光りそうかニャ?」
「今のところはぜんぜん…。」
「こりゃ失敗ね! ま、楽しいし、いいんじゃない? ねえタマさん、この後ふたりで…」
「リョート、抜けがけは許さねえぞ。」
二人がもめそうになった時、タマの持っていた二つの石が輝き始めた。輝きが頂点に達すると、虎猫島の時のように、四角い光の空間が櫓の下に出現した。
「あ…意外とあっけなく出た。」
「仕方ねえか、行くぜ、リョート。」
「うん…。ユキちゃんは?」
「ボクも…行くニャ。」
トボトボと光に向かって三人は歩いていった。住民たちは騒然としていたが、警備の田村巡査長と糸玉巡査が抑えていた。
ユキが直前で泣きそうな顔で振り返った。
「タマちゃん…ここで旅はおわりかニャ?」
いつの間にか、タミエがタマの背後に立っていた。
「タマや、あなたの人生だよ。あなたがお決め。」
タマは櫓の上を見た。アイは太鼓を叩きながら、タマに向かって頷いた。
「おばあちゃん、ママ、ありがとう! 私は…本官は…行ってくるね!」
タマは三人のいる所へ元気よく駆けつけた。
「タマちゃん!」
ユキがタマに抱きつき、リョートラッテとベーリンダも続いた。タマは皆を固く抱きしめた。
そして四人は手をつないで、光の中に消えていった。
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